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テーマ:徒然日記(23313)
カテゴリ:考えごと
昔の思い出をちょっと引っ張り出して。(考えごとしてます。)
土曜日に赤坂見附に出てみた。 あの東急ホテル、正に赤坂見附はここですわ~と伝えてるようで、昔から好きでした。 なのに、ずーっと右隣に目をやるとKaraokeの文字が不釣合いに並んでる。 駄目だわ。勝手に一人で落胆する。昔は。。。などと思い出したのですが。 もう、数十年前のことです。 知り合いから頼まれたことがあります。とにかく付き合ってほしいと呼び出され、アメリカ大使館前で待ち合わせしました。着けば、一組のカップルがこれから結婚式をするんだと言うのです。 (あら、何も聞かずに来ちゃった。やばっ!) 要は、婚姻届を出して、その証人(二人)の穴埋めがこの私のようだ。 担当官の前で右手をあげ宣誓。無事終了後に近くにある山王飯店で中華料理を(ご馳走?)頂く。 そこへ、新婦の姉がようやく到着した。(きっと、私がお姉さんの替え玉だったのだろうか。) お姉さんは、ぶっすりしてた。 開口一番に 「あなた、妹とどう云うお友だち?」 と、聞かれた。 (と、ともだち?)まさか、友だちの友だちは皆、友だちとも言えないし。新婦の表情で以前からの知り合いかのように、何となく合わせてあげたものの。 これじゃぁ、妹があまりにも可哀想~~~。。。と、言う。 事情は知らない。 確かに、参列者が3人。コースでもない単品の中華を分け合うのだから。 そして、新婦は普段着。だって、彼女は身重と一見で分る。 相当な想像力を駆使して、そして、姉の話をフルスピードで飲み込み。 目が白黒。驚きの感情を顔に出すまいと能面を繕うのがやっとだったかな。 知らない別社会を見た~!! 話では、彼女はスペインとのquarterで大学教授の娘だったが、家出。その容姿からモデルをしてたときにディスコで彼と知り合ったと言う。彼は、NAVY所属でいわゆるまだ一等兵の身分。海外のBaseごとに彼女がいると云う連中でもなさそうだった。 そして、 (同じ並びだったろうか?)山王ホテルがあり、覗かせてもらった。 記憶では、客室のドアしか覚えてないのが不思議なのだが。 例えば123号室とあり扉を開けるとまたドアが三つほどあるのだ。123-Aとか123-Bとかで、各個室をもつ部屋と云う造りは初めて見た。 山王ホテルなるものを検索してみて、ちょっと驚いた。 終戦後アメリカ軍に接収されて米軍専用の宿舎として使われていた。 ジャズのコンサートもあったとか?(かなり狭い所と印象にあるんだけど、曖昧すぎる記憶のせいかもしれない。)後に知る横須賀の将校クラブやら本牧px跡地のレッドクロスやらとだぶる。 当時は気に止めもしなかったけど、戦後を目の当たりにできた一瞬だったのかも。 瀬戸内晴美(寂聴)さんの娘さんは、1973年11月にここで挙式されたとあったが。。。 1983年10月5日に日本に返還されたのだが、私が覗いた年は定かではない。ただ、暑い夏の日。身重の新婦が辛そうだったことが忘れられない。 この山王ホテル、今は、どう変貌したのでしょう?知りたいところです。 *(官邸から山王への抜け道がある?)* お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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