遠慮なく老いを語る
遠慮なく老いを語る最近の還暦を迎えた人々はすこぶる元気です。元気すぎると言っても過言ではなさそうです。昔でしたら、還暦を迎えることが即高齢者だったわけで、白髪か若しくはもう既に髪を失っているか、入れ歯で少し背が丸くなっていて、老眼で物覚えが悪く、口うるさくて、小言や愚痴が多く時には手に負えないくらいに頑固で晩酌の毎日で早寝早起き、歩くと何でもない所につまずいて、杖を持ちなさいの家族の声も無視して、昔のことに拘って、自慢話に終始して、今時の若い者はとつぶやいて、食事をすると口の端から食べ物をポロリと落としたりして、鼻髭、耳毛が飛び出して話に熱が入ると食べ物を口から唾のように飛び出させて、・・・今の年寄りはそんなことはありませんよね。いつまで現役で頑張るのかと疑いたくもなる先輩がいます。自然の成り行きとは言え、必ず人間は老齢化し、いつかは人生を全うして彼の地へ旅立つわけですが、誰しも積極的に老いを語ろうとはしないものです。特に若い方々には老いとはどういうものであるのかを教えておく必要があるようにも思えます。そのことをちゃんと理解した上で歩む人生と、ただ成り行きで生きていく人生はどこか違いますし充実の程度が異なるようにも思えます。体の変化はどうだとか、精神面の動きはどうだとか、振り返った人生はどうだとか、これからの短い余生をどう思っているかとか、やがて来る死に対する思いだとか・・・・・今は核家族が殆どであり、若しかすると一人暮らしの人々が殆どです。人の誕生や死に遭遇することなく、ましてや老い等というものがどういう現象なのか全く知る機会もないような人生を送る人々が多いものです。自分が始めてそのような時期になって不安に苛まされながら、老後を迎えることになっています。仏教の四苦の一つが老いるということです。時には自分の老いを見つめる機会もあって良いのではないでしょうか。若い方々に遠慮なく老いを語る、若い方々は老いるということがどんなことかを教えてもらう。それが大切なようです。私自身が歳を取った精でしょうか。