「礼を尽くす」と言います
「礼を尽くす」と言います「あいつは礼儀知らずな奴」、「挨拶の仕方も知らないのか」、などと言われます。逆に「過ぎる礼儀」もわざとらしく感じてしまいますし、嫌なものです。たかが礼儀と言われそうですが難しいものですね。不足は不足でいけませんし、過ぎるは過ぎるで顰蹙ものですし。爽やかに心置きなく、わだかまりなく、優しく言えるお礼が良いですよね。困ったことにお礼や礼儀は、早過ぎるのもいけませんし、遅くて時期を失すると、人間関係を損なう事もあり得ます。「機を損なうことなく」という事も頭に置かないといけませんからやはり訓練なんでしょうね。自分がお礼を言われる立場になって考えてみたら、どのようにする事が相手の気持ちを損なうことなく、むしろ関係を深めるお礼の仕方や方法も思いつくかもしれません。調べてみました。お礼の旧字は「禮」左のネは本来は「示」・・・神にいけにえを捧げる台の象形。人に現わして見せる、教える、告げる、指図する、旧字の右の「豊」は、あまざけの意味、甘酒を神に捧げて幸福の到来を祈る儀式の意味。人のふみ行うべきのり。心の敬意を抱き、それを行動として、外に現わすみち。作法、礼儀作法、儀式、国家や社会の秩序を維持する組織や掟。贈り物、敬意を現わすための贈り物。お礼を尽くす事は、杓子定規なものではなく、心から滲み出る思いの発露ですから単純なものではなさそうですが、経験や訓練を小さいころから重ねる事が、大人としてそれとなく上手に関係を構築できる最も近く大事な所作です。難しく考えないで、単純で純粋である事でしょうか。『礼儀正しさはひとを飾り、しかも金はかからない。イギリスのことわざ』『どのような防御も礼を尽くすことには及ばない。エドワードルーカス(作家)』『人はくだらないとして礼儀作法をおざなりにするが、善人か悪人かを礼儀作法で決められることがよくある。ラブリュイエール』『礼儀正しさが人の本性に訴えかける働きは、熱がロウに伝える働きのごとし。ショーペンハウエル(哲学者)』