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ドラマは長徳の変で中関白家が没落し、伊周等の母高階貴子が亡くなるという
悲しい結末となります。 貴子役の板谷由夏さんの演技は涙を誘いましたね。 (C)NHK 兄弟は地方へ左遷され、母を失った定子は初めての子を身ごもります。 しかし、定子が髪を切ったことで、僧を呼んでの正式な出家ではなかったもの の、当時、特に女性が髪を切るということは、強く出家を意味したと思われま す。 また、この後皇女を産んだ定子が一条帝に呼ばれて宮中に参内した時、一条帝 はこれまで同様に定子に構うのを、定子は”あるまじきこと”として拒んだ、と 「栄花物語」にあります。 これから見ても、定子自身が絶望のあまり出家を決意したことがわかります。 さて、定子周辺は、 「中宮様は出家されていない」 と言っていたようですが、世間では定子は出家したと思われ、それでは帝に 妻がいないと言う状態なので、それまで中関白家に遠慮して、というか、道隆 が他の女性の入内を認めなかった為、他の女御はいなかったのですが、ここで、 一条帝の跡取りを作るべく、女御達が入内していきます。 これは、母である詮子の意向もあったようです。 一条帝時代、春宮は冷泉系の居貞親王でした。 一条帝は円融帝の息子ですから、皇子が生まれれば居貞親王の次の春宮に立て ることが出来ます。 まず、公季(きんすえ・道長の叔父に当たる人・でも兼家の25歳年下の異母 弟なので、道長との年の差は10歳)の娘の義子と顕光の娘の元子が入内します。 公季は妻が親王の娘、顕光も妻は内親王なので、義子も元子も天皇家の血を引 く、定子よりも高貴な生まれです。 その後、一条帝の乳母で一時道兼の妻でもあった繁子が、道兼との間に生ま れた尊子を入内させます。 こちらは、母の身分も低く、一条帝が乳母の気持ちを汲んで入内させてあげ た形なので、寵愛もなかったようです。 この義子の入内を、兄の娘を入内させて息子が生まれれば、と期待した道長 の意向だったとする説もあります。でも、翌年彰子が入内していますから、 それはどうかな❓ 元子は、父親に似ず魅力的な女性であったようで、一条帝も寵愛し、それは 義子より勝っていたとあります。 彰子入内前は道長もどうしようもなかったのですが、999年に彰子が入内する と、義子や元子は宮中に上がれず、天皇とも会えなくなります。 そんな時、彰子が里邸に下がっている時に天皇は元子を呼びましたが、道長 を憚ってか、元子は夜に参内し、明け方には里邸に帰っています。 また、道長もこの元子の参内を詳しく日記に記しています。 この後、道長や頼通の養女・娘が入内すると、他の女御達が男児を産まない ようにする為か、他の女御は数年間も参内出来ないという状態がしばしば 見られます。 元子は妊娠しても、結局は流産だったと思われます。 「栄花物語」には、お産をした元子のお腹からはただ水だけが流れ出たと 書いています。 想像妊娠とも違うし、もしかしたら、奇形が生まれたとか、死産だった (死産はよくあることでしたが)とか、何か普通では起こらないようなこと が起きたのでは❓と思われます。 今は、流産とすることもありますが、産み月に生まれているので、流産では ないですね。 道長の娘達は中宮になった為か、夫を亡くした後もそのままですが、元子と 尊子は、一条帝没後再婚をしています。 でも、元子に男性が通っていると知った父の顕光は、元子の髪を切ってしま い、これは当時の人々も避難しています。元子の相手は、村上天皇の皇子 為平親王の息子であり、血筋も人柄も良かったからです(ちょっと女性問題 を起こしたことはありますが)。 女御が再婚をしてはいけない決まりもなかったので、顕光の行動は行き過ぎ、 と見られたのでしょう。 いつもポチっと応援ありがとうございます にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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June 2, 2024 01:05:23 PM
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