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紫式部が彰子の女房として宮中に上がった時、これは「紫式部日記」に
書かれていることなので全く紫式部視点での話ですが、同僚の女房達は 挨拶をしても返事をしてくれず、無視されたそうです。 紫式部としても色々考えて行動しても、結局は誰も話してくれないので、 早々に里に帰り、その後半年は宮中には戻らなかったとか。 (C)NHK いやぁ、綺麗ですね。色とりどりの女房装束。 でも、何故赤染衛門だけ喪服みたいなのでしょうか。 これは、女房達が皆高位の生まれで、受領階級の娘である紫式部を低く 見ていたこと、それなのに、彼女は一般の中宮の世話は免除され、物語 を書くことを主な任務としていた特別待遇を妬んだ為かと言われています。 ドラマでは、夜中眠れなかったまひろが寝坊した時に、 「どなたかの足をもみに行っていたのかしら❓」 位で終わっています。 これが橋田壽賀子さんなら面目躍如、昔の「隣の芝生」ではありませんが、 いじめは私が見たくない程巧妙に描くのでしょうが、今回はそこはほぼスルー して、「源氏物語」を重視したのかな❓ 初出仕後数日で里帰りし、それから半年も籠っているなんて、相当紫式部に は応えた出来事だったでしょうに。 具平親王家では、こんなに位の高い女房はいなかったでしょうから。 でも、私はこういう話は好きではないので、ありがたいです。 また、ドラマでもわかるように、宮中はかなりバタバタと忙しいのも、 まひろの神経をいらだたせたようですね。 さて、まひろは宮中に女童(めのわらわ)を伴って上がりましたね。 以前、少女の正装である汗衫について書きましたが、今回、女童が着ていた のが汗衫のようです。 薄物も白い生地でしたね。 丈は、昔の絵巻などで見るより短くしていましたが、絵巻の方が実際より 大袈裟に描いていた可能性もありそうです。 これで歩けるのだろうか❓ ドラマでは・・・ 本当は紫式部が宮中に上がったのは、大晦日(その年の大晦日は12/29)で、 だから汗衫もこのような薄物ではないでしょうが、動きやすいし、少女らしい 軽やかさも出ますよね。 流石に長袴の上の、表袴(うえのはかま)は省略しているようです。 因みに、「栄花物語」を読むと、昔の后は女童を使わなかったが、彰子は 使ったと。そして、「かたちを好ませ給ひ」と、容貌のよい子お好きで、 「やすらい・やどりぎ」などと名付けていらした、とのことです。 まひろの裳にも模様が入ったのですね。 いつもポチっと応援ありがとうございます にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 2, 2024 11:42:25 AM
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