カテゴリ:光る君へ
先週の「光る君へ」で、宮中に彰子を訪ねる倫子が唐衣・裳を着けていま
せんでした。 何故でしょうか 宮中では、后や皇族以外の女性は着けていなければならないはずなのです が・・・。 (C)NHK 赤染衛門は着けていましたね。 定子が両親や妹達と宮中で会った時、姉妹は、中宮、春宮妃などだった ので、小袿に裳、というイレギュラーな服装でしたが、母の貴子じゃ唐衣 ・裳を着けていました。 その後の詮子四十の賀では、皆詮子と一条帝がいるので唐衣・裳を着けて いましたね。 共に(C)NHK なんでかなぁ ところで、巌君。 「いわお」が普通だと思っていました。 (C)NHK 私は以前のブログに、巌君に帝の御衣が下賜されたと書きましたが、ドラマと 違い、田鶴君には禄が与えられ、巌君には抱えきれない程の禄(結局衣)が与え られ、更にの舞の師である多好茂(おおのよしもち)が位を上げてもらったよ うですね。 今のは「大鏡」からです。 「小右記」や「権記」では、本番日前の試楽(リハーサル)の日は、田鶴君 が帝の御衣を頂き、巌君には何もありませんでした。 だから、本番では詮子の養女であった明子の息子の舞の師に褒美を与えても 良かったのでは❓とも思いますよね。 多好茂を叙爵したのは帝ではなく、詮子でした。 多好茂は、道綱が16歳頃、弓の試合に備えて舞を教えており、この時の道綱 の舞は人々を感動させ、円融天皇から御衣を賜り、道綱の母を喜ばせています。 とに角、道長はドラマと違って激怒して、わざわざ自分の屋敷で行った賀を 放ってどこかへ行ってしまい、帝から再三戻ってくるようにと言われても 戻りませんでした。 更に、「前例がない」と、実資は反対していましたが、この夜一条帝は道長 の土御門第に一泊し、翌日は駒競べ(こまくらべ・現在の競馬)をご覧に入れ ようと計画していましたが、帝の宿泊は止めとなり、内裏に帰ってもらって います。 「大鏡」では、倫子が機嫌を損ねたので、後に田鶴君の舞の師も叙爵したという 話です。 ただ、道長にしても、本妻腹を優遇していたし、彰子の弟を引き立てて欲しい とも思ったでしょうしで、こうなったようです。 田鶴君の舞の師も同等の位を与えられることとなり、何とか収まったものの、 可哀想なのは巌君で、彼の舞はその後も誉められているので、元々素質があ ったのでしょう。 それを評価されたと思ったら、父親は激怒。 いや~な雰囲気で祝宴はぶち壊しとなり、彼は自分がどうしてこんな目に遭う のかわからなかったことでしょう。 まして、試楽の時、田鶴君が御衣を賜った時の文字通り狂喜乱舞した父親を 見ているから尚更です。 この時、道長は喜びに堪えず、もう一度田鶴君を舞わせたり、自分まで帝の 前で舞ったりと、それこそ全く”前例にない”ことをしでかしています。 この時との違いに、巌君は父親に対してトラウマを抱えてもおかしくない位 です。 また、同じ父親を持っているのに、と倫子腹の息子達に対しても、面白くない 感情を持ったでしょう。 それでも巌君は1歳年長である頼通と良好な関係を保って右大臣までになって います。 しかし、弟達は(末弟の長家=倫子の養子を除く)反発し、一人は道長が自分を 蔵人頭にしなかったことで出家してしまい、もう一人は、頼通に従わず、 脩子内親王や敦康親王側に立って2人を助けています。 更に、藤原家の後ろ盾が無い、道長次女姸子の産んだ禎子内親王を助け、その 息子である後三条天皇が位に就くまで支援しました。 やはり、2人の妻を持つ、てとっても大変なことなんですね。 いつもポチっと応援ありがとうございます にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 4, 2024 02:17:44 AM
コメント(0) | コメントを書く
[光る君へ] カテゴリの最新記事
|
|