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May 31, 2004
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世の中様々な人々がいてその性格も気持ちも考え方も十人十色だから一つに結論を決められないけれども、なんとなく一定の傾向性があると思う。恋愛や愛については、その人達同士の出会い、境遇、環境、色々なものが作用してくるし、初めも終わりも様々なストーリーがあるし、最終的に残るのはその人個人の「思い出」という形、またはその現時点においての活力源だったりするし、そしてまたは未来への希望になったりするだろう。ただ、一応人間、という考える生き物である限り、それがどんな形であっても(生理的でも精神的でも)人生の中で経験しない事はないし、そして死ぬまで受けていたり求めていたりする必要不可欠な要素であることは変わりない。

結婚などして1人の人をパートナーとしてずーっと一緒にい続けること・・・これを沢山の人々が「妥協と忍耐」という形で述べているけれど、実際そこに「愛」を見出してそのパートナーを一生愛しつづける事ができるのだろうか。それともやはり結局は「妥協と忍耐」になってしまうだけで、もうそれ以前の「恋愛」的な気持ちは残る事は無くなってしまうんだろうか。無くなってしまうような「恋愛」の気持ちは結局時間が経てば「幻想」として葬られてしまうものなのだろうか。こういうことはその時の本人達の気持ち次第なので、別にこんなに小難しそうに論理を立てて説明する必要など全くないし人によっては余計なお世話かもしれないけれども、なーんとなく頭に浮かんできたので自分なりにゆっくりと思うことを解き進めてみようかなぁ、と思う。

<恋愛は幻想>

恋愛にも当然色々あるけれども、取り合えず、とある人に出会ったりした時に心臓がばくっ!となったりはっ!とどきどきしたり、その人のことが気になって気になってしょうがなくなったり、一目見て呼吸が激しくなってしまったり、不思議だけれども頭よりも生理的な体の反応が恋愛が始まる一番最初に来ると思う。それからその人のことを考えたり、ちょっと見ただけで顔がほころんだり、うきうきしたり、そして何回も何回も会いたい、会いたい、と思ったりする。

次にその人が自分のことを気にしてくれないかな、と話し掛けてみたり、ちょっと親切な事をしてあげたり、また逆にいじめてみたりして相手の反応を伺う。相手の反応を見るのがうれしくて、また何かしてみる。そして、相手が自分に気を持ってくれるんじゃないか、自分の事好きになってきたんじゃないかな、なんて気にしてみたりしてお互いの「心」が引き寄せられていく時間をじわり、じわりと感じていく。

多分、ここまでの「さわり」の過程が一番楽しいんじゃないかな。ここに時間をかければかけるほど、本当にお互いが両思いだった!と確かめ合った時のうれしさはもう一生忘れられない「美しい思い出」になる。その時を思い出すだけで何年、何十年経ってもどきどきする事ができる。そんな素晴らしい瞬間だ。

さて、問題はそれからだ。その後にどんな結果がついてくるかでその「美しい思い出」も輝くか廃れるかはっきり分かれてしまうことが多い。歳を取って悪い経験を重ねていくともうその思い出を崩すような「結果」を考えるのが辛くなってきて、上の一番楽しいと感じる過程で大抵恋愛を止めてしまうようになる。もしくはその延長で自分にぴったりのパートナーを見つけて引退(笑)、違う違う、結婚という形で「さわりの恋愛」に幕を引くことができたりする。

では、「さわりの恋愛」の先の「結果」として何があるのか。

その恋愛で遂げた両思いの先にはたった二つの過程があって「精神的な双方の歩み寄り」と「セックス」である。大抵の場合、男性はこの恋愛とセックスは直結していて、両思いになったらすぐセックスしたい、となる方が多いみたいだ。両思い・好き=セックスらしい。しかし女性の場合、恋愛といえばその「さわりの恋愛」で築いた時と同様、精神的な気を引き合う、そして歩み寄っていく過程をいつでも求めていて、その延長上にセックスがあったりする。(もちろんすぐセックスしたいっていう人もいるだろうが)この場合、両思い・好き=精神的な歩み寄り>セックスとでもなるのかしら。

「美しい思い出」が廃れる一番の原因はその「セックス」により重点が置かれている場合だと思う。

男性のように気持ちとセックスが直結していると、女性が求めている精神的な歩みよりはとてもじれったく感じるだろうし、その違いを理解していないと男性はずーっと精神的な歩み寄りを図ろうとはほとんどしない。そして・・・同じ人とのセックスに飽きて、その相手の女性の中身もあまり理解できず、疲れて気持ちが離れていく。また逆に女性は決してセックスが嫌なわけでなくて、むしろセックスをした方が安心したりするけれども、相手に気持ちを伝えても完全に精神的に納得いくまで理解されないままセックスでごまかされてしまったりして、しまいにはセックスでなんとかしようとする相手の気持ちに不信感を抱いてしまい、気持ちが離れていく。(そして弱い女性になると自分が求めていなくても男性の「好き=セックス」を信じて、セックスをすることで男性に愛されていると確認しつづけてしまう事も起こる)

「セックス」はあくまでも一過性のもので、どんなに楽しいセックスをしつづけていても、それだけでは「愛」の絆は深まらないし一生を乗り越えられるような強さを持つことができない。ここで「精神的な双方の歩み寄り」が同時に確立されていないと、恋愛は結局セックスをして終わり、そしてそのセックスだけの為に別れや喧嘩など必要以上の精神的苦労を蒙りたくない、そんな「悪い結果」しか頭に浮かばなくなってくるので「恋愛は幻想」という「さわりの恋愛」だけを表現した言葉になるのだと思う。大抵、このケースが原因でできた「廃れた思い出」は頭に来たり空しさが残るものの方が多いと思う。さわりの恋愛感情と体だけ満たされて、残りの精神的安定感が生まれないからだ。だからなおさら恋愛は幻想になる。

もちろん別にどんなに精神的な歩み寄りをトライしても性格的な問題ですれ違いが起こることもあるし、それ以前に相手が自分に合うか合わないか「事前の見極め」もかなり必要な要素ではあるから「廃れた思い出」にも様々な原因があると思うが、セックス重視が原因の廃れた思い出は特に経験が少ない頃の恋愛に生まれやすいのではないかな、と思う。とにかく、こんな思い出が自分にとって負担であればあるほど、さわりの恋愛を求めたくなったり深い恋愛に臆病になったり、もしくは逆に「愛」を心底求めるようになったりとその人個人個人の行く先に深く思い出が影響する。

→→→続く→→→





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Last updated  June 3, 2004 02:15:25 PM
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