「李下に冠を正さず」を逆手にとって
「李下に冠を正さず」を逆手にとって先日の国会の答弁や質問にも出てきましたが、正直なところ言葉としては知っていても本当の意味合いを知りませんでした。つまり、「スモモの木の下にいて頭に載っている冠の傾きを直そうとすると若しかするとスモモを取ろうとしているのではないかと誤解を受けるからそんな事をしてはいけません」との意。確か、小さい頃スモモの実をちぎって食べていたように記憶してます。酸っぱくて歯ごたえがあって、食べ終わると1センチを超えるぐらいの硬い種が出てきて。今、スーパーでよく売られているプラムもその一種ではないでしょうか。熟してくると柔らかくジューシーで酸味が少なくなるので小さい子供でも喜んで頂けるようになります。同じような言葉で「「瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず」もそうですよね,上下の差はありますが。或いは双方を並べて言ってみたりも。「常に用心深く、慎み深く振る舞い、他人から嫌疑を受けそうな状況に陥らぬよう、事前に回避せねばならない」という戒めのようですが、時には「李下に冠を正す」、そんな態度や行動があらぬ方向への展開も見せる事もありますし、このことをわざと逆手にとって相手の心を揺さぶる事はありませんか。一番顕著なのは恋愛でしょうか。相思相愛の二人がいます。どうしてもこれ以上の展開を求めるのですが一向に先に進む気配が出てきません。そこで業を煮やす彼女は行動に出ます。隣にいる、或いは身近な男性にちょっかいを出すふりをする、彼は所謂、嫉妬心や若しかすると彼女の気持ちが離れていくのでは?とか相手の男性に奪われるとかの不安に襲われ、その事が引き金で一挙に新しい展開が始まる。事の停滞や行き詰まりを打開するには、若しかすると現状が壊れるとか或いはあらぬ方向違いのところに向かうかもしれないとの憶測を呼ぶ事も必要なときがあります。よく言う「腹をくくる、ケツをまくる」そんな事も局面の打開には必要なものです。人間、余り真っ正直で堅物でもいけませんし、かといって余りにも場当たり主義でも信用されませんし、難しいものですが人生、硬軟使い分ける事の素晴らしさを会得できるといいと思われませんか。でも人の心をひどく傷つけたり、人権や財産、心情を殺める事は絶対に避けねばいけません。思いは「李下に冠を正さず」でありながら、時にはその逆の効果を垣間見る程度でいいのでしょうか。