結果と過程
変な夢見る 魚を3枚にさばいているはずが、魚をおさえている妹の顔を剥ぐという非常にグロい夢だった なんなんだろう 朝:ベーぐる いちご昼 パスタ さらだ夜 とむやんくんぬーどる みねすとろーね 日報にも書いた今日の所感結果だとおもっていたものが、実は過程であった場合やはり最終的な結果を残さなければ、結果として残ったことにはならないんだろうなと。それをどうしたらできるかを考えて、あとはやるのみ ここからが本当の本心 結果だとおもっていたものが、じつは過程だった という、この悟ってしまった瞬間っていうのはなんだが絶望的である どうしたら最終的に結果がだせるかなんて考えるのは簡単だけどそれができていたら、すでに過程を経て最終的な結果にいるわけであって結果だとおもっていたこと自体が、いったいなんであったのか過程にすぎない、という単純な解説でまとめられるかもしれないが今までの過程と、最終的な結果にむけてまた新たな過程を進まねばならないこの 気の重さ しかし、それが人生なのかも とも、おもったりする。 「結果と過程」 ぐぐってみたら、いろんなものがあった 「結果 実はそれは過程」いいこといってるひとがいたその日勝つことは 結果なのか過程なのか。打率を3割にすることは結果なのか過程なのか、オリンピックでメダルを取れなくても それが結果なのか次回への過程なのか。仕事で良い結果を出したとしても 次にだめになっちゃったらそれは 結果と思ったけれど実は過程だったのか・・・いつか結果でいつが過程か・・・勝っても 仕事をやり遂げても、まだ、「あの時、なにかやれたんじゃないかな」って思って 次につなげること。それが、過程なのかなって思います。そして それが仕事をすることにおいて、一番大事なことなんじゃないかなって思います。 いつが結果で、いつが過程か。 ふうむ。 結果と過程 うーん、と悩むことも、ぐぐれば372,000 件 みんなが思うようなことを思う自分は やはり一般的な人間で なんとなく つまらなさも感じ似た業務を先行してやっている人にかけられていた言葉が、後発だった自分にもかけられているときなど、本当におもしろくない人間だなあともおもう 奇人変人になりたいわけではないが なんというか 普通で、いや、普通すぎて面白みのない人間なんじゃないか とおもったりす というようなことをおもっている時点でつまらないな