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詮子が一条帝に対し、病の者に近付くと穢れが移るからいけない、と
言いましたね。 でも、「死」は穢れですが、病気のお見舞いは当時普通にしています。 他でもない一条帝が詮子を見舞っていますが、その時、詮子は一条帝の顔 を自分の顔に押し当てて涙を流しています。 病人に触れることもOKでした。 まひろはまだ切り袴ですね。 他の人達は皆長袴なので、とても奇異に感じます。 恐らく、まひろは貧しいから・・・だと思います。公任の四条の宮に通うの も、牛車ではないのでしょう。 でも、自分の屋敷では長袴が普通です。 あと、袿の下に着る小袖が水色なのも。 和泉式部も水色を着ていましたね。 まぁ、これは衣装の方の考えでしょう。色で楽しんでいる、または私達を楽し ませてくれているのかも。 四条の宮で、公任の妻の敏子が円融皇后の遵子だと思いました。 本当に女性の顔が似ている人が多いですね。遵子は公任の姉なので、公任と 遵子が似ているのは良いのですが、嫁と義姉が似ているのはどうかと。 因みに、四条の宮には、遵子も同居しています。ぞれからは屋敷内別居状態 だったようです。 羹次(あつものついで) これは、道長と公任、斉信、行成が鍋や料理を囲んでいた様を言います。 倉本一宏さんによれば、 「野菜や魚肉を煮た料理を肴に行う宴会」 と言うことです。 長保4(1002)年頃内裏で盛んに行われていたようで、ドラマでも取り上げて いた干ばつのさ中でも、羹次は流行っていたそうです。 ドラマでは道長邸で行われ、鍋で煮た料理の他に、雉を櫛に刺して焼いた、 所謂焼き鳥なども出されていましたが、原則内裏で行われたもののようです。 (C)NHK それにしても、大石静さんの知識は大変なものですね。 そして、1シーンにさり気なく入れている・・・気が抜けません 羹次に似たものに、「一種物(いっすもの・いっしゅもの)」があります。 これは、各々が1種類ずつ食べ物を持ち寄って開く宴会のことなので、こちら は内裏に限らず公卿の屋敷でも行われていたようです。 間違っていたらすみません(汗) 当時は出汁を引くことも、醤油もなく、上流階級は煮たり焼いたりした料理に 後から塩、酢、ひしお(醤油の原型みたなもの)を好みに応じて付けて食した ようです。 炊き合わせのような料理はなく、一種類ずつ高く盛り付ける、皇室でお祝い事 があった時に見られるような盛り付けだったとか。 貴族はよく人を招いて宴会を催しましたが、そんな時には豪華な様々な食材が 出されたようです。 もっと下級や庶民になると、塩くらいしかなったとか。 塩梅、と言い、塩が味を決める総て、という説もありますが、ちょっと寂し いですね。 白米も税として納めるので、粟やひえが主食だったようです。 まひろには鬢があります。 いや、鬢は頭の側面や耳の所の毛を指すから・・・。 何と言うの、胸に掛かっている2本の細めの毛の束(笑) これは、大河ドラマあるある、で大抵結婚したらこの毛を付けますね。 なら、清少納言は❓和泉式部も結婚していましたけど❓ 赤染衛門にはありますね。 この区別を教えてください、NHKさん 女優さん達は、耳の下からこの毛を出していますが、実際にこの髪形をする には、前の方の髪を切るしかなさそうですね。 奥の方から髪を持ってきても、寝たりしたらどこかへいってしまいそう(^-^; いつもポチっと応援ありがとうございます🍲 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 9, 2024 12:13:56 PM
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