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2008年03月19日
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カテゴリ:出張表話&裏話
4日目はウルファまでの長距離移動日。
午前中はハタイ県のクルクハン。

クルクハンには黒海地方のトラブゾンからの移民地区がある。
地区まるごとトラブゾン出身のラズ人で占めている。

シリア国境、トルコの南端のハタイになぜ、トルコの北端のトラブゾンからの移民が・・・?

移民といっても、古い移民ではなく、1960年~80年代にかけてと歴史的には新しい。
親世代がこちらへ移り住み、20代、30代、40代の子供世代はハタイ生まれがほとんど。
ただ地元民とは交わらず、ラズ人同士の結婚をし、ラズの文化を継承し、黒海訛りのトルコ語を話す。

彼らの話によると、ハタイは綿花栽培などが盛んであるが、どうも温かいところに住む人たちはのんびり屋が多いらしく、畑仕事が進まない。
そこで働きものと言われる黒海地方の人たちに、ハタイでの農作業をさせるために移民を募集し、その結果、この一角に黒海地方の人の住居区が形成されたということである。
黒海出身者が働き者だとは初めて聞いた。
「黒海出身者は午後から頭が働く」と言われていて、つまり朝に弱い、午前中はぼーっとしているもんだと思っていたもん。

この一角では苗字が5、6つしかない。つまりほとんどが親戚である。

ハタイでは遊牧をする人も多い。しかし移民のラズ人たちは遊牧はせず、綿花栽培を中心に農作業のみに従事した。
世代が変わり、子供たちになると、農作業以外に、貴金属屋、農薬販売、洋服屋などの商売をはじめ、それぞれ生活をしている。

そのラズ人地区でのパザールの様子。

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クルクハンからヌルダウへ北上し、そこから高速道路を利用し、一路ウルファへ。






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Last updated  2008年03月19日 04時32分38秒
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