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2021年12月14日
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カテゴリ:甲斐武田資料室
風雲急を告げる甲斐 
【筆註】
信濃国を侵攻する織田信忠軍は、日ごとに勢いを増していく。その中で武田累代の家臣たちの離反も相次いでいた。信虎以来信玄に至るまで侵攻。侵略した地方の豪族は、従うことを余儀なくされ、武田信奉ではなく服従し、我慢をしてきた人々も多い。従って武田没落のシナリオが信長によって進むと、いち早く侵略地方の人心は武田から遠ざかって行った。
武田家臣団といっても穴山梅雪の一族は服従より同盟関係にあったことは梅雪の発給した文書によっても明らかである。特に徳川との不審な関係は、勝頼没落の大きな要因でもある、長篠の戦いでは客観的立場にいたことから始まる。梅雪は早くから勝頼離反を着々と進めていたのである。
また家系譜に見られるような記述の中には、事実とはかけ離れたものが多く、とくに勝頼の落日を目前に寝返った武川衆や、後に徳川や上杉その他に就職した数多くの家臣の姿を見るとき、その離反は仕組まれていたのである。哀れなり勝頼である。その最期は悲惨であり、武田滅亡に至った。そうした時でさえも、主君を裏切り、次の就職先の加勢に転じる家臣とは、こうした行為はその後も続き、変り身の早い県民性ともなっている。





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最終更新日  2021年12月14日 14時47分16秒
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