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昨日の放送では、越前行きを前に、まひろと道長が久しぶりに会ってい
ましたね。 まひろは妾でも良いから、と思っていたのに、それを言えずに終わって しまったことを悔いていたのですね。 これからは越前編となりますが、紫式部の前半生は記録も残っていない ので、大石さんがどうドラマを綴っていくのでしょうか。 興味があります。 宗人との恋愛も有りそうですね。まひろもお年頃・・・を少々過ぎてい ますから、それもありでしょう。 為時パパ、いいですよねー。 朴訥としながら、まひろのことや惟規のことも思っていて・・・。 そうそう、最後にキスを交わしていた2人ですが、その後関係を持ったの でしょうか❓ あまりドラマを見ないので、私はそれで別れたと思ったのですが、(見た 通りにしか考えない脳無し)考えたら、その先までいってもおかしくない ですよね。 そう考えても良いのか、今時の恋愛(ドラマ)をどう見たら良いのか、 奥さん、教えて頂けると助かります。 ただ、2人は生涯一度だけの関係、とも思えまして。 さて、先日の行成のブログに書き忘れました。 なんと、行成は、道長と同年同日に亡くなっているのです。 万寿4(1028)年12月4日です。 つい最近見た記事では、道長は12月4日の午前3時~5時くらいに亡くなり、 行成は同日の夜になって亡くなったということです。 道長はずっと寝込んでいましたが、行成は12月1日にトイレに行ったところ で倒れ、それから数日で亡くなったそうです。 「栄花物語」では、とても苦しかったので、子供達の手を握りながら亡くな ったとあります。 彰子が中宮になれた時、それを叶えるべく、一条帝を納得させるような ”理屈”❓を考えてくれた行成に対してとても感謝した道長は、子供の代に なっても、良くするようによく言っておく、と言いましたが、それを守ら なかったのが長男の頼通です。 行成が亡くなったことを奏上しようとした人を出仕停止にし、それに対 して苦情を申し立てられると、 「そんなことは言っていない」 と、とぼけたり。 道長の葬儀なので仕方がないとはいえ、有名な僧侶を総て呼び、行成の 葬儀が出来なくなってしまい、道長の葬儀が終わるのを待って行う始末。 実資にはよく相談していた頼通ですが、行成は軽んじていたのでしょうか❓ 道長の最期は結構悲惨で、藤原九条家の遺伝病とも言える糖尿病が悪化し た上に、腫瘍も出来たようです。伊周も糖尿病で亡くなりました。 最期は下痢に苦しみ、何も食べなくても出るようで、娘達がお見舞いに来 ても、頼通は会わせていません。 これを、国文学者は、(着替えも間に合わない位で)糞尿まみれで、とて も会わせられなかったのであろうとしています。 そして、亡くなったと思ったが、まだ上半身は暖かかったので、周囲も死と は言えず、もうしばらく経ってから臨終としたという話もあります。 道長は62歳、行成は56歳でした。 いつもポチっと応援ありがとうございます にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 27, 2024 07:55:29 PM
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