カテゴリ:私の走ったRUN大会
私は2つのトラブルを抱えていた。1つはシューズで、もう1つは時計だった。
シューズはフィッティングのトラブルで、15キロを過ぎたあたりから左足の甲が痛かった。 3年ほど前に、履き慣れていないシューズでフルを走り、両足親指の爪を死なせてしまってから、私はフィッティングには慎重になった。大会で履いていくシューズを決める際は、その大会で走る距離やストレスと同程度以上の練習で一度試したものしか使わないようにしていた。100キロの試し履きは苦労がいったが、練習を兼ねて一月ほど前にUTRDを行った。 UTRDとは? 私がつけた練習コースの名前だから、私以外に知る者はいない。ウルトラ-トレイル・ラウンド・ダイトレの頭文字である。自宅からダイトレ北の起点「屯鶴峯」まで走っていき、そこから南の起点の「槇尾山」までダイトレを一気に踏破する。そして槇尾山から自宅まで走って戻ってくる、という練習コースである。―― まぁ早い話、ダイトレを踏破しにいくけど往復の電車賃もケチっちゃえ、というコース設計だ。 UTRDは、構想に3年を費やした。―― まぁ正確に書けば、3年前にやってみたいと思ったけどハードすぎて実行に移せなかった、というだけのことだ。 で、今回、村岡にエントリーしたのを機に、練習とシューズの試し履きを兼ねて、大会の一月ほど前だったかその辺りのある日、UTRDを敢行した。屯鶴峯まで約20キロ、ダイトレは総延長45キロ、槇尾山から約30キロで合計95キロ。朝の4時半にスタートして22時帰宅の、17時間半のランとなった。 それでトラブルのなかったシューズなのに、なぜか20キロで、痛くて走れなくなった。立ち止まって何度も紐の結び直しをした。締め具合を変えるとしばらく走れたが、数キロ行かないうちにまた痛みだした。また紐の結び直し。その繰り返し。 なぜそうなったのか、今でも原因は分からずじまいなのであるが、雨でふやけて、コンディションが変わったのだろう。一足二千円の安物だから、ちょっとしたことでそうなってもおかしくない。これはリタイアかも、と落胆しはじめたころ、解決方法を見つけた。ベロを折り返して二重にしたら、クッションが効いて痛みがなくなった。しかし、いつ痛みだすか分からない。最後まで不安を抱えてのランとなった。 もう一つのトラブル、時計は、雨の湿気にやられて表示が見えなくなったのである。 防水仕様だから普通なら雨ぐらいでは潰れない。内部の接触が悪く、以前から壊れかかっていた。それが今回、20キロを過ぎたあたりで、ついにご臨終となっただけ。もともとジャンク相当の時計をヤフオクでゲットして、使える限り使おうという方針でやっているから仕方ない。 それで時間がわからなくなった。人に聞けばいいのだが、ランナーがひとに時間を訊くというのが間抜けに思われて『もういいや』と割り切った。シューズのトラブルの方が深刻だったから、時間はもうどうでもよかった。 とある悲しみは、さらなる大きな悲しみで打ち消される。とある不安は、さらなる大きな不安で。とある苦痛も、とある苦悩も。人はマイナスのことを一つしか抱え込めないのではあるまいか。脚が痛いという肉体的苦痛があっても、リタイヤは受け入れられないという心理的苦痛がより大きければ、痛みを黙殺して完走できる、いや、できてしまう。そして事を達成して、大きな不安が消滅したとき、陰に隠れていた苦痛が表に来る。 困難を成し遂げた瞬間に斃れるの図は、肉体を上回る精神を獲得している者には、それは決して芝居掛かった所作ではなく、常にあることなのかもしれない。その方面の鍛錬の欠けている私には推測しかできないが。 Mental will is a muscle that needs exercise, お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.10.19 00:05:29
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