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カテゴリ:恋・愛・人間関係と心理について
夫婦になるともうこの相手無しでは生きていけないんだな、と思うことはないだろうか。財政面でも家事でも相手との共同作業で生活がまわるし、実際それでいいのだけれど、自分の出来ない役割に対して相手に依存しすぎて自分の可能性を忘れる。
本当は結婚する前には自分ひとりで出来ていたことは沢山あったのに共同作業になると負担が減って楽になる反面、飛び立てる翼を失う。失った翼を気にすることなく過ごせるが、何かきっかけがあると突然「自分が翼を失っていた」という事実に気付く。それを知らなかった自分自身に愕然とする。 *** 欝で苦しんでいた頃、私は長い間「新しく生活をやり直したい」と毎日毎日願っていた。フロリダとかボストンとか、どこでもいいけれどフィラデルフィアに来たときと同じように0からの生活を始めて、一生懸命就職活動して新しい人々と出会って、そして誰かと結婚してまた…、そんなことを半分ぐらい具体的に計画していた。真剣だった。 しかしその願望の中で一つ自分の中で確信していたことは、例えばそうやって新しい生活を築いて頑張ったとしても新しい子供を生んだ瞬間、また同じように苦しみ、新しい生活を始めようと試みるだろう、ということだった。私の人生は子供を産んだことで終わって、その先が続けられないのだ、と激しく焦り混乱していた。何故そう思うのか分からない、でも切羽詰っていた。 なんせ行動力は人並み以上なので、思い立ったら家出した。旦那の顔も子供の顔も見れなくて会社帰りにそのままホテルに向かって泊まったり、夜中思い立って遠くに車を走らせてモテルに泊まったり、週末は子供を連れてホテルに消えたこともあった。家にいると料理とか掃除とかそんなことも思い出して気が狂いそうだったのでホテルは良かった。 あまりにも気が狂ってきたので仲の良い友達は心配して週末、旦那が仕事で一日中不在で私が子供と二人でいなければいけない間、子供の面倒を引き受けてくれた。「どこでもいいから、行っておいで」「別の部屋でじっとしていても大丈夫。ゆーゆーは見ておくから…」「今日はあっちの家で一日ゆーゆーを見とくね」完全な隔離をしてもらうと心が安定してきて落ち着いた。旦那と話すと落ち込み度が増すので帰ってきても簡単な会話をするだけですぐ部屋にこもってじっとしていた。 そのうち母親が来て一ヶ月の間少し気が楽になったけれども「生活をやり直したい」願望は私の中から消えなかった。カウンセラーの人に会う度「逃げたい」を連発していて「それは非現実的だよね?」とその度教えてくれて、そうか、それは非現実的なんだ、と頭で理解した。理解はしたけど、信じられなかった。 私に新しいきっかけが来た時、初めて逃げなくてもやっていけるんだ、と自信がでた。旦那のことを決して嫌いではないし愛している。でも、彼がいなくても私は生きていけるんだ。子供を抱えて一人で生きていこうと思えばできるんだ。私にはまだそのくらいの一人で生きていける力があるんだ、と確信した時「逃げたい」は無くなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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