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絨毯屋へようこそ  トルコの絨毯屋のお仕事記

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2006年10月05日
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カテゴリ:社長の一人言
トルコのキリムのモチーフにはいろいろ名称と意味がある。
名称は研究者たちが分類の都合上、勝手に名前をつけたものもあれば、実際に織り手たちにそう呼ばれているだけのものもある。
同じ形のモチーフでも地域ごとに意味が変わって伝わっているものもある。

その地域で独特なのは、今のように村間の交流がなかったころ、またテレビや本などの情報伝達方がなかったため、母親が織ったものを娘が見よう見真似で織ったことから来る。
多少の工夫や個々のセンスは問われるものの、そのため同地域で同じようなモチーフのキリムが織られたのである。

私はモチーフの学術上の都合でつけられた名称も意味も重視はしていない。
呼称として使うが、そこにこめられている意味は組み合わせで考えることにしている。
そのためのデータ収集はもちろん簡単ではないし、村を回ったときは必ず、その地域にあるモチーフの意味や色の意味、もう本人たちが意識して織っているとは思わないが、どう伝わっているか、またどう考えているかは話を聞くことにしている。

そこからいくつかおもしろい話もでてくるし、村の女性でも下手に本を見たりしている人は「これってドラゴンのモチーフだよ」と説明してくれるけど、「そうなんだ。知らなかったなあ・・・ところでドラゴンってなに?」と尋ねると「見たことないから知らない」という答えが返ってくる。

そのひとつにリンゴのモチーフというのがある。
一般的には櫛とか目とかいわれているものであるが、リンゴのモチーフであるという話も数箇所の村で聞いた。

どんな意味かというと、幸福の象徴なんだという。
どうしてリンゴと幸福がつながるかというと・・・・。

ここにひとつのリンゴがあるとする。そのリンゴの持ち主が「はい、これあげる!」と誰かにリンゴを手渡したとする。
するともらった人はうれしい気持ちになる。その顔を見てあげた人もうれしくなる。
たかがリンゴである。しかしそれが1つ存在し、それを受け渡ししたという些細な行為で2人の人が幸福になったわけである。
幸福ってそんなことでも感じることができるという話である。
場所によっては1つのリンゴを分け合うこととも言う。

ところで話は変わって、最近、都会のトルコ人は変わってきていると感じる。
昔、もしくは今でも農村部ではそうだけど、近所づきあい、助け合いというものがあった。
しかし最近は日本と同じで、同じ建物内にいるのに交流もなければ、挨拶もしなかったり、ちょっとしたことで何かをお願いすると、お願いしたことを後悔する結果になったりする。
これも当然の流れなのであろうが、我が家のあるアパートでも住人たちがそんなことを叫んでいたので気になった。

うちのアパートは古い地区にあり、12軒あるアパートの10軒は持ち家で2軒が借家である。
お年寄り世帯と持ち家であるという意識が強く、それぞれの勝手な主張で、波長が合わないのである。自分の意見が通らないと、だれかれ構わず嫌がらせをする人や、自分もさせられたから、あいつにもさせろとか、理屈の通ることならまだしも、お互いが気分が悪くなることばかりする人たちがいる。
それがあまりにもしつこいもので、何も言わなかった人たちも何か言われるごとにけんか腰になるし、構えてしまっている。住人同士が実はとくに理由もないのに、警戒しあっている。
私も正直いえば、アパートの住人と挨拶はするけど、不愉快になることが多いので、できるだけ誰とも深く関わりたくないし、何かあっても声を荒げない、知らないふりを通すしかない、と思ってしまっている。これじゃまるで日本にいたころの近所付き合いと同じだな、なんて思いながら・・・。
でも考えたら日本の方がよほどマシであった。いっさい関わりがないし、誰が住んでいるかも知ることがなかったから温かい交流もない代わりに不要なトラブルもなかったなあ・・・って。

それにしても私が好きであったトルコの一部分が、こんな形で壊れていくのを実感しなきゃいけないのは、なんとも寂しい気分である。

最近、そんな小さな事件がいくつかあって、アパートの住人たちの間が険悪である。

そんななか、買い物で外出したとき、アパートの住人のひとりであり、元管理人のアリおじちゃんと近所の水道屋のお兄ちゃんが立ち話をしていた。アリおじちゃんは、自分勝手な住人たち相手に公益費を集めたり、掃除のおばちゃんを手配して掃除をさせたり、ビルをきれいにするためにいろいろ尽くしてくれていた。
でも公益費を集めるたびに、自己中心的な理屈で支払わない人がいたり、掃除をさせていてくれたおかげで建物がきれいだったのに、それに文句を言う人がいたり、共同設備を自分のものにする人がいたり、ほとほと疲れきっていた。
よく「文句も言わずに、その日に公益費やその他の支払いしてくれるのはアンタだけだよ」と言われたものである。

水道屋のお兄ちゃんも、うちのアパートの水道工事でかかわるから、住人同士のトラブルはよく知っている。間に挟まっていやになることも多いと思う。

3人でため息とともに、別れようとしたとき、水道屋のお兄ちゃんが店の奥からまだ青いオレンジを持ってきて、1個ずつ私とアリおじちゃんにくれた。
「今朝、フィニケ(地中海のオレンジで有名な町)から届いたばかりなんだよ」と言う。

私は柑橘系は実は苦手であり、ほとんど食べることもない。
でもオレンジを手にしてなんだかほんわりとした気分になった。

ひとつのオレンジで小さな幸せを感じた瞬間であった。





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Last updated  2006年10月07日 01時26分10秒
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