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2021年12月14日
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カテゴリ:甲斐武田資料室
信玄遺言、家督相続について【『甲陽軍鑑』】
【信玄の病は五年前から】 
なお、信玄は五年以前から、この病気は重大なものと考えたため、判を書いた白紙が、ここに八百枚あまり用意してある」
と仰せられ、長櫃から取り出させて人びとにお渡しになり、またいわれた。
「諸方面から書状が来たならば――」の紙で返書をせよ。信玄が病気とはいえ、まだ存命と聞けば、他国から当家の国々へ手を出す者はあるまい。信玄の国をとろうとは夢にも思わず、信玄に国をとられぬ用心だけをするであろう。したがって、三年間は自分の死をかくして平和を保つように。
跡つぎについては、四郎勝頼の子息・信勝が十六歳のおりに家督を譲る。それまでは四郎勝頼に陣代を申しつける。
ただし勝頼に、武田累代の旗を持たせてはならない。わが風林火山の孫子の旗、将軍地蔵の旗、八幡大菩薩の旗、いずれも持たせてはならぬ。太郎信勝が十六歳で家督をつぎ、初陣のおりには、孫子の旗以外はすべて持って出陣させよ。勝頼はこれまでどおり大文字の小旗を持ち、差物、法華経の母衣は典厩信豊に譲ること。諏訪法性の甲は勝頼が着用し、のちに信勝に譲ること。
【割注】
この時の信玄の遺言は勝頼にとっては屈辱であった。「家督は勝頼の子、信勝に譲る。」これでは以後の勝頼が父に離反したような言動が見えても致し方ない。
しかし勝頼は、信玄死後も「信玄の葬儀」や「祖父信虎の葬儀」まで、立派に執り行っている。また諸書で云われる父の有力家臣との距離感も致し方ないもので、攻め続けた父信玄とは違い、守る勝頼の苦悩は筆舌にし難いほどのものだったと推察できる。
【割注】
信玄は、四郎勝頼の母が諏訪頼重の娘であったことから、勝斬を諏訪氏の名跡を継ぐ者と見なし、武田嫡流の家督は勝頼の子・信勝に譲ることときめていた。
【信玄の遺言 武田信勝(勝頼の子)の後見人】
 典厩信豊、穴山信君(梅雪)両人は信玄が頼りにしていることゆえ、四郎(勝頼)を屋形のようにもり立ててもらいたい。また勝頼の倅で七歳となった信勝を、信玄のように重んじて、十六歳となったとき、家督に据えて欲しい。
【信玄の遺言 葬儀について】
 なお、自分の葬儀は無用である。遺体はいまから三年後の亥年四月十二日に、諏訪湖へ甲胃を着せて沈めてもらいたい。
【信玄の遺言 天下人】
 信玄の望みは天下に号令することであったが、このようなことになったからは、都に上りながらも支配を固めることができぬままで死ぬよりも、いっそいまの状態で死ぬならば、世の人びとは、信玄は命を永らえれば都に上ったであろうにと、評判してくれよう。いっそうありがたいことである。
 なんとしても信玄は、信長・家康のように幸運に恵まれたものたちと戦いを重ねたために、いっそう、命を締めてしまったものと思われる。(中略)
【信玄の遺言 今後に於ける勝頼の戦略 上杉謙信に対して】
 次に勝頼のとるべき戦略として、まず謙信輝虎とは和議を結ぶことである。謙信は男らしい武将であるから、若い四郎を苦しめるような行ないはするまい。まして和議を結んで頼るといえば、決してそれを破るような者ではない。信玄は、大人気なくも謙信に頼るということを最後までいわなかったために和議を結べなかったのである。勝頼は必ず謙信を大切に扱って頼りとするように。謙信はそのように扱うにふさわしい人物である。
【信玄の遺言 今後に於ける勝頼の戦略 織田信長に対して】
 次に、信長が侵攻してきた際には、難所に陣をはって持久戦に持ちこむならば、敵は大軍であり、遠路の戦いであるから一散内、近江、伊勢などの部隊は疲労し、無謀な戦いをいどむであろう。その機会に攻撃を加えれば、立直ることはできまい。
【信玄の遺言 今後に於ける勝頼の戦略 徳川家康に対して】
 家康は信玄が死んだと聞けば、駿河にまで侵入してくるであろうから、駿河の国内に引き込んでから、討ち取ることとせよ。
【信玄の遺言 今後に於ける勝頼の戦略 北条氏政に対して】
小田原の北条氏政については、強引に攻めて押し潰すことも容易であろう。氏政は、信玄が死んだと聞けば、必ずや人質をも捨てて敵となるであろうと思われるから、その覚悟をしておくようにと、ご一族や家老の人びとに言い渡された。
【信玄の遺言 今後に於ける勝頼の戦略 逍遥軒信廉へ 信玄の影武者】
次に、弟、逍遥軒信廉は、今夜、甲府へ使に行くといって、心安い従者四人を連れ、出るふりをして従者たちを土屋右衛門尉のところに預け、明日の早暁、輿に逍遥軒を乗せ、信玄公はご病気のため甲府にご帰陣になるといえば、信玄と逍遥軒とを見分ける者はあるまい。永年見てきたところ、信玄の顔をしっかりと見ることのできるものは、その方たちを以外にはないのであるから、逍遥軒を見た者は必ずや信玄は生きていると思うであろう。
【信玄の遺言 勝頼へ 上杉・信長・家康・氏政への対処】
四郎よ、くれぐれも合戦に耽ることがあってはならぬ。そして信長・家康の運の尽きることを待つことが大切なのである。
 運命を衰えさせるもの、それはわが身を飾り、贅沢にふけり、高慢に陥ること、この三つである。信玄が、信長・家康の運の尽きるのを待てというのは、同時に勝頼への注意でもあるのだ。
 その道理は、信長は信玄よりも十三歳若く、家康は二十一歳若く、謙信は九歳、氏政は十七歳若い。そのため彼らは、信玄の末路を待ちかまえていたのである。
一方、勝頼は、謙信より十六歳、信長より十二歳、氏政より八歳、家康より四歳、いずれよりも若いのであるから、彼らのような年長の者どもに負けぬようにし、これまでに信玄が取って渡した国々を、しつかり持ちこたえることである。そして、もしも敵どもが無理な戦いを仕かけてきたならば、わが領国の中に引き入れ、必勝の決戦を挑め。そのときには信玄が使ってきた大身、小身、下々の者までが一体となって奮闘するならば、たとえ信長・家康・氏政の
三人が連合してこようとも、わが勝利は疑いあるまい。
 謙信については、他の者と共謀して四郎を苦しめることはありえない。武勇においては信玄が死んだのち、謙信こそ第一人者である。
 天下を手にした信長と、武勇日本一の謙信との運命、この両人の運が尽きるのを待ち受けよ。
四郎は万事についての思慮、判断、将来への見とおしについては、信玄の十倍も心するように、と仰せられ、「ただし、敵がその方を侮って挑んできたならば、甲斐の領内まで引き入れ、耐えぬい たうえで合戦をとげるならば、大勝利を得ることができよう。決して軽率な戦さはしてはならないと、馬場美濃守、内藤修理、山県昌景にくわしくご指示なされた。
そして、
信玄が生きている間に、氏康父子、謙信、信長、家康、みな国を取られぬようにと用心をしていたにもかかわらず、
北条は深沢・足柄地方を、
家康は二俣、三河の宮崎・野田、
信長は岩村・かんの・大寺・瀬戸・恵那までを信玄に取られている。
謙信の領地だけは、こちらに奪い取ることはなかったが、高坂弾正の部隊だけの力で越後に侵入し、謙信の居城春日山から東方六十里のところまではいって放火、掠奪を働き、女子供を奪って無事に帰還したのであるから、信玄、謙信は対等というわけにはいくまい。たとえ病中とはいえ、信玄が生きている間には、わが領国に手出しをする者はおらぬ筈である。三年間は深く慎むようにと、いわれて目を閉じられたが、また山県三郎兵衛を召され、「明日はそのほうが旗を瀬田に立てよ」
と仰せられたのは、御心が乱れたためであろう。
しかし、やがて目を開かれると、
「大底は他の肌骨の好きに還す。紅粉を塗らずして自ら風流」
(大意…わが不朽の生命は若々しくすこやかな人びとの肉体に伝えよう。それは少しも飾ることなく、自ら華やかにうるわしいのだから)との遺作詩句を残されて、御年五十三歳にして惜しくも朝の露と消えられたのである。
 ご家中の人びとは、ご遺言のとおりに取り計らったが、遺体を諏訪湖にお沈めすることだけは家老たちの相談によって取りやめ、三年後の四月十二日、長篠合戦の一月前に、七仏薬師法による御葬を営んだ。
 信玄公ご一代のご武勇、ご勝利のほどは、三十八年の間、一度も敵に背を見せられたことがなかったことによって知られる。以上。(『甲陽軍鑑)品第三十九)





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最終更新日  2021年12月14日 14時46分10秒
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