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平安時代の名前は、男性も女性も正確な読みはわかっていない人が多いです。
今回の大河では、時代考証の倉本一宏さんが唱える読みで統一されています ね。 一条天皇のいみな(漢字が出ない)の懐仁は、「やすひと」と呼んでいま したが、一説では「かねひと」です。 三条天皇(今はまだ春宮ね)のいみなの居貞は、「いやさだ」となっています が、一説では「おきさだ」。 道長や伊周などは、そのままでしょうが、意外と本当の読みがわからない ことは、天皇のいみなですら多いです。 ということで、彰子。 姉が詮子で、恐らく・・・恐らくはあきこでしょう。 妻が明子なのは偶然ですが、姉と妻があきこで、更に娘にあきこと付ける でしょうか❓ 姉の名前にあやかって、ということはありそうですね。 特に、道長家では、娘が生まれたら”后がね”として育てようと決めていた、 と「栄花物語」にあります。 詮子は夫婦仲こそ良くなかったけれど、皇太后になっていますから、 是非娘も・・・と思っても不思議ではないかも。 でも、円融帝の寵愛は得られなかったのが気に掛かりますね。 で、彰子はしょうことも考えられないかな、と私は思ったりもします。 明子も、父親が「高明(たかあきら)」なので、「あきらこ」だったの ではないか、なんて説も一部にはあるようです。 こじつけっぽく聞こえますけどね(笑) かなり昔になりますが、829年~900年い行き、文徳天皇女御で、 清和天皇の母となった藤原明子は「あきらけいこ・めいし」となって います。 めいし、は詮子をせんし、彰子をしょうし、定子をていし、と読むのと 同じですが、あきらけいこはどうやら本当にそう呼ばれていたようです。 また、「栄花物語」の中で、村上天皇中宮で兼家の姉妹である安子には、 「やすいこ」と、フリガナがふってありますから、彼女はやすいこだっ たのでしょう。 このように、今から1000年前ですから、今とは違った読み方があった ようですね。 しょうし、のような音読みをした名前があったのかが、いまのところ 分からないので、しょうしはないかもしれませんが、あきこねぇ。 どう思いますか、奥さん 因みに、彰子や定子も恐らくは入内が決まり、従四位や従三位等の位を 得た時に、名前も付けるのではないか、というのがこの頃の説のようで す。 彰子については、服藤早苗氏は、 「藤原全子の例から判断すると、長保元年二月の裳着と同時に従三位 に除されるにあたって名付けを行い、朝廷に提出されたものと推察さ れる・・・。」 としています。 わらわらと。。。 まだ結婚前(裳着前かな・彰子は裳着で緋色の袴を履いていたよう な・・・)の娘は紫色の袴ですね。 今の皇室は結婚前は紫、結婚後は緋色となっていますね。 北条政子も、源頼朝が亡くなってから19年後、朝廷から従三位を授かっ た時に付けられた名前だということは有名で、幼名はわかっていませ ん。 鎌倉時代でも、まだこのように、特に女性の名前は朝廷から位を授け られでもしないと、わからないのですね。 ですから、恐らく彰子の妹達も、その他の女御達も家族から呼ばれて いた幼名を知ることは出来なさそうです。 残念です。 「源氏物語」の中に、「瑠璃きみ」と言う名が出てきます。 これは、玉鬘の”幼名なるべし”ということで、「子」の付かない名前 であった可能性もありますね。 意外と今で言えば、キラキラネームと言える程、綺麗な名前もあったの かも✨ 知りたいなぁ。 いつもポチっと応援ありがとうございます にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 8, 2024 07:59:45 AM
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