カテゴリ:光る君へ
二度までもUPに失敗して二度も全文が消え、心が折れたみことです
彰子のお産は、「紫式部日記」に忠実に描かれていました。 お産の時の様子、一条帝の土御門邸行幸、五十日のお祝いの騒ぎ、と総て そのままです。 ただ、まひろ達女房が白い装束で無かったのは不思議でした。 お産が進む中中宮の気に障ってはと、道長は倫子、最高位の女房2人程を除 いては、少し離れた所に移るように言いました。 その場所では、40人もの女房がいたので、裳の裾は絡まるわ、大きな袖が 重なるわで、身動きもままならない状態でした。 でも、不思議なのが彰子付きの女房なら、白装束のはず。 衣装だけでなく、家具類まで総て白にするのですから。 それなのにまひろ達は普段の装束でしたね。 白い装束を揃えるのがたいへんだったとか❓ 時代考証も付いているのに、何故でしょうか。 難産で、僧侶たちはもののけを調伏するどころか、引き倒される程だったと 言います。 そんな中、色々指示を出す道長の声は、大勢の僧侶の読経の声より大きく、 良く通り、また道長が唱えるお経の声が何に増しても頼もしかったと紫式部 は書いています。 道長のように気がしっかりした人がいると、このような場合とても心強い ですよね。 彰子は仏の加護を受けるべく、頭頂部の髪を少し切って出家の真似までして います。そして、そんな様子を知った女房達は、どうなることかと涙を流 します。 無事にお産が終わると、汗と涙ですっかりお化粧が崩れてしまった女房達。 中には、小中将の君のように、馴染みの源頼定(後に一条帝女御元子の夫に なります)に声を掛けても、誰だかわかってもらえなかったという笑い話も。 どんだけ塗ったくっていたのかと思いますが、時代はかなり下って徳川慶喜 の御台所である一条美賀子の写真をば。 手の色と比べると、かなり塗っていますね。 それでも目が大きいことや鼻や口の形はわかるから、普段はそれで判断して いたのが、すっかりおしろいが剥げたら逆にわからなくなったようです 彰子は、お産の後、好きだと言う青い衣裳を身に着けていますね。 自分を持てた、つまり自信がついたということでしょう。 両方(C)NHK でも、ここにきてまひろの同僚女房達による意地悪が。 出仕当初、紫式部は同僚のいじめで半年も里に籠っていましたが、それを スルーしていたので、まさかここで出るとは。 思ってもみませんでしたよ、大石靜さん 赤染衛門にまで、左大臣様との仲は❓とか聞かれていたし、さてさて、 これからどうなるのかな❓ いつもポチっと応援ありがとうございます👶 にほんブログ村 にほんブログ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 26, 2024 02:00:21 PM
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