カテゴリ:光る君へ
「光る君へ」では、伊周・隆家兄弟が花山法皇を襲ったとされる「長徳の変」
が描かれました。 実際は「栄花物語」にあるような、牛車の中の花山法皇の袖を矢が射貫いた、 なんてことはなく、実資の「小右記」にあるように、伊周等の従者達が 花山法皇の童子2人の首を刃ね、持ち去ったという事件だったようです。 そっちの方が怖いかも。 花山法皇は、出家の身でありながら女性に通っていたことや、女性問題で 襲われたことを恥じ、事件をおおごとにしたくなかったようですが、そう はいきません。 現に実資は事件の翌日には事の次第を聞き知っていましたから、公卿達の 間にすぐに事件は知れ渡った訳です。 法皇を襲えば、命を取られても仕方がない位の重罪です。 伊周はどうしてこんなことをしでかしたのでしょうか。 3ヶ月後に処分は下されますが、伊周・隆家は定子の里第である二条第に 隠れたりして、そこへ検非違使が踏み込んだりと前代未聞の騒ぎとなり、 庶民は二条第にやじうまとして押しかけ、定子は中宮の御殿に検非違使が 踏み込むと言う屈辱に耐えきれず、自ら髪を切ってしまいます。 この頃、仲の悪い主人の従者同士が争うと言うことが時々ありました。 「源氏物語」の葵上の六畳御息所との車争いも有名ですが、詮子と定子 の従者同士の争い、道長と伊周の従者同士、道綱の母と時姫の従者同士、 斉信、隆家・・・と、挙げたらきりがありません。 主人が男同士の場合は、特に死者が出たりとことが大きくなる傾向があ りました。 主人が従者に直接「あの人は・・・」ということはありませんが、女房 から文句を聞いたり、雰囲気を察しての行動でしょう。 源氏が言ったように、主人がもう少し気を回して、従者同士が争うよう なことにならないように振る舞えないものか、と、私達も思ってしまい ますね。 従者たちは男で、若く、公家ではありませんから、血の気が多かったの でしょう。 いつもポチっと応援ありがとうございます にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 14, 2024 08:43:20 PM
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