人を相手にせず?天を相手に
人を相手にせず?天を相手に学校の成績で相対評価とか絶対評価とかありましたよね。当時は何のことだかさっぱり理解が出来なかったのですが、社会に出てみましたら相対評価がいかに多いか、まかり通っているか、或いはそれがどれだけの人間に失望感を持たせ、挫折を感じさせ、苦しめてきたか。実は世界に一人だけの自分で良い筈が、常に周りを意識するように、負けないように、遅れないように教育をされてきましたし、社会や家庭の中、学校で順応できない子供は爪弾きされ、阻害され、引いてはそれこそいじめの対象にもなったものです。競争する事を決して否定は致しませんが、競争の中で逞しく、凛々しく勇敢に頑張る人がいる反面、周りに迷惑やトラブルを起こすことなく自分との戦いに明け暮れる人や自然や環境を相手に人間社会から隔離された社会の中で生きる事もまた、素晴らしい生き方でしょう。つい、変った人間だとか、可笑しいとか、極端に言えば狂っているとか、偏見を持たれがちですがでも社会の発展や文化、文明を作った多くの人々の中には得てしてそんな人間がおられるものです。歴史的な人物の名を上げるだけでも枚挙に暇がないでしょう。協調性や問題のない言動が如何にも絶対的に思われがちですが、人は様々、夫々の生き様が存在するものです。団体行動が好きな人もいればひっそりと一人の時間を好む人もおり、一日中絵に没頭する人もいれば、朝から晩まで人とおしゃべりをしていないとストレスのたまる人、競争相手がいつもいないとがんばれんない人がおれば、人との競争は全く好まない、若しくは気にならないわが道を行く人・・・組織におさまって力を発揮する人、組織に入ると全く真価の発揮できない人・・・その人本来のあり方、居心地の良さ、そんなものが早く発見できるといいのですが。でも、人への思いやりとか、相手の立場に立って物事が考えられるとか、正直だとか、物事に一生懸命に取り組む姿勢、責任を持って物事を遂行する人間としての基本的な考えや社会的常識はやはり立場は違っても必要な事ですよね。それがないと、結局は可笑しいとか、変な人という評価につながり、疎外をされたり嫌がられたり、大切な人とのつながりさえも断ち切られたりするものです。素晴らしい言葉を頂きました。『人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。西郷隆盛』