いつも反芻(はんすう)する癖
いつも反芻(はんすう)する癖言葉によって過去、何度と無く傷つけられ悲しい思いを繰り返してきました。言っている本人は決して相手が傷ついたとは気づいていないケースが殆どなんです。或いは私自身が傷つきやすい弱弱しい性格なのか、余りにも相手の言葉を気にしすぎるのか。逆に私自身もそれと同じような言動を繰り返していないのか。私の一言が相手の心に深い傷を負わせてはいないのか。その言動が相手にむしろ勇気とやる気を呼び起こすこともありますから全てを「いけない事」として諌めることは出来ませんが。人によっては相手にやる気を起こさせる、奮起させる為にわざと強烈な言葉を吐いたりもすることがあります。それは相手と自分との丈夫な、緊密な信頼関係が既に醸成されていることが条件ですし、相手もそのことを十分理解し、納得していないといけませんよね。中には傷つけることが目的であることも当然あります。相手が傷つく壷を捕まえている人もいるものです。言葉の言は「口に突き刺さった刃」の意味もあります。人の言葉は心に突き刺さるだけではなくその人の生命をさえ奪ってしまうことがあるものです。反芻を辞書で引きましたら「飲み下した食物を再び口の中に戻して噛むこと」。反省は「省みること」に過ぎません。反省は猿でも出来るといいます。反芻こそ、人にだけ与えられた贈り物でしょう。人の言動は放った先で色んな作用や反応を起こしているものです。常に反芻を忘れることなく、言動や行動を再び思い起こし、改めて咀嚼しなおしてみることが大事なようです。言葉は出来れば、口をついて出る前に一度、頭の仲で自分なりに受け止めてみて相手に発することが出来れば素晴しいかもしれませんね。どうも訓練で出来るようですよ。言葉は人間関係を極めて円滑に保つ潤滑油でもあり、思わぬ素晴しい出会いを作り出す魔法でもあり、或いは人を奈落の底に叩き落し、再起不能なまでに叩き潰す極めて危険な道具です。これもあれも人間が作ったものには間違いありませんが。