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カテゴリ:お仕事
最近、月日の経つのが本当に早くて、気づけば6月も下旬。
担任業も3ヶ月になろうとしてます。 一泊移住も無事終わり、夏休みまであと一月を切りました。 今のところ、大きな問題もなく、日々を過ごせていることに感謝。 さて、最近しみじみと感じていることは、「子供はちゃんとしつけないといけない」という、当たり前のことです。 というのも、中学校に来て、何度も呼び出して叱らなければならない生徒は、小学校の時に、かなり好き勝手やっていた生徒だからなんですね。 そういう生徒達の、小学校での話を聞くと、かなりのことをしても注意されなかったとか。 確かに、一度授業見学に行った時も、態度の悪い生徒に、先生が何も言わないので「なんで??」と思ったもんなあ。 それと同じ調子で中学校でも幅を利かせようとしていた生徒も、中学校では徹底して叱られるので、表立って反抗的な態度は取らなくなりました。が、時々調子に乗って、暴言を吐き、その度に指導されて…の繰り返し。 つい数日前も、ある生徒が私に対して暴言を吐いたので、指導しました。 最初はものすごくふてぶてしい態度だったのですが、「君ができると思うから言うんやで!」と言った途端、表情に素直さが戻り始め、最後には反省が感じられるようになりました。 こちらの思いが通じたことが感じられ、嬉しく思うとともに、その思いを感じることができる生徒に対しても、「絶対、いいところを伸ばしていける!」と希望が持てました。 わがままを放置していては、その生徒の本当にいいところをのばすことはできない。 自分を律することを教えなければ、生徒一人一人の「自己実現」への道を開くことができない。 ふてぶてしい態度の中に隠れていた、生徒の素直さを見た時に、改めて強くそう思いました。 卒業生でも、頻繁に中学校に顔を出しにくるのは、大抵が中学校時代に好き放題やっていた生徒。 新しい環境では、今まで許されていたわがままが通らないことに戸惑い、つい「居心地の良さ」を求めて、中学校にもどって来る。 自分を律する訓練が足らないと、新しい環境に馴染むまでの期間が、途方もない苦痛に感じられるのでしょう。 そんな風にしてしまうのは、とても酷なことだと痛感します。 叱ることは、ものすごくエネルギーが必要。 そして、自分1人が注意しても効き目が少ないので、学年の先生と協力し合って、みんなで注意していかないといけません。 彼らの出身小学校では、そのバランスが崩れてしまったのかもしれません。 でも、叱られることに慣れずに育ってきてしまった生徒を見ると、本当にかわいそうだと思います。 幸いなことに、私が所属している学年では、「叱るべき時に叱らないのは教育の放棄だ」という共通認識を皆が持っています。 そんなありがたい仲間達との連携をいっそう強めながら、私自身の気力も衰えさせてはいけない…と強く感じます。 関わる教師の気力の衰えは、生徒のまっすぐな成長を阻害しかねませんものね。 自分を律する中でしか、磨くことのできない、自分の良さがある。 手軽に手に入る楽しさより、腰を据えて自分をじっくり鍛え、その結果得られる喜びを伝えていきたい。 そんなことを感じた1学期でした。 残り一月、頑張るぞ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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