カテゴリ:光る君へ
「光る君へ」は、歴史上の出来事を、なにかと反対に描くことが多
いです。 最初の頃は忘れていますが、結構多いです。 道長と伊周の弓の試合では、史実として残っているのは、道長が最初に 「我が家から帝が立つならば・・・」 と言って的を見事に射貫いたのに対し、伊周の弓は動揺したのか、あさ っての方へ飛んでしまいました。 また、道長が、関白について言及して弓を射たら、的が壊れるかと思う位 の勢いで真ん中に当たりました。 で、次に伊周が射ようとするのを、これはドラマ同様道隆が、 「な射そ。な射そ(射るな、射るな)」 と、止めました。 これは「大鏡」に載っている話なので、人によっては、事実かどうかわか らない、と言います。 確かに、いかにも・・・という話ではありますね。 清少納言と斉信の関係もそうでしたね。 反対に描くことで、ドラマらしくなるのか、現代の人に通じやすくなるの か、私にはわかりませんが、大石静さんの考えがあるのでしょうね。 弓の試合では、伊周が言い出した方が、伊周の尊大さを強調出来ますね。 また、詮子が一条帝の寝床にまで押し入って、関白は道隆に、と説き伏 せた時、史実では、根負けして一条帝はその場で道長にすることに同意 されます。 さて、顕光が段々おバカらしさを出してきましたね。 道綱と2人でおバカ役❓、癒し役を担うのでしょうか。 今日は、画像が入りませんねー 次回は、伊周、隆家が花山院に弓を射る場面があると思います。 これも、今読んでいる「小右記」のはじめの方にありました。 事件が起きてすぐ、実資は事の次第を聞いています。 そして、それから約10日後にあった除目(諸官職を任命する儀式)に、 伊周の席は設けられず、人々は、それは当然のことだ、と言ったとあり ます。 そして、実際に伊周等の処分が決まったのは、それから3ヶ月後でした。 ただ。「小右記」も、全部が残っている訳ではないので、定子の初めて の出産やその死については、記事が飛んでいます。 いつもポチっと応援ありがとうございます にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 8, 2024 12:31:50 AM
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