相棒が倒れました
17日の水曜日、相棒が倒れました。その日は、仕事で午前中に日本橋へ行った後 午後3時から別の企業へ行く為に二子玉川でランチを食べて、それでも3時までに時間があったから別の店でお茶を飲みながら、先ほど食べたランチがあまりにもクソ不味かったんで相棒に「ここのお店は確かに行きたいとは、前々から思ってたけどさぁー!どこの世界に看板商品の小龍包を冷めたまま出す店あるっ!?しかも持ってくる時に『お熱いのでお気を付け下さい』って完全にナメくさってるよねまぁ、もう二度と行かへんけど!!」っていうようなメールを出して、時間まで本でも読んでいようかと思ったら・・・。メールを送信した直後に(本当に間髪入れずにって感じで)、相棒のケータイから電話がかかってきて「あれ?おかしいな?この時間は、来客で電話できないはずなのに。」って思いながらケータイの電話に出ると「みるっひさんのケータイでよろしいでしょうか?」聞き慣れない男性の声。(実は、この時点で悪い予感はしてた・・・っていうか、何故か解らないけれど これまでにも全く同じようなシチュエーションの夢を何度か見てたから)「はい。そうです。」「こちら東京消防局(←って言ってたと思う)ですが、相棒さんが勤務中に倒れられました。」・・・・やっぱり・・・!!!その後、意識はあるがどこの病院に搬入するか解らないので いつでも連絡を取れるようにとか、既往症とか色々話す中でアタシの足は駅に向かっていました。訪問企業先にも急用で行けなくなったと連絡し、相棒の店もアタシが行くまで店を閉めて取り敢えず誰かが待っていてくれるように・・・と連絡して、とにかく搬送された病院へと向かいました。実は、相棒とは今月一杯で別れる予定でした。昨年の夏から色々とあり、何度か関係を修復したものの『元祖チャラ男』の相棒の性格は変わる事なく、アタシも自分の身体の事もあり疲れ果てていたんです。で、6日の土曜日にもう終わりにする・・・って事になったのですが、最後に今年の花見を一緒に行くか29日には咲いてるだろう・・・って話になり、連絡は取っていたんです。二子玉川から1時間程かかって、ようやく搬送された病院の救急センターに着いて、真っ青な顔で酸素マスクをつけて眠っている相棒。「すぐに先生がご説明しますから。」っていう看護師さんの言葉もそぞろに、相棒の手を握りしめました。すると、ちゃんと温かかったんで 心から安堵しました。以前、母親がICUに入っている時に最初駆けつけた時には、担当のナースが意識がありますよと言ってくれたんで安心して一旦帰路に着き、その途中で長兄に『オカンの心臓止まった』って連絡があって、すぐさまICUに引き返して 心臓マッサージを受けている母親の手を握ると最初は温かかった手が、だんだんと冷たくなっていったんで・・・。結論から言うと、4日程の入院で無事に退院する事ができました。その間、色々な手続きとかの為に相棒のいない部屋に泊まる事になり・・・。アタシは自宅では、家に着くと玄関で脱いだ靴はすぐにシューズボックスに仕舞うんだけど、相棒の家では脱ぎ散らかしたまんまにしているんです。ちょっとブツブツ言いながらも、靴を揃えてくれる相棒の行動が面白くて。今回も、靴を揃えてくれる人はいないのに いつものように靴を脱ぎ散らかしたままにして、出かける時に靴を履く時は脱いだ時のまんまの靴を履いて・・・。相棒と付き合って10年が過ぎて、その間本当に色々な事があって もう本当に最後・・・って時にこんな風になるなんて・・・やっぱり、この先もずっと相棒と一緒にいる事になりそうです。ソメイヨシノやないかも知れないけれど、相棒が入院した日には満開だった桜を夜桜バージョンでパシャリ。今回、アタシ達が行こうと目論んでる水上バスのほろよいセット結構オトクだと思うよ