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2022年03月05日
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カテゴリ:矢切止夫氏の部屋

   悲しき金と尊い銀

 

矢切止夫氏著『矢切止夫 日本史裏がえ史』

  一部加筆 山梨県歴史文学館

 

なにしろ金歯も金指輪も、まして金時計もなかった時代だった。売行きのよくない、憐れな金を背負った藤原銘茶会社商品開発課の吉次は、

 「へえ、金は、どうだっしゃろ」

と汗を拭きつつ、刀の鍔屋、目ぬき屋といった、京のアクセサリー店を、セールスしていたのだ。

 変な話だが柔くて伸ばせばいくらでも伸びる金は、まだ文化のひらけぬ時代には、あまり価値がなかったのである。

 なにしろ、この後の三百年もたった『応仁記』でさえ、

「近頃は、きがねも、次第に価が貴くなりて」と、ようやく現われ、金が銀の十倍に昇格したのは、その十六世紀に入った、明応七年の「公文所勘定書」や、文亀二年の「春日神社文書大和中条目」ぐらいからである。

 それでも、七十年たった天正十年(一五八二)のクーデターの時でさえ、信長の死後、安土城へ入った明智光秀は、金には目をくれず、銀だけ持ちだして、禁中へ五百枚、五山や大徳寺に百枚宛寄進している。

 後年のごとく金と銀で十倍も違うものなら、金を運んだ方が良いと想うのは、現代的な感覚で、まだ実用本位の時代ではことはないからである。装節用にしか用途のないような、人に喜ばれない物を、何も持ち出すことなく、ことごとく燃やして熔かしてしまった。つまりまだ当時は、

 「しろがねも、くがねも、たまも何せむに」の、くがねは金ではなく、やはり硬度が高く細工物や鎧などでもなった利用度の多い黄銅のほうだったのである。

 

 まだ実用本位の時代では、装飾用にしか用途の無いような人に喜ばれない物を何も持ち出すことはないのである。

だから十五日に、知らずに織田三介信雄が安土城へ火をかけ、あわれにも残っていた金を、これを悉く燃やして溶かしてしまった。つまりまだ当時は、「しろがねも、くがねも、たまも何せむ」の、「くがね」は金ではなく、やはり硬度の高く細工物や鎧などにもなった利用度の多い黄銅のほうだったのである。

 だが、これは日本だけでなく、神聖ローマ帝国以来、ヨーロッパでも、金を有難がったのは、有色人種の肌に冴える点からアフリカやエジプトの低開発国の一部だけであって、ジャンバルジャンが忍びこんだ司祭の家だって、銀の食器や燭台しか無かったのである。

のちに硝石が発見され、金は鉄なみに吸いつくのに、銀だけは作‥川されない、といった点から、植民地政策上黄金が俄かに必要になって、急ごしらえの錬金術に、うつつを技かす以前のヨーロッパでは、今と違って銀は金よりも尊ばれていたから、雄弁家キケロスが、

 「諸君も、輩のように活発に喋り給え」

 と啓蒙運動するためヽせっかく、

「沈黙は金。なれど、雄弁は銀」

と名句をぶってくれたのに、その後まったく、金銀の価値が反対に倒錯したものだから、

「そうか……黙ってる方が値打ちがあるか」

と雄弁家の主張なのに逆に解釈され、そのまま日本へも輸入されている。

そのため日本人は無口を美徳と心得ているから、今日、海外のサービス業者から、日本人観光客は、無口で取扱いやすいなどと文句をいわぬ点を激賞されてるそうだ。

 こうした価値倒錯の例といえば、文政三年(1820)の『諸国見聞録』にも、越後の国の話として、

 「臭水稲出多く、諸民の難渋、憐れなり」

 と出ている。今なら一リッター何十円の石油も、当時は迷惑な汚水だったらしい。

 

さて、出向社員の吉次が、あまり有能ではなかったから、平泉の藤原鉱業は、さきに平氏と業務協定を結びかけて駄目。寿永二年(一一八三)に延暦寺へ入った木曾義仲に、を働きかけたが、これも失敗してしまった。

その点、伊豆開発鉱業の方は、伊東の北条の令嬢政子の督励によって、その売れない金を売りまくり、伊豆の山々から掘りだした黄金によって、ついに頼朝の「文治革命」を、成功させてしまったのであるから、これは当時としては偉業である。

 だから、金を有難く考えた別所出身の武将は、その後、十九世紀に到るまで、その馬印に、皆、金色の御幣や瓢を、つけて戦ったり歩いたりした。

 

これは『史籍雑纂』第三巻の(元文二年八月五日つけ山本伊左より黒田弥次兵衛宛)の手簡未尾に、はっきりと、

「馬印金の幣と申すことに御座候ば、

別所同意と存じ奉り侯」

と明記されたのが残っている。






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最終更新日  2022年03月05日 18時19分55秒
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