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テーマ:海外で出産するぞ!(33)
カテゴリ:妊娠の記録・幸せのキロク
今週は一体どのくらい壁腕立て伏せや階段の昇り降りをしたんだろう。まゆみちゃんが「花のつぼみが開く瞬間を想像すると子宮が早く開くようになる」と言っていたので自分の記憶にある限りの花を頭の中で咲かせた。もう、思いつく花がなくなるくらい、何百本の花を咲かせたと思う。
日曜の朝は父親に申し訳ない気持ちで一杯だった。しかし父は「あのね、お父さんは自分の子供の出産の時一回も立ち会ったことないんだよ。孫の出産に立ち会えるわけがないじゃないか。全然気にしてないから。」と笑って悲しそうな顔をした私を励ました。母も父が出産の日にゴルフに行ったり、放って置かれたりした事を思い出して「そうよ、気にしないほうがいいわ。一回立ち会わないといつまでも立ち会えないものなのよ~。」と笑っていた。日本で仕事漬けで何十年も休む間もなく働いていた父は、今回の一週間の訪問をゆっくり過ごしていて実にリラックスして喜んでいた。毎日、産まれるのを何もしないで待つのも辛いので開き直ってあちらこちら近場を観光に連れて行ったり、家に帰ってゆっくり寝たりして彼いわく、何十年分もの睡眠を今週取った、などと笑っていてまぁ、それなりにいいのかもしれない、と思うようになった。産まれなさそうだったのでノリノリは出勤し、親子3人でゆっくり毎日を過ごしていた。そんなのも随分と久しぶりだったのではないだろうか。 しかし父に初孫を見せたいがためにそうやって何日も運動していたので、私の体には毎日弱い陣痛が来ていた。いつも今度こそは本当の陣痛がきたか?とどきどきしながら時間が経つとその痛みは消えていたりしていたが、彼が帰るその日曜日の朝の陣痛はいつもより少々強い痛みだった。朝食を食べ終わりトイレに行くと、なんと「おしるし」とか多分呼ばれる血があそこから出てきていて、うわ、今日かもしれない、とちょっとどきどきする。しかし、病院には「しゃべれないような、歩けないような痛みが5分間隔になってきたら電話をするように」と言われていて、その時点での痛みは確かに痛かったが話せるし歩ける痛みだったので朝の6時半には父を空港に送るため、あまり気にしないで外に出た。 チケッティングとセキュリティー検査を済ますと、父は「きっとお父さんが帰ったら産まれるよ…」と言いながらゲートのかなたに去っていった。今回会ったのは1年数ヶ月ぶりだったが、次会うのも多分一年以上後で、ゆーゆーが産まれても会えるのは随分成長してからなんだなぁ、とちょっと淋しく思った。それよりもなによりも、これから一ヶ月父とは会えない母がとても淋しそうな顔をしていて、空港にいたおじさんがやってきてなぜか彼女のことを一生懸命励ました。 そんな悲しそうな顔をしていたのに、母親は最愛の旦那が去ると「じゃ、日曜の今日、産まれなかったらフォーシーズンズホテルでおいしいご飯を食べよう!」とこれまた開き直ってうきうきしていた。私も、いけたらいいなぁ?と思っていた。が、父が言い残した通りなのかどうなのか、空港をでた直後、なんだか今まで本当かうそかよく分からなかった痛みがなんとなく「こ、これはやばいかも…」と思うような痛さになってきた。家に帰ってトイレに入ると、また新たに血の跡が出てきていた。今まで「しゃべれないような痛み」っていうのがどんなのか分からなかったのだがその時来ていた痛みは、こう、じわじわっ、とやってきてやってくると体が締め付けられるような息がとまってしまうような痛さだった。時計を見ていると7分間隔ぐらいでやってきていて、痛みがやってくる度じわっと冷や汗をかいてそれに耐えようと体が固まってしまう。多分今日産まれそうだからそろそろ病院に行く用意をして、母とノリノリにと慌てて頼んだ。 ついに、ついに、ゆーゆーと会える日がやって来たんだ、と冷や汗混じりに確信した。しかも、父が帰った直後。うれしいんだか、悲しいんだかさっぱり分からないがそんなこと関係なくただ一つ変わらないのは、めっちゃめちゃ痛いんだけどー!っていうことぐらいか。そうやって思っていられる分、余裕なのかもしれないしまだ本格的じゃないのかもしれないがとにかく、父がいたところで父はどうやって何時間も待合室で待っているんだろう?というのが私の常日頃の疑問だったので、余計な心配の種が消えてそれはそれでいいのかも、なんてぼやーっと考えていた。 なんとなく5分おきに陣痛が来てるかな、と思った時点で病院に連絡をした。どんなに痛くてもあまり早く連絡して家に返されたら困るのでそれでもできるだけ我慢した。日曜日を担当しているドクターなんてろくなやつがいないかもしれない、とどきどきしていたがなんと電話をかけなおしてきたドクターは私の主治医で「取り合えずじゃぁ病院に来なさい」と言ってもらえた。私達は入院の荷物など一式持って慌てて病院に向かった。 *** 午前9時頃病院に入ると、早速部屋に寝かされて今まで受けていたNST(ノンストレステスト)と同じ機械をお腹につけて、心拍と胎動とお腹の針をチェックされた。ゆーゆーは起きているらしく心拍もそれなりに高く、陣痛もきちんときている。ノリノリは機械からでてくる山グラフを見て「あ、今陣痛来てるんだね」と私の渋い顔を見ながら手を握ってくれる。陣痛が来ない時は余裕で話していたが、痛みが来ると下腹部が10倍ぐらいに腫れているような激しい痛みに耐える為に思わず声が詰まる。呼吸法などをやってみるがあまり痛みが消えている気がしないし、音楽も耳に入らなくなってくる。優しいナース達が出迎えてくれて「大丈夫、きっとこのまま産まれるわ!」とか「自然でするの?!じゃー、XXっていうピルを飲めばなんとか越せるから頑張って!」とか「ほんとに無痛でなくていいの?!」とか色々話し掛けてくれて、痛みの波が時折やってくる中、気持ちを朗らかにさせてくれる。 しばらくして研修医のドクターがやってきて子宮の開き具合を調べた。 「うーん、まだ5センチね。」と言われる。 「それってどういうことですか?」と聞くと、 「初産だから大体一時間に1センチづつ開くので、この感じだと10センチまで後5時間、押す(いきむ)のに多くて2時間はかかるから産まれるのは7時間後ぐらいかしら。しかも、陣痛は6-7分間隔ね。」と答える。いいじゃないの!私は5分置きに感じたんだから!と心で思っていたがその時々来る痛みにそんなことを言い返す元気もなく、そうですか、と答える。 「自然で産むのよね。」 「はい。」 「じゃー、このまま5時間もここで待っているのは辛いから一旦帰ってあと2時間後ぐらいに病院に戻ってきなさいよ。」 「え!帰るんですか?!」 と、驚いては見たものの、こんなお腹に機械をつけてろくにトイレにもいけない状態で子宮口が開くまで5時間も待っているのは確かに辛いかも、と考え直す。私が思うようにすればいいとノリノリも母も言ったので、好きなだけトイレに行けるのがメリットだなぁー、とだけ考えて、この痛みに耐えて一旦帰宅することに決めた。数時間後、この痛みに耐えてどうやってこの病院に戻ってこれるのか疑問だが、そうドクターに言われるってことはできないわけじゃないのだろうからま、なんとかなるだろう…。ゆっくり、ゆっくり、下半身の破裂しそうな痛みと戦いながら駐車場まで歩いて車に乗り込んで家に向かった。 家に帰る車の中で痛みの山を昇り降りしながらノリノリと母とわいわいしゃべっていた。入院荷物の中に入れたバニラクッキーが無性に食べたくなって、家に帰ったらあれを開けて食べるから、となぜか私は宣言した。痛みで頭がもうろうとしているせいかそのクッキーが最高に食べたい、と思うことで家に帰る気力を保っているようなものだった。そして家の前に車を止めようとしたその瞬間、お腹のゆーゆーが「ばこっ!」と膀胱の下辺りをパンチして、陣痛とは違う、内蔵をつねられたような変な痛みが走った。 痛たたた…!痛いよぉ~。 半泣きで車を出ると、股から血の混じった水がちょろちょろと流れ出てきたのだった。 は、破水だー! 股からでてくる水は自分の意志で止められるわけでなく、無意識におもらしでもしているかのようにちょろちょろと出てくる。そのまま病院に帰りたいところだが、病院に帰るにはまず電話をして、ドクターから電話がかけ直されてきてそれで初めて病院に戻れるのだ。焦ってもしょうがないのでゆっくりとできるだけ体を動かさないように、ノリノリに「あのバニラクッキーだけは必ず持ってきて!!!」と叫んで家に戻る。 とにかく床にバスタオルを引いて股にバスタオルを挟んで横になる。陣痛の波はそれでも何回も何回も押し寄せてくる。冷や汗をかきながらノリノリに病院に電話をしてもらって、渡されたバニラクッキーを貪るように食べた。あぁ、なんておいしいの!これが食べたかったのよ!幸せだーっ!息が止まるように痛いけど、なぜかバニラクッキーで陣痛を乗り越えている私。うまい、うまい、うまい。 私がクッキーを食べまくってる間に、ドクターから電話が来てノリノリは今の状況を伝え、とにかくまた病院に戻るように言われる。しっかりクッキーを手にして車に乗り込む私とノリノリと母。病院を出て30分ほどしか経っていない、10時45分頃にまた同じ場所に着くと、さっきの看護婦が「おかえりなさーい!」と出迎える。痛みの波は何度も来てるけど、なぜかハイな私は「いい運動だったわっ!」と皆を笑わせる。痛いときは泣き顔なのに、口がやたらまわる。 同じ部屋に通されてもう一度子宮口を調べると既に7センチ開いている、とさっきの研修医が言った。破水して一気に広がったみたいだ。痛みの波はもっと強くなり、痛みが来るごとに下半身が破裂しそうになり今まで「うぅ・・・」とか「あ゛・・・」だったうめき声が「いったたたった・・・」「う゛ぎーっ」などと変わっていく。痛みがくるとノリノリの手を強く握って、ノリノリを見てしまう。ノリノリはそんな私を見てどうしようもなくて、強く手を握り返して「大丈夫…大丈夫だよ…」と真剣に私のことを見てくれている。そうやって何回も、何回も痛みと戦い続けていると、ナースがやってきてじゃ、部屋を移動します、と言う。わ、この部屋じゃないんだ・・・。ベットで運んでくれるのかと思いきや、自分で別の部屋に歩かされる。歩けない痛みなのに…。 →→→→続く→→→→ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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