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昨日の大河ドラマで、入内した元子や義子に対して一条帝が関心を
示さないので、倫子が帝と元子を我が家に呼んで・・・となりました ね。 一応書いておくと、帝が出かけることを行幸といいますが、臣下の屋 敷に赴く時、屋敷の臣下は、それぁ、もう大騒ぎさとなります。 家中を磨きたて、遣り水をさらって綺麗にし、何なら建て替えをして、 帝を迎えます。 つまり、行幸はあんな風にこっそりとは行えません。 さて、元子を一条帝と会わせてくれると言うので、父親の顕光は 道長に深く、ふか~く感謝する途中で遮られていましたが(笑)、 前に書いたように、顕光はちょっとズレている人で、周囲からは そう言う目で見られていました。 カンニングペーパーを見ながら行事を進めても間違え、皆嘆息。 三条帝に関する儀式では、道長がやんわり辞めるように言っても聞 かずに行い、失態だらけで道長も実資も日記に罵倒したり、間違い を総て書いていては、筆が擦り切れる、と呆れ返っています。 他にも、彰子の第二親王のお祝いの席では、親王への贈り物を壊して しまい、周囲の人達のほうが真っ青になったことが、「御堂関白記」 や「紫式部日記」にあります。 また、お酒を飲み過ぎて”年甲斐もなく”(この時65歳)女房にしつこ く絡んでいると、「紫式部日記」にも書かれており、よく人から笑わ れたり呆れられたりしています。 こんなん、持っていました。 五島美術館、あ、そうだ、日本文学科の友達と一緒に行ったんだ った 酔った顕光の態度はこんなんだったかな、と。 実は、これ、説明では公任となっています。 皆酔っぱらっていたので、公任もそうだったのかな❓ ついでに実資も 乱れた雰囲気の中、実資が女房の袖口を数えている姿が、人より優れて いると、紫式部は書いています。 中には、これは過差(贅沢)を禁止する法が度々出されているのに、特に 道長家ではこれを破って贅沢を娘や女房達にさせていたので、実資は女房 が袿を多く着過ぎていないか、数えている、なんていう説もあります。 こんな場でそうでしょうか❓ 因みに、頁の間に挟まっているのが、顕光だということです。 見えないかな❓ そんな顕光の娘達ですから、ちょっと私達は不安になり・・・ません か❓ でも、前に書いたように、元子は一条帝の寵愛を受けています。 彰子入内後も、彰子はまだ12歳でしたから、帝は昼間は彰子の局に、 夜は元子と一緒に過ごしたようです。 何かおかしなこと (^-^; はなかったようです。 一条帝亡き後は、村上天皇の息子である為平親王の子源頼定の妻となり、 娘を2人産んだようです。 元子の妹に延子がいます。 こちらは、昨日のドラマに出ていた居貞親王の長男である敦明親王を 婿に迎えます。 まだ、親王が春宮になる前のことです。 こちらも仲が良かったようで、子供も3人❓生まれ、顕光の堀河邸で 暮らしていました。 敦明親王は一旦は春宮になったものの、周囲からの圧迫、或いは周囲 からの無関心により自ら退位することを道長に何とか伝えます。 自分の2人目の孫を春宮につけたかった道長は感謝して、明子腹の 寛子を敦明親王の妻とします。 これで、親王は延子邸には滅多に来なくなり、嘆き悲しんだ延子はあ る日、鼻や口から血を流して亡くなったと「栄花物語」にはあります。 実資は、心労が原因だろう、と書いています。 可哀想ですね、これでは父と一緒に悪霊にもなるでしょう。 顕光は死後、道長の娘達に祟ったので、「悪霊左府」と呼ばれるように なり、道長一家には恐れられました。 だから、恨みを買うようなことはするもんじゃない、と言いたいところ ですが、この孫が春宮になった時点で、他の系統が天皇になる可能性が なくなり、道長も一息つけたという状態になったのでしょう。 いつもポチっと応援ありがとうございます にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 10, 2024 10:01:38 AM
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