田舎は近所に葬式があると、隣保が寄って張場の世話をする。1日中、香典を持って来られる人を待ち、受付をする。「友引」などと言って日数が長くなると、当分の間は隣保が寄って、雑談会をする。
そんな中での話。こちらではミニ発電所がたくさんあり、原子力発電所や大型火力発電所で発電する電気は地元にはほとんど必要なく、原子力発電所をつくりたがらない広島に送電している。これってちょっとおかしいのではという話になった。危険負担をしているのだから、こちらの電気料金はもっと安くてもいいのではないかと思うのに、広島とほどんと変わらない料金である。広島のために長い送電線を引くわけだし、広島のために原子力発電所を作るのだし、広島のために火力発電所も作るのだし。だったら、広島に大型火力発電所や原子力発電所を作るのが、送電によるロスや莫大な設備投資もいらないのではないのだろうか。なぜ、広島の人たちは電気があるのが当たり前のような顔をして電気を使っているのだろうか。なぜ、広島の人たちは電気の設備に対する危険負担や費用負担をしないのだろうか。不思議である。わずか数億円の寄付で喜んでいるこちらの人の感覚もおかしいけど。もし、原発が事故を起こしたら、どんなに危険なのかこちらの人は分かっていないだろうな。大きな危険より、目の前のお金ですね。原発を抱えている地方なんてそんなものでしょう。目の前のわずかな寄付でころりといってしまう。今に、法人二税の国への移管によって困った事態にならないと分からないだろうな。でも、きっとそうなっても分からないだろうな。広島の人って、とってもいいとこ取り。ちゃっかりもんですね。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.13 17:25:31
コメント(0)
|
コメントを書く
もっと見る