テーマ:映画館で観た映画(8561)
カテゴリ:合作映画
人という種が生まれて、
すこしづつ姿形が変化して、 文明という「進化」はあったかも知れない。 進化と呼んでも言い部分は 幾つかはあるだろう、 けれども、「進化」ばかりではなく、 「退化」した部分も必ずある。 若い父親が自分の子供を売った。 少し気は咎めているようだが、 大金を得ることの方が重要に見える。 それを聞いて母親は ショックで気を失ってしまった。 父親の名前はブリュノ、20歳。 定職につかず、街ゆく人に小銭をせがんだり、 盗みで得た商品を金に変えてのその日暮らしである。 赤ん坊のジミーを抱いて退院したのは、 ソニア、彼女は18歳で母親になった。 だが若さなど関係なく、 息子を抱きかかえる彼女はもはや母親である。 しかし20歳の青年は息子を抱くのさえ怖がっていた。 ソニアにせき立てられ認知はしたが、 定職について働く気は毛頭なさそうだ。 20歳と18歳、まだ若い二人には、 生活よりも愛し合う方が大事なのである。 それでも、彼女は母親だった。 ブリュノはまるで盗みで得た商品を売るように、 ブローカーを通じ、ジミーを売った。 冷酷さや小狡さなどは微塵もない。 彼は彼女に「二人の金」だと札束を見せ、 「また産めばいい」とさえ言ったのだ。 確かに間違いではないが、 間違いでなかったら正しいとは限らない。 愛する女性が倒れてしまって、 ブリュノはやり直しをしようとした。 間違いを犯したならやり直しをすればいい。 「金」を渡し、ジミーを取り戻して、 全てを丸く収めようとしたのである、が。 ソニアは彼を許さなかった。 そしてブリュノは転落し始める。 赤ん坊を売り損ない儲けをなくしたブローカーが、 ブリュノから儲けを回収しようとしたのだ。 その日暮らしの青年には、 途方もない金額である。 何が正しいとか、何が間違っているとか、 そういうことで割り切れないものがある。 ブリュノとソニアの二人は愛し合っていたのだ、 その愛情の間に赤ん坊が現れても、 二人は何も変わらなかったのである。 彼は父親になったことがわからなかったし、 彼女は彼と話し合うことが出来なかった。 幸せになるはずの愛し合う二人だったのに、 再び二人が会うのは、刑務所の中になる。 そうして二人は、自分たちの愚かさを知る。 感じなかったのだ、その心が。 彼は赤ん坊の命を。 彼女の赤ん坊への愛情を。 彼女は、彼の苦しみを。 二人は現在の自分以外を、 感じ、想像し、考えることが出来なかった。 間違っててもいいのだ。 通じなくてもいいのだ。 感じることが出来れば変わっていたものを、 感じることが出来ないままだった。 この作品は若い男女の物語だが、 誰にでもあてはまりうる物語でもある。 感じることが出来ずに、 しぼんでしまった人という種の「心」。 ベルギー・フランス合作、 ダルデンヌ兄弟の脚本監督作品。 「ある子供」公式サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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