宮古島旅行日記 - 2日目
宮古島旅行日記 - 2日目那覇のホテルに一泊し、朝食後、先生がまたホテルまでお迎えに来てくれ、国際通りを通って首里城へ。おみやげ屋には色とりどりの琉球ガラスが並ぶ。アメリカ軍のコーラの空き瓶を溶かして作ったのが発祥なので、比較的歴史は新しい。瀬戸物は豊臣秀吉が朝鮮から薩摩などに連れてきた職人さんたちを分けてもらったということだが、土が赤土だからだろうか、素朴な益子焼きなどに似ている。焼く窯は、韓国の窯と同じ洞窟型だそうだ。ところで、この先生、首里城の発掘・復元に携わったので、案内はプロ中のプロ。王宮は1m高く復元してあるそうで、中にはいると下が見えるようになっていた。国の大きさに比例するという王宮の大きさ(家臣たちが入れる大きさ)だが、韓国の景福宮を思わせる大きさで、石作りなのも似ていた。コの字型の建物に囲まれた中庭に家臣たちが並ぶのも韓国に似ている。籠は韓国とそっくり。上にのる籠だ。日本の籠は肩にかけて、下に乗る。ただ、中国もこのタイプの籠で、中国に似ているといった方が良いかもしれない。福建省と交易が深かったらしく、琉球の王は中国から任命されて、戴冠式を行っていたらしい。王様の名前は「尚○」だ。城内には井戸(泉)が2つあって、一つは王・王妃のみが使ったもの。もう一つは裏にあって、貴族・女官などが使ったものだが、日本軍の歯ブラシがたくさん発見されたそうだ。日本軍の兵士がここで歯を磨いていたらしい。防空壕などもあって、この辺りはあまり気持ちの良いところではない。これから行く、宮古島に住む霊感の強い叔母に言わせると、首里城は兵隊さんがたくさん「出る」そうだ。この井戸の水が下の池に流れ込むのだが、この池は高麗との交流の記念として建てられたという東屋がある。王宮の前に舞台があって、琉球の踊りが見れた。顔も手も白く塗っているのだが、こちらでも色白が美人とされるらしい。貴族の踊りはリズムも踊りもゆっくりで上品だ。沖縄といってイメージするテンポの早いリズムと踊りは、農民のもの。お城の外に出ると王と王妃の石の墓がある。屋根もついていて、人が住めるんじゃないかと思える大きさだ。そのまま墓に入れて腐らせたらしい。骨になるまでの3年間が喪の期間で、骨になったら骨壺に入れて喪が明ける。その間に死人が出たら、前の遺体の肉をそいで骨にしてして新しい遺体をいれるそうだが、家に不幸があるのは、女に徳がないからだとして、この作業は女性の仕事だったそうだ。首里城を後にして、市場の方へ。「ちゅらさん」のお母さん、田中好子(スーちゃん)が働いていた市場だ。そこの食堂でソーキそばと子供に焼きそばを注文した。「そば」は韓国でいうカルククスで「そば粉」ではない。で、やきそばも同じ麺だったので、焼きうどんといった方が良いかも。「ソーキ」は骨付きリブ。韓国語でいったら「カルビ」。麺の上にのっている。スープがカツオだしというのが、日本的というか、関西風というか、沖縄風というか・・。^^醤油は使わないので、真っ黒な関東風ではない。市場には色とりどりの魚。真っ青か真っ赤か。でも白身魚だ。ハリセンボンっていうふぐの仲間もあった。毒はない。野菜も見たことのないもの、名前がならんでいた。歩きながら、宮本亜門とすれ違った。こちらに家があるそうだ。もっともっと、ゆっくり見たい那覇に後ろ髪を引かれながら3時05分の那覇発・宮古島行きの飛行機に乗る。3時55分宮古島着叔母・叔父が待っていてくれ、叔母の自宅へ。ススキのようなサトウキビ畑の間の道を信号が一つもない道をひたすら進む。たまにちらっと見える海の色だけが南国を思わせた。