カテゴリ:光る君へ
昨日、一昨日と涼しい夜を過ごせました。
でも、今朝は主人が休みだったので、寝床で頑張っていたら、丁度8時に なった途端、部屋がむ~っとしてきて、1階に下りました。 10時過ぎに買い物に行ったら、風も吹いていたのでまぁまぁ楽でしたが、 帰宅してからしばらくは、15時くらいに出かけた位いつまでも身体の暑さ が取れず、焦りました。 やはり、異常な暑さは朝でも保冷剤を首に巻くとか、ケアした方が良いよ うです。 まだまだ猛暑が続くとか。 奥さんも、くれぐれもご注意くださいませね⚠️ さて、又昨日のドラマです。 一帝二后についての場面。 行成が行ったり来たり、間に道長が日記を書いたのを消したりしていまし たね。 ドラマだとサーっと事が決まったように見えましたが、これは結構よく 事実を踏まえて作られていました。 一帝二后を考えたのは晴明ではなく、道長だと思いますが、丁度彰子入内後に 冷泉天皇后であった昌子太皇太后が亡くなりました。ここで、后の位が1つ 空きました。 皇太后は円融天皇后の遵子、中宮が定子なので、定子を皇后に上げ、空いた 中宮に彰子を入れようとするのは、ドラマで晴明が言っていた通りです。 あくまで、道長は”良い人”なのね まず、道長は、一帝二后を考えてくれるよう、一条帝を説得して欲しいと いう手紙を、蔵人頭行成を使いとして東三条院に届けます。 了解した東三条院は、息子である一条帝にその旨を薦める手紙を一条帝に 書き、行成を持たせました。 行成は、女院の手紙を帝に渡すと共に、道長の意向も伝えます。 一条帝は悩み、信頼する行成にも意見を求めます。 その時の行成の意見は、黒板伸夫氏著の「藤原行成」では、黒板氏の私見 として、 「・・・立后のような大事を私ごときが考え及ぶところではございません。 但し、大臣(道長:みこと註)がお願い申し上げることは切実で、・・・。 今日の所は立后の期日はお示しにならず、許諾の趣のみお漏らしになっては いかがでしょうか。 (太皇太后昌子の喪中であることを考慮して、今は話を進めない方が良いと の判断が入ります。) ・・・それは後日大臣が参入した時に御前に召して直接仰せられるのが宜し いと存じます」 だそうです。 そして、行成は帝の返書を持って再び東三条院へ向かい、次に女院の文を 道長に届けています。 これ以外にも、何度もやり取りがあったらしいです。 このことだけからも、蔵人頭がいかに激務かがわかると思います。 車もない頃、夜遅くなろうと、急ぎの用件に関しては、夜が更けるまで あちこちと連絡を取り、帰れないこともよくありました。 道長が行成に深く感謝をして、以後は子供の代になっても兄弟のように親し くさせ、この恩に報いたい、と伝えています。 まぁ、頼通がそんな考えはもっていなかったことは、以前書きましたね。 頼通どころか、道長も、後に行成がお寺の額だかを書いた褒美に位を上げて 欲しいと言った時断っているんだから、もう 言ったこと、守りなさいよ、まったく また、行成は東三条院から、 「后の事、許すべき天気(天皇の気色)有り」 と言われています。 これで、道長は一帝二后が叶ったと思い、自分の日記に、晴明に勘申させた 立后に良い日時を記しています。 ところが、すぐ後に一条帝は行成に、 「一帝二后のことは、しばらくは公にしてはならない」 と言われ、帝はまだ迷っていたのかと驚きます。 恐らく行成からそのことを聞いた道長、直ちに日記の先程の部分を総て、日記 中一番太い線で消しています。 これが、ドラマの中でも取り入れられていましたね。 帝の許可が下りていないことを知り、道長はドラマの中より遥かに驚き、焦り、 慌てて消し去っています。 ということで、一帝二后については、ドラマではほぼ史実通りに描かれています。 本当に、大石静さんはよく調べ上げて脚本書いています。 (C)NHK 思ったよりバチバチでしたねぇ、倫子。 いつもポチっと応援ありがとうございます にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 23, 2024 03:55:41 PM
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