~もっと歌謡曲!?
第5回 あの素晴らしい愛をもう一度~
第1067回 2009年10月25日
あの素晴らしい歌をもう一度
加藤和彦さん
加藤和彦さんの自殺のニュースにびっくりしました。
私がまだ中学2年生から3年生になった時にフォーククルセーダーズの「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットし、「アングラ」、「深夜放送」、「フォーク」が社会現象となっていきました。
それまではいわゆる「フォーク」は「フォークソング」という呼び方であり、まだ「フォーク」とは呼んでいませんでした。
当時、アメリカから渡ってきた「フォークソング」は大学生の芸能関係者の二世たち(森山良子さん、寺尾聡さん、黒沢久雄さんら)が歌って話題になっていました。
一方では浜口庫之介さんなどのヒットメーカーが「バラが咲いた」などをヒットさせていた時代でした。
流行歌もテレビや有線放送が主なヒットの点火先でしたから、ラジオの深夜放送という受験生に限られた聴衆者の支持で素人が作ったLPレコードから社会現象になるほどの大ヒットが生まれるとは誰が想像したことでしょうか。
あの「帰ってきたヨッパライ」から「アングラ」や「ハレンチ」という単語が素人「フォークシンガー」の代名詞となっていきました。
グループサウンズに夢中だった若者や女の子たちは「フォーク」に切り替えていき、グループサウンズは見事に姿を消してしまうのでした。
加藤和彦さんがフォーク・クセーダーズを作るまでのお話がいぜんテレビで紹介されたいました。
「メンズクラブ」という若い男性を読者にした雑誌の読者のページに「フォークソングコーラスメンバー募集」が掲載されました。
1965年9月号のことです。
募集したのは当時京都の大学に通う加藤和彦さん。
そしてフォーク・クルセーダーズが京都に誕生したといいます。
メンバーへのポジションも加藤さんが決めたそうです。
大学卒業と同時にフォーク・クセーダーズは解散することになりました。
解散記念にレコードを自主出版することになり、レコードは「ハレンチ」というタイトルになりました。
そのハレンチは全12曲。
その中の1曲が「帰ってきたヨッパライ」です。
加藤さんのアイデアでテープの早回しを思いつきます。
「帰ってきたヨッパライ」の誕生です。
レコードは全部で300枚。
みんなで手売りをしたそうです。
ラジオ局にも持ち込まれ、そこからこの「帰ってきたヨッパライ」は話題になっていくのでした。
(ここまではテレビ朝日放映「驚きももの木20世紀」で知りました)
つづく
加藤和彦さんに関するニュースや歌は
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http://news.mag2.com/archive/20091019100000