ひまわり
結局、放射性物質の吸収除去に効果は見られなかったという結果が出てしまいましたが「ひまわり」。福島の事故間もなくから土壌を安全なものに戻すためにひまわりへの期待は広がり、私にしたって「危険と言われる土地がひまわりで埋め尽くされたらどんなにいいだろう」と思ったもの。が、やがて「で、放射性を帯びたそのひまわりはどうするの?」ということにみんなが気づきはじめ、そんな矢先に先日の「効果はない」の発表です。自分や家族の体にいいことだと天然系の日用品を愛用していると、ここに共通するものを感じるようになりました。私は環境問題には疎い方で、エコがあれほど言われた頃でも「地球のために」というフレーズに胡散臭さを感じていたほど。日用品を替えた時でも「環境のためにもなるよ」と言われても「あ、それは別にどうだっていいのよ」というくらいでしたから。けれども今はちょっと考え方が違うのです。石油から作られた化学物質はいろんな働きをします。必要以上に泡を立たせたり、必要以上に香りをつけたり、必要以上にツルツルやサラサラの体感を生んだり。最初は「少しこんな香りがほしい。手触りがほしい」だったものが、どんどんエスカレートした結果に起きたこと。それはアレルギーや病気の蔓延だけじゃなくて環境にはもっと深刻なんだろうなあとやっと考えるようになったのです。今は企業の方でも物質を分解させる技術を講じてはいるのでしょうが、強力に汚れを落とせたり、除菌したり、モノを何年も腐らせなかったりするものが各家庭から排水されるとなると、浄水の工程では時間も手間もかかるのだろうと。それらが川や海に流れたり、土に返ったりするのは決していいことではないし「ほら、おかげで私の体はこんなにピカピカで部屋は除菌ができてていいでしょう?」であってもトイレやお風呂やキッチンから流されたその成分は?「私が気持ちよくあれば後は知ーらない」でいいんかなと。原発のおかげで電力量が潤い、人間は快適だったかもしれないけれど、そのゴミはどこへ行くのまで多くの人が考えなかった。今は見えないモノまでちゃんと想像して、この危険性はどこに行くの?と思わないと環境から人間へとツケは返ってくる。みんなが少しずつ意識をしたら世の中変わるかも、と原発NOのうねりを見てよく思う。環境に優しいというのは人にも優しいということを、ことばのイメージだけではなく芯から感じるこの頃。