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まだ彰子は入内していません。
これで、年内までに紫式部の人生の大半を描けるのだろうかと、少々心配な みことです。 彰子に白楽天「新楽府」を教える紫式部(右)。 彰子は小袿ですね。 私、写真を切ってしまいましたが、紫式部は後ろに長く裾を引いているの で、唐衣・裳を着けているようです。 覚えていますか、奥さん❓ 新楽府には、庶民の社会批判や風刺が収められているので、施政について 参考となる書で、一条帝も紫式部が新楽府を読んでいるようだと言ってい ましたね。 あと、お産時、みんなが真っ白け、の絵巻も先日のブログに載せましたの で、お暇な時に是非どうぞ これからいよいよ彰子の入内となりますね。 彰子に帝の妻は務まらない、と言っていた道長が、どのように変わるのか、 どうして彰子を入内させようとなったのかに興味があります。 彰子は数えの12歳で裳着(女子の成人式)をし、入内します。 彰子の裳着には、従姉である中宮定子からも贈り物がありました。 また、実資は知らなかったので、当日道長邸に行かなかったことを、後で 人を通じて道長から注意を受け、困惑しています。 前回の放送では、居貞親王(後の三条帝)が、定子が困っているようだか ら、何か送ってやれ、と言っていましたが、定子は親も兄弟もいなかった けれど、そこまでは困っていなかったようです。 脩子が生まれた時、一条帝から遣わされていた女房に沢山の贈り物をして いて、その女房から水臭いことを、と言われています。 誰がやりくりしたのかはわかりませんが、中宮としての物は与えられていた ので、生活に困ることはなかったと思います。 (C)NHK 赤ちゃんまで、どの子も可愛い「光る君へ」 実資も定子は出家したので、もう中宮ではないとして、その後敦康親王 を産んでも、 「世の人は、これを『横川の河聖(かわひじり)』と言う」 と、日記に記しています。 私が若い頃、この一文の正確な意味は不明とされていましたが、今では、 変わり者の横川にいある聖=僧に例え、定子が出家しているにも拘らず、子供 を産んだことを嘲笑したとされています。 「出家らしからぬ尼」と言う意味だと、佐藤有貴氏は書いています。 出家した定子から生まれた親王だったので、実資はこんな書き方だし、道長 に至っては、当日の彰子の女御宣旨の方が遥かに大事なので、日記には何も 書いていません。 でも、ここで親王が生まれたので、公卿達も形勢がどうなるかわからず、 敦康親王誕生時にはお祝いに駆け付けています。 敦康親王が生まれたこの日は、彰子が入内後、女御宣旨を受けた日と重なり、 貴族達は両方のお祝いにあたふたしたようです。 貴族達も勢力を見極めて自分の動きを決めるので、とても難しい状況でしたね。 いつもポチっと応援ありがとうございます👶 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 22, 2024 11:54:27 AM
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