カテゴリ:疑問
真実を明らかにすること、 はたしてそれは正義なのだろうか。 たとえば、全聾の作曲家と大々的に謳いながら、曲は他者に委託。 たとえば、世界的発表の論文で画像や文章を無断引用する。 たとえば、恋愛禁止の人気グループに属しながら交際をする。 どれも「看板に偽りアリ」とされたケースだ。 しかし、だからといって わざわざ声を上げて叫ぶほどの事でもない。 問題があれば、当事者同士でクリアすればいいだけの話である。 もちろん詐欺案件のように、その虚偽によって 実際に損害を被っている者がいるのなら、 二次被害防止や警告の意味でも報道は重要だ。 しかし、そもそもそこには存在しなかった被害者を 公にすることであえて生み出すような報道は必要なのだろうか。 正義の仮面を被って、まるで神の手を振り下ろすように 断罪しているつもりのようだが、 やっている事は、争いのない園にわざわざ火を放ち 自らは高みの見物を決め込む、悪魔のごとき所業だ。 いや、それを言ったら悪魔に失礼かもしれない。 文春には、それほどの大それた目的意識もないからだ。 批判の姿勢だけは一人前だが、その報道姿勢は 「売れたもん勝ち」を自ら認めているようなものであり、 結局のところは、誌面で糾弾してきたどの人物よりも 強欲で浅はかなのである。 そこにはポリシーなどなく、 あるのは卑屈な商魂、それだけだ。 受け手はここで冷静にならなければならない。 取捨選択の自由は我々にある。 幸いなことに今の時代、情報はいくらでも入ってくる。 物事の善悪を判断するのは、断じて出版社などではない。 我々は一方的に書き立てる誌面の文字に惑わされず、 情報の取得や認識は自らの手で行い、 最終判断をそれぞれが下せばいい。 真実かどうか、事実かどうか、 そして、それが本質とどう係わっているのか。 見定めるのは各自の心の目の問題でもある。 くれぐれも、扇情的な文字に踊らされて判断を誤ること、 それだけは無いようにお願いしたい。 その行為の向こうに待っているのは、 商魂ライターの高笑いなのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.03.15 15:46:47
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