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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年12月21日
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誤った山梨の歴史(1)
   甲斐(山梨県)の古代御牧(勅旨牧)

甲斐勅旨牧から都へ 駒牽(こまびき)行事 

 山梨県の定説の中で最大の間違いは、古代特に勅旨牧(御牧)の所在地の誤りと、京都までの道程である。
 牧の比定地は、武川村牧の原・韮崎市穂坂。高根町樫山とされているが、これが大きな誤りである。
 皇室に納める御馬を辺鄙な土地に否定してきた山梨県の歴史学者の責任は重い。以下の資料はその誤りを訂正するものである。

 

  

駒牽儀式

 

 駒牽の儀式とは、御牧(天皇直轄の牧場)から奉納された馬を天皇がご覧、その後分配する。

 左衛門陣に左近、右近府と左右馬寮の関係者が集合する。

 左衛門督が御馬解文(馬の毛並み、数等を記入したもの)を検閲して主上に奏覧する。

 天皇が仁寿殿へ出御。牧監と左右近衛府番長以下が馬を日華門より入れて、庭中を三回巡る。

 左衛門督の命により騎乗して、七八回廻る。

 その後馬の分配。左衛門督臣が、左近衛府、左馬寮、右近衛寮、右馬寮に分配する。

 さらに左右近衛中将、少将、左右馬寮頭助が一頭づゝ取る。

 

  御牧の概要

 

『日本書紀』の天智天皇七年(668)七月の条に、

牧を設置して馬を放った記述がみえ、

『続日本記』文武四年(700)三月の条に、

諸国に牧地を定め、牛馬を放ったとある。

大宝令《大宝元年(701)》の厩牧令の規定によれば、

牧場は垣根囲い、牛馬の逸出を防ぎ、外部からの危害から守り、

水草地を選んで選定し、

全国の牧は兵部省管下の兵馬司が諸国司が国内の牧を管理して、

牧は牧長・牧帳を設置、その管理下の牧子が実務に従事した。

百頭を一群とし牧子二人をつける規定となっている。

百頭につき六十頭の割合で増殖することを標準とし、

牧馬は四歳で子を生むものとした。

また牧馬の用途としては、

乗用に耐えるものは当国の軍団に給付して軍馬とし、

他の馬は雑用に使役したり、民間にも払い下げていたようである。

 

1、「年中行事障子文」《仁和元年(885)三月二十五日》

 

 八月 七日 牽甲斐国勅使御馬事。

   十七日 牽甲斐国穂坂御馬事。

 

2、『西宮記』「改定史籍収攬 編外」《十世紀半ば成立》

 

巻八 八月

   駒牽事 付大庭儀 雨儀

七日 牽甲斐御馬事

主当寮以 解文 外記

外記申上卿 。上卿以蔵人奏聞。不出御 。於大庭分取如前。

逗留延期之時。又可申解文 。史申見参大弁

大弁、申上卿奏聞。留御所 。或被延期。逗留 之旨。

   駒牽次

四歳以上天長格云。上野・信濃・各有 牧監一人

甲斐・武蔵各別当。交替式云。監牧歴 六年

遷替准 国司

 

八月 七日 甲斐真衣野・柏前卅疋。元五十。左主当。

    十三日  武蔵秩父廿疋。右。

    十五日  信濃諸牧六十疋。元八十。左。

    十七日  甲斐穂坂廿疋。元卅疋。左。

    二十日  武蔵小野〓疋。右。

    廿三日  信濃望月廿疋。元卅疋。左。

    廿五日  武蔵由比小川石川六十疋。元五十疋。立野廿疋。右。

    廿八日  上野諸牧五十疋。櫪卅。繁廿。右。

 

3、「年中行事」《賀茂氏人保隆所伝。永延元年(987)以降の成立》

  八月 七日 

牽甲斐国真衣野柏前勅使神馬。廿疋。

若逗留者、左馬寮進留逗留解文。留御前。

    十七日 

牽甲斐穂坂御馬事。廿疋。

 

4、「師遠年中行事」《中原師遠著、~大治元年(1130)卒》

  四月廿八日 駒牽事(小月の廿七日)

  八月 三日 牽甲斐国御馬事。

七日 牽甲斐国勅使御馬事。御馬逗留解文事。甲斐勅使牧。

    十七日 牽甲斐国穂坂御馬事。三十疋。

    廿八日 牽上野国勅使牧御馬事。五十疋。

 

5、「師元年中行事」《中原師元著、安元元年(1175)卒》

  四月廿八日 牽駒事。

 

6、「年中行事抄」《建保二年(1214)五月七日の宣旨あり。それ以降》

 四月廿八日 牽駒事。清涼記。於南殿有此儀。

 八月廿八日 上野勅旨諸牧駒牽事。引進御馬之時。於南殿有此儀。

 

7、「師光年中行事」《本云。文永元年(1264)九月廿九日。以大外記。

中原師光朝臣本染老筆畢》

 四月廿八日 牽駒事。近代不行之。貞観年中(864~876)に始之。

 

8、「小野宮年中行事」

 八月 七日 牽 甲斐国勅旨御馬 事。

   十三日 牽 武蔵国秩父駒馬 事。

   十五日 牽 信濃国勅旨駒馬 事。

  天皇解文御覽ノ後ニ南殿ニ出御アリ。

御馬ヲ牽キ庭中ヲ周ル三回、

若シ日暮レバ或ハ一回シテ三度ニ及バズ。

左右遞ニ之ヲ取ル、其数ハ馬ノ多少ニ随フ。

八十匹ナレバ左右各十五匹、

六十匹ナレバ十匹、

五十匹ナレバ六匹、

卅匹ナレバ五匹。親王  

以下ニ給ル。

左右又進デ残馬ヲ取ル、

或ハ相加エ先ズ御馬ヲ取テ鞍ヲ置テ前庭ニ於テ騎馳セシム、

月華門下ヨリ日華門外ニ馳ラスコト延喜九年(909)ノ例也。

今日若延期ヲ申シ他日牽進セバ、當日早旦使ヲ遣シ、

親王等ヲ召ス、雨儀ニハ御馬ヲ庭中ニ周サズ、

又騎ラシメズヲ承門ノ東西南廊ニ立テ、

牽者壇上御馬ノ南面ニ在リ。云々

 

9、「烙印』《政事要略廿三》

 

  牧場烙印の数々………政事要略二十三云、

  八月十五日 牽 信濃勅使御馬 事。

(○○此中有十五牧、左官字、諸牧六十、元八十)

山鹿、塩原、岡屋、宮處、平井弖、殖原、

大室、猪鹿、大野、荻乃倉、笠原、高位。

 

  十七日 牽 甲斐穂坂御馬 事。

(左 栗字三十、令二十)

   二十日 武蔵小野御馬。

(右 字四十)(承平元年十一月七日為 勅旨

   廿三日 信濃国望月御馬事。

(延喜五年五月九日、官符左牧字二十、元三十)

   廿五日 武蔵勅旨牧竝立野牧御馬事。

(是日分 取御馬 先取 由比 石川、小川等牧御馬 畢、更次取 立野馬

右官字五十、(後加 十)元十五レ五。

   廿八日 上野勅旨御馬事。

〔殿上侍臣竝小舎人隔年給レ之小舎人不拝、左小舎人牧ノ官字諸牧五十、

(櫪三十、繁二十)利刈、有馬、治尾、拜志、久野、 

市代、大藍、鹽山、新屋、封有、小栗田、

平澤已上十四牧)

 

10、 「年中行事大観」

《御本云、此本一条殿(1402~81)兼家公御筆也。

 

 八月 駒牽。

十六日に信濃の国勅旨の牧の御馬みやこへ入侍るを。

あふさかの関へゆきむかひて。これを受け取りて。

大内の大庭にして。上卿など列立して、おのおのこれを給り。

あるひは院東宮などへまいらせるゝをば。

近衛の中少将これをひかえてまいるを。

引分の使いといふなり。

定家卿の又□わ□もち月の駒とよみ侍るも。

引分の使をつとめし時の詠也。

  又御馬逗留の解文を奏する事あり。

それは御馬事のさはりありて。路に逗留して。

その日は京へまいらぬよしを。解文にして申事也

この月七日には甲斐の勅旨の牧の御馬逗留のよしを申す。

十三日には。武蔵秩父御馬廿疋逗留のよし申す。

  又十七日は。甲斐の穂坂の御馬逗留のよしを奏す。

廿日にはむさしの小野の御馬逗留のよしを奏す。

廿三日には。しなのゝもち月の御馬逗留のよし申す。

廿五日には。むさしの立野の御馬逗留のよし申す。

廿八日には。上野の勅旨の牧の御馬五十疋逗留のよし申す。

ちかごろは十六日こまびき儀しき。かたのごとくおこなはれる。

左右馬寮より一二疋たてまつるばかりにて。さらにその実なし。

此牧々の名所は。駒引の題などはいずれをかよみ侍るべきなり。

 






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最終更新日  2021年12月21日 07時11分08秒
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