●●●Shall we Dance? シャル・ウィ・ダンス?
大切な人の前に立ち、手を差し伸べてダンスに誘う。Shall we dance?女性の手が男性の手のひらの上に。重なった手と手、同じテンポでステップを踏む。音楽に合わせて息のあったダンス。二人はもう、パートナーだ。ジョン・クラークにもパートナーがいる。ビヴァリーは、勤めながらも台所に立ち、二人の子どもたちと彼の誕生日を祝ってくれている。でも彼女は夫が何も欲しがらないから、箱に入るプレゼントが渡せないと呟いている。列車が線路の上を走っていく。意識しなくても行き先は決まっている。ジョン・クラークは弁護士、ジョン・クラークは夫であり父である。列車に乗っていれば良かった。だが、ふと目についた光景に心奪われる。古いビルの社交ダンス教室のネオン、窓辺には物憂げに若い女性が立っていた。ポリーナ、今の彼女にパートナーはいなかった。ブラック・プールのダンス・トーナメントで恋人とダンスのパートナーを一度に失っていた。行き先の決まった電車、乗っていれば連れて行ってくれる。だが、ジョン・クラークは途中で降り、社交ダンス教室の扉を開けた。そこには、さまざまな年齢の男女がいたが、まだみんな、パートナーがいなかった。まだ、誘えないでいたのだ。ジョンを含め初心者クラスの男性三人、最初から上手くいくはずもない、大変である。いつも稽古場にいるボビーは、競技会に出るために必死だがパートナーがいない。ジョンの同僚のリンクはカツラをかぶって、一番若い女性と踊ろうとするが上手くいかない。いくらがんばっても求めても、パートナーは見つからない。そしてジョンとビヴァリー。ジョンはダンス教室のことを言い出せず、ビヴァリーは探偵を雇い夫の疑惑を調査する。二人は大切な人の前に立てないでいた。周防監督の日本版とは変わらぬ展開、ボビーとリンクの怪演は嬉しい限りである。リチャード・ギアとジェニファー・ロペスの主演だが、ビヴァリー演じるスーザン・サランドンを含め、ハリウッド版は群像劇のようである。競技会へ出ることになったジョンとボビーのペア、めざましい上達をとげるがこの二人では、ラテンの情熱は表現できない。ボビーとリンクなら熱い情熱のダンスになった。努力も必要だが、相性も重要。佳きパートナー見つけるとは奇跡のようなものだ。お互いに求め合い、お互いを受け入れ、同じステップを踏める相手、魂を込めて踊れる相手なのだから。Shall we dance ? On the bright cloud of music shall we fly ?Shall we dance ? Shall we then say good night and mean good-bye ?Or perchance When the last little star has left the sky,Shall we still be together,with our arms around each otherAnd shall you be my new romance?On that clear understanding that this kind of thing can happen,Shall we dance? Shall we dance? Shall we dance? ピーター・チェルソム監督作品。自分から言い出せない不器用な大人たちをコミカルに軽妙に描きだす。佳きパートナーを見つけるのは奇跡のようだ。それでも大切な人がいれば、まずはちゃんと目の前で、誘ってみないと始まらない。全ては、そこからだ。