2294043 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2021年12月14日
XML
カテゴリ:甲斐武田資料室
父、信玄の死(『甲陽軍鑑』)編著吉田豊氏(一部加筆)
 天正三年四月十一日未の刻(午後一時ごろ)から、信玄公のご容態が悪化し、脈がいつになく早くなってきた。十二日夜、亥の刻(午後九時ごろ)には、お口の中にできものができ、歯が五、六本抜けて、それから次第に衰弱されていった。
 もはや死脈をうつ状態となられた信玄公は、死をご覚悟になり、病床に譜代の家老たちや、配下を持つ家臣たちすべてお召しになり、次のように仰せられた。
「六年前、駿河へ出陣の前に、板坂法印がいうには自分には、膈(かく)という病気があるとのことであった。この病気は、思慮を重ね、心労が積もったがためになるものだという。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年12月14日 14時36分21秒
コメント(0) | コメントを書く
[甲斐武田資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X