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カテゴリ:音楽
昨日、台風接近の大雨の中、Jazz のWorkshopsへ。
会場はバーのあるライブハウス。 アメリカからTp.とDr.さんを向かえて、 課題曲を一緒にsessionしながら、簡単な講義と共に3時間たっぷり。 Jazzの基本、II-V-Iの連続、或はCycle of 5thのある曲。 でも、あんまりsessionではお目にかからない曲。 内1曲は、個人的にはコンポでやったことがあったので少々安心。 もう1曲は超高速、、Jameyのシリーズにはall keyで1冊あった、。 鍵盤系はサポートの方にアドバイスを。。 一度聞いてみたかった方だったので、 お話は理論というよりその背景的なものの蘊蓄が多かったけれど、 質問ぶつけることでいろいろ引き出せた。 日頃、漠然と思っていたことが話にでたので、確信したこといくつか。 voicingのことや、voicingのことや、voicingのこと、、。 難なく弾いているのを見ると、即興でvoicingしているように見えてるし、 いかにもそのように見せるけれど、そんな簡単なものでない。 家で一人でどんだけ時間かけて取り組んでいるか、、誰もそんなそぶり見せないもの。。 Jazz pianoの、いわゆるお稽古から入るとこんな問題には、 かなり経ってからでないとぶち当たらない。 sessionから入ると、まずこれにぶつかって挫折するか、 乗り越えてものになるかのどちらかだ。 2、3、4、5、6〜9音くらいまでの積みと、 さらにトップのヴァリエーションと横に流れるフレーズとしてのvoicing。。 さらにトラディショナルだけでなく、4thに5thにクラスターに、、、 掴みが変わると、それに伴いフレーズも変わってくるのでアドリブも変わってくる。。 まずvoicingありきで、その次にフレーズ。。 同じメロディーでもvoicingでsoundは全く変わってしまう。 単音楽器だって、それを勉強しなければ、自分の音楽を人任せにすることなる。 自分のsoundぐらい自分で考えろよ、、、。 コードが付けられたらそれでおわりじゃないのよ、、この世界。 テーマの大筋のコードからアレンジはリハモニして、世界観を肉付けしていく。。 編成にもよるし、ピアノのvoicingでも色合いが変わる。 instの場合もvoicingのトップとメロディーを協和する音程をもってくる配慮が居る。 Vocalの場合は気をつけていたけれど、Instもと言われ、そ〜か。。 voicingは上にテンションがくる。 musicianの書いた曲の場合、それを意識されたメロディーの場合が多いので、 気をつけなくても困らなかったけれど、 vocalもの、特にスタンダードはコードトーンがメロディーにくるので、 当然テンションがメロディーだと音程が採り難くて歌えないから。 voicingのtopがテンションでは不協和で歌えない、ピッチがとれないことになる。 だから、topはコードトーンだけれど、tensionをどこかに入れないと、 jazzらしくならないので、どこにtensionを入れるか、、 それを効果的に響かせるには音数も音程も考えなければいいsoundにならない。 それを考えるのに時間がかかる。。。だから面倒い、し、 かつ、keyがvocalistによって異なるので2倍面倒い。。 だから歌ものはやりたくない正統な理由が、ここから導き出される。。 BassもDr.もからみやソロにfrontの単音楽器にはその苦労は分かるまい。。 どんだけ気を使わなければならないかということ、、 だいたい、自分だけ楽しければいいと思って他の楽器のこと考えずに演奏する人が多い。 特にfrontは。。。気遣いも無い、我がままな連中ばかり。 マイナスワンCDで一生やってろ!って。。 だんだん前の文句ばかりになってきてしまったけれど、、 今回はいろいろ発見があって面白かった。 Bassはサポートの日本人で、しっかりした音がよく聞こえてやりやすかったし、 参加者のDr.もよくピアノ聞いててくれた。 安定したBassが遊びだすと、ピアノも遊べる。 前を煽るのがピアノの役目。煽るといういい方はあまりよくないのかも、 「呼び込みフレーズ」といった爆音バンドのDr.さんの言葉を借りよう。 呼び込み出すと、Dr.さんも参戦してくれて、それに前のヒート・アップしてく図。。 反応が感じられるというのは、イコール楽しいに繋がる。 以前にも何回か経験したことがあったけれど、この瞬間は面白い。 そうそう、「voicingが同じだとtopも同じことになり、ソロを縛ることになる」という 話も印象に残った。単なるバリエーションだけの話ではなかった。 workshops最後頃に、大物Dr.さんがひょっこり現れる。。 後ろに座っていた私は、びっくり。。 主催者のTpさんとユニット組んで演奏しているメンバーらしい。 ラストにsessionやろうということで、「12時や」をやることに。。 ピアノ弾かせてもらって、目の前にはその大物Dr.さん、、H原xきやさん。 やっぱり、すごい!聞いているだけではわからない、 一緒に音を出すことでしか分からないことってあるんだと実感。 こんなに、一緒にsessionさせてもらえるなんてもう一生ないだろう。 音量やテクニックやバリエーション、ダイナミクス、、安定感、安心感、、 表面的なものだけでなく、気配りや周りをよく聞いているのは当然ながら 音で相手のレベルや状態を判断して演奏のギアをシフトしてくれる、、 すご〜、、感動! テクニックがあることや上手だということを証明しようとするような 奇をてらった気合いだけにすぐ走る演奏とは明らかに異なる、 反対にそういう演奏は、どんな楽器であれその人がすぐに見えてしまって、 へきへきとしていたので、違いがはっきりよくわかったsessionだった。 上手くてもその人がつまらなければそれだけのもの。 たった1回で分からせてくれた、、その違いが何であるかを。。 そしてリズム隊のおもしろさが何であるかも、、少しヒントをもらえたよう。 一緒にやることの意味、sessionの意味が。 誰とやるかも大切なこと。 鍵盤のアドバイスをくれた方と「jazzは上手な人とやらないと上手になれない。けれど、上手な人と一緒にやるには、上手にならないとやってもらえない」ということを話したら、「いつもそのせめぎ合いや」と言っていた。 「卵が先か鶏が先か」、、、。 「どんな世界でも数パーセントの割合で、何の努力無くてもできてしまう人がいて、そういう人を才能ある人というかもしれない。でも、そういう才能がなくても、努力で到達することは可能な人も何パーセントはいる。才能がないからと諦めずに、まず努力してみてもいいんじゃない」と。。 私は上手な人とやりたいわけではないのだろう。 テクニックでねじふせるような人とsessionしても何も得られないから、楽しくない。 身を削るような演奏はしたくない。。苦しいだけ。 昨日のように何かinspirされるような人と一緒にsessionがしたいだけなのかもしれない。 なぜなら、inspirされることが、、それが楽しいから。 audienceに聞いてもらわなくてもいいのかも、、。 反対に、audienceに何かinspirできる音楽ができるようになった時に人前に立てばいいのかもしれない。 だから、今はまだその時ではない。 昨年からのもやもやが、このworkshopsで少し方向が見えたかもしれない。 人との出会いは大きい。 どうも引きこもり状態が続いていたから。。 今は人の演奏は聞きたくもない。 これみよがしに、ほこらしげに演奏する姿は見たくもない。 上手だからって、何? それだけじゃない! だからなによ。たのしくもなんともない。 たのしいのはあなただけ。 sessionだけやってても上達はしないって。 道場破りのようにsessionを渡り歩くなんて意味も無いこと。 何の証明のために?それともれんしゅう? 何も分からない人にすごいと思わせること?言わせること? 分かる人には中身のないことすぐに分かってしまって飽きてしまう。 またかっ、、て。。 まやかしの上手さに惑わされるな。。 台風とともに吹き飛ばされてしまえ。。 Thank you, Roy & **kiya! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.10.02 09:27:52
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