カテゴリ:光る君へ
まひろを演じる吉高由里子さんのユニークさに感嘆したことがあります。
テレビに3~4人が出ていたと思いますが、翌朝の仕事がとても早い時、 どうする❓みたいな話をしていました。 目覚ましを増やすとか、でも、出掛ける準備に手間取ったりする・・・と いうようなことを話していて、誰かが、 「吉高さんなら、どうしますか❓」 と聞かれた彼女は、 「私なら、翌日着ていく服を着て寝ます」 と言ったのです。 目からうろこでもあり、面白いでもあり、なんか感心してしまいまし た。 さて、ドラマでは道長に憧れているような行成ですが、意外と❓仕事 は良く出来、一条帝からの信頼も厚く、また、性格的には愉快な面もあ りながら、律儀であり、また自尊心も人一倍といった面もありました。 清少納言とも仲が良く、恋人を装った手紙をやり取りしたりもしていま すが、その時清少納言が詠んだのが、百人一首にとられている、 夜をこめて 鳥の空音ははかるとも 世に逢坂の 関はゆるさじ です。 この時、2往復位手紙のやり取りがありましたが、そのうちの1通は 定子中宮がお取りになった、と「枕草子」にあります。 能書家だったので、ドラマにもあったように、彼の筆跡を欲しがり、 手本として手習いをする人もいたようです。 (C)NHK その行成で有名な話をば。 1. 彰子に定子の遺児敦康親王を育てるように奏上 敦康親王家の別当であった行成は、後漢の故事を示して彰子が親王を 育てることを一条帝に奏上する。 これは、彰子にまだ親王が生まれていなかった道長にとっても、将来 帝になるかもしれない敦康親王の後見をすることは利点があった。 2.彰子立后 一帝二后 既に一条帝には定子という中宮がいたのに、道長は彰子を立后させた かったので、悩んでいました。 その時、彰子を中宮に立てる理屈を考えたのが行成です。 その理屈とは、 ①藤原氏出身の后(東三条院詮子、皇太后遵子、中宮定子)はいずれも 出家しているので、本来藤原氏出身の皇后が行う大原野祭を道長が行っ ている。 ②定子は神事を行えないのに、神事分を含む物が納められている。 ③円融皇后・遵子と一条中宮・定子の二后並立は前例がある。 等々です。 この行成の奏上を最終的には一条帝も聞き入れ、彰子立后が叶いました。 道長は喜び、以後は行成のことは心配しないように、また、子供の代に なってもこの恩は忘れないように、自分の子供達にもよく言っておく、と 心底行成に感謝しました。 まぁ、頼通はほとんど無視したような感じ 面白味がある一方、自尊心が強かった話としては、一条帝の乳母であり、 道兼の妻の一人でもあった藤原繁子の例があります。 道兼と繁子の娘である尊子が一条帝の入内し、女御になりました。 その時、尊子を女御とする勅旨を届けたのが行成でした。 繁子は慣例に従って、使者の行成に祝儀の物を贈ろうとしますが、行成 はこれを受け取りません。 繁子は行成の従者に渡そうとするが、これも失敗。 到頭行成の家に持って行かせるが、行成の妻は「受け取る訳にはいかな い」とはねつける。 それでも、繁子の下人は行成邸に祝儀の女装束(袿でしょう)を置いて 逃げ帰ってしまった。 妻は、すぐに行成に書状で事の次第を知らせ、行成は人を介して、これは 受け取る筋合いはない、と突っ返す。 繁子は、一条帝や道長にまで訴えたが、まあまあ、といさめられ、諦め ざるを得なかった。 これは、前から繁子に対して不愉快に思う事件があった上、行成は自分 は藤原氏の嫡流だという自負もあり、大叔母とはいえ身分が格下の繁子か ら祝儀の物を偉そうに授けられるのを嫌がったからと思われています。 世の人達も、繁子をあざ笑った、なんて「権記」に書いています。 共に(C)NHK 蔵人頭は帝の秘書頭で、出世への登竜門です。 かなり有能だった行成は一条帝からとても信頼され、足かけ6年に亘っ て蔵人頭を勤めました。 途中で辞めたいと申し出ましたが(もっと出世したいから)、却下され、 道長も激務なだけに、色々考えて上げています。 更に、辞めた後も相談に乗るように、一条帝から言われた程。 因みに、実資円融、花山、一条の三代に亘って蔵人頭を勤めています。 いつもポチっと応援ありがとうございます にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 24, 2024 02:33:01 AM
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