カテゴリ:光る君へ
道長と倫子は娘彰子の女房に、上流の娘を選んでいました。
これは、下の妹達に至るまでどんどん激しくなり、しまいに女房として来て もらえる女性がいなくなるような事態にまでなってしまいます。 大納言クラスは当然、しまいに故太政大臣の娘も女房として差し出すよう、 半ば、いや命令します。 最後には、花山法皇の娘(と言っても母親は下流の出)まで女房勤めに出る 始末。 でもこの人、里に下がっている時に盗賊にさらわれて殺され、遺体は犬に 喰われたような状態で見つかっっています。 当時、相当驚かれた話だったようです。 確かに倫子自身が宇多天皇のひ孫、つまり天皇家の血を引いているので、娘 達にも高貴な血筋の者を・・・というのはわかります。 でも、紫式部が「日記」の中に書いているように、(超)お嬢様育ちの姫君 達は、家では女房達に身の回りのことをしてもらっていた立場なので、男性 貴族が中宮を訪ねてきても、恥ずかしがったり気が利かなかったりして、 役に立ちません。 倫子の血を引いている=天皇家の血を引いている彰子、そして、上流貴族の 女房達は輝かしいけれど、女房としての働きには慣れていなかったり、中には ”特別待遇で扱うから”と言うことで女房に来た女性は、男性貴族が簡単には 近付けないようにしていました。 これでは、どうやって働くの❓ということですよね。 お飾りで終わっては意味がありません。 それに比べて、定子の母である高階貴子は受領階級の出。 定子に仕える女房達も、清少納言をはじめ、定子のサロンを彩るだけの実力 を持った人達を選んでいます。 貴子自身が円融朝の宮中に仕えていたので、内裏の様子もわかっていたのも サロン作りに大いに役立ったことでしょう。 それは、実際に定子と彰子のサロンの当時の評判を見れば明らかで、公卿達 は、定子のサロンを懐かしんでいます。 紫式部は出仕当時同僚女房達からいじめを受けましたが、公卿達にとって役 に立つのは紫式部のような受領階級の女房だったようです。 いつもポチっと応援ありがとうございます にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 8, 2024 07:11:27 PM
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