子供っぽい、子供らしい。
先月のやすらぎの部屋のフラワーエッセンスクラスで子供っぽいと子供らしいの違いは?という質問がありました。子供っぽいというのは、大人なんだけど、稚拙、幼稚な感じ。子供らしいというのは、大人ではなく子供そのもの。天真爛漫、後先考えず手当たり次第、興味があれば何でも手を出す。という風に答えました。…といっても、質問に対する私の答え方がいかにも、子供っぽく幼稚な感じがして自分で話していて照れました。そういえば数秘術のワークの時もK氏から「その話し方自体が子供っぽい」と言われたような…。母曰く、私は小さい頃から大人しく、聞き分けがよく、一人でほおっておいても本を勝手に読んでいる、育てやすい子供だったと言います。それは、裏を返せば、あまり子供らしい子供ではなかったのではないかと、今になって思います。特に、妹ができたその日からは。妹が生まれてきてから、私は親に名前で呼ばれることがなくなりました。その代り「おねえちゃん」という言葉で呼ばれるようになりました。今でもそうです。何かあっても「おねえちゃん」なんだから我慢しなさい、と言われてきました。「おねえちゃん」なんだから、妹を助けてあげなさい。「おねえちゃん」なんだから、おもちゃを貸してあげなさい。「おねえちゃん」なんだから、しっかりしなさい。自分のことは自分でやりなさい。私は「おねえちゃん」であることが嫌でした。クリスマスのプレゼントに何がほしい?と聞かれると、必ず「おにいちゃんがほしい」と言いました。「おねえちゃん」であることのつらさはわかっていたので、「おねえちゃん」はいりません。「おにいちゃん」がほしかったのです。甘えられる妹になりたかったのです。毎年「おにいちゃんがほしい」と言い続けました。小学6年生までは。それ以外のプレゼントはいらないと言っていたので、毎年クリスマスのプレゼントはありませんでした。中学生になり、さすがにお兄ちゃんを手に入れることはできないと理解したので、ほしがることをやめました。それより、年上の先輩を好きになりました。憧れのお兄ちゃんみたいだったからです。それから、私の年上(もしくは長男)好きが始まります。20年ちょっと続きました。(今はもうそれを手放したので、今の愛しのダーリンは年下・次男です…笑)さて、中学生になると、親戚の人にも言われるようになってきました。「おねえちゃん」だから、お母さんを助けてあげてね。「おねえちゃん」だから、お母さんの話し相手になってあげてね。「おねえちゃん」だから、お母さんを支えてあげてね。そんなふうに育てられました。どうしてたかが13,4歳の私が母を支えることができたでしょう。むしろ私の方が、まだまだ支えてほしい年頃でした。先週の大阪での旅は、そんな子供時代の私を振り返ることにフォーカスしてみました。お宮参りに行った神社を訪れ、通園していた幼稚園と教会を訪れ、小学校と中学校を訪れました。生まれた病院の前まで行き、通園していた道を歩き、通学していた道を歩き住んでいた家の前まで行き、ありとあらゆる思い出の地を歩きました。小学5、6年生の担任の先生に会って聞いてみました。“先生から見て、当時の私ってどんな子供でした?” しっかりしてて、大人で、勝気で、担任の私が頼ってたわ。先生は考えることもなく、即答でした。“小学5、6年生っていったら、まだまだ子供ですよね。私に子供らしさってありました?”子供らしさねぇ?ほかの同級生に比べたら、だんぜん大人やったんちゃうかぁ。勉強ができて、自立心があって、リーダーシップがとれてな。生徒会の副会長にも立候補してたもんなぁ。お母さんの躾が厳しくて、しっかりしてはったもんなぁ。やはり、母の厳しい躾か。母は自分に対しても厳しいけれど、人に対してももっと厳しい。だから、私はいつもだめな娘の烙印を押されていました。よく人と比較されました。しかも、悪いところ、できないところをクローズアップされて非難されました。比較され、非難されるたびに、思っていました。私ってこんなに何もできないのに、何で生きているんだろう?なんで母は私を産んだんだろう?100点満点のテストが80点しかとれないときは、100点が取れるように作ってあるのにとれない私の努力不足だと言われたり。クラスで一番になれる人がいるのに、私がなれないのも努力不足のせい。進学校に進んでいる人がいるのに、どうして行けないの?と責められて。母からは、ずっとほかの誰かと比較され通しの人生です。いつもいつも。今でも。過去に一番比較されて、こたえたのがこのことです。当時PL学園の清原選手は、高校卒業して西武ライオンズに入団するときに年棒1億円とか言われていました。テレビでそれを一緒に見ていた母に、言われました。同い年でこの差はねぇ~かたや1億円も稼いで、親孝行な息子だね。それに引き換え、大学は受けられず、受けた短大は全部落ちて、結局名前も聞いたこともないような短大にやっと受かって、親にお金を出してもらって入るんだからねぇ。まったく親不孝な娘だよ。あきれて何もいえなかったのを覚えています。でもこれを境にその後母がどれだけいろんなことを比較して言ってきても流せるようになりました。この人は、一生誰かと比較して、誰かの目を気にして生きていくんだ。私はこうはなりたくない。と思ったからです。だけど長いこと比較されて育ってきた私のインナーチャイルドは納得いってないみたいです。昨年の今ごろ長年の不満が噴出してきて、無価値観に襲われ無気力になり死に場を探してさまよっていたのですから。インナーチャイルドを癒すのには、相当時間がかかるかな。先月のエッセンスクラスで、子供っぽいと子供らしいの違いは?と質問されてから随分子供の頃のことを思い出して、掘り下げた感じです。無理やり閉じていたフタがあいてきたのでしょう。ちょうど自分史を書いているので、タイミングもよかったのかな。たぶん、母に拒絶されてるからね。ハグハグ。妹がおなかにいて、多分母は体調が悪かったんだと思う。そしてご機嫌も悪かったんだと思う。だけど、そんなことを知らない私は、ママ~!って抱きついたんだと思う。あっちいって!と、わけもわからずにふりほどかれたんだと思う。たぶん、それから。母に甘えることができなくなったんだと思う。妹が生まれるまでの5年間は私がママを独り占めだったはずだから、いっぱいいっぱいだっこしてもらったり、可愛がってもらったりしてたと思う。ぜんぶ「思う」って書いたのは、小さい私はその記憶がないから。たぶんそうなんじゃないかなって想像して「思う」ことしかできないから。母に聞いても、忘れているしね(笑)「躾」という名の虐待に近いことをされたってことを覚えている私は、ある日母に、こんなことされて当時嫌だったし、悲しかったんだけど覚えてる?と聞いてみたけど、そんなことしたっけ?ってケロッとして言ったのでした。だから、そんなことをした母を憎むのでも、恨むのでもなく、インナーチャイルドの小さいみぃちゃんと私がお話しようって思ったのでした。昨年からちょっとずつ、小さいみぃちゃんとお話しているの。最近はそっぽ向いて話してくれないなんてことはないよ。過去を振り返って、当時の痛みを感じて受け入れる。あのときの私はあのときなりに、精一杯にがんばったよね。えらいよぉ。うーん、よしよし。いいこいいこ。おもいっきり頭なでなでして、ハグハグしちゃいます。そして、一緒に遊んじゃいます。泉セイラさんの日記でインナーチャイルドの子守唄が書いてありました。(最近、セイラさんの日記がなんだかリンクしちゃうの。 セイラさん、いつもありがとうね☆)小さいみぃちゃんに子守唄を歌ってあげたことはなかったから今晩は子守唄をうたって寝ましょうね♪おやすみなさい。