レムリアからの転生旅行者
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今年は少し遅めですが、菊が咲き始めました。我が家の菊、その年年で微妙に色が変わるのですが、今年は黄色と白にはっきり分かれています。そして、白い菊は、しおれると赤く変化します。元から赤いのは、スプレー菊の生き残りで、スーパーでしおしおになって50円でたたき売りになっていたのを可哀想に思って買って来て植えたものです。ハヤトウリもまずまず豊作です。降霜で葉が枯れるまでとれますから、寒くならないと収穫が続きます。黒柿もなっています。この柿、甘柿ですが、小さ目で、干し柿にした方が美味しいようです。去年はみな干し柿にしたのですが、余り食べなかったので、脱酸素貯蔵したものがまだ残っています。鳥たちが、特にメジロが喜んで食べますから、今年は鳥の取り分を増やすことにします。
Nov 1, 2024
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神坂美奈子、夫俊一郎が仕事から完全にリタイヤしたので、今まで聞けなかったことを、彼が死ぬまでに聞いておこうと考えました。「俊一郎さん、私とは多生の縁と言いましたし、前世記憶がはっきりしない私でも、確かにそれはある気はするんだけど、具体的には前世記憶と今のあなたの人格との関係はどうだったの。」実は俊一郎の前世記憶、多すぎることもあって、結構混乱しているのです。「そうだったな。僕の場合、前世記憶が多すぎて、それにつながる人格もあるから、現世でも、何段階かを経て、ようやく今の自分の人格にたどりついたっていうのが実態だ。」今の人格というからには、現世でも、それ以前の前世の人格が発言していたことになります。「へ、現世で生まれてからも、今の自分の人格じゃないときがあったの。」「ああ、小さい頃は、いろんな人格が出てきて滅茶苦茶だった。」そんな状態って、想像できません。「どう、滅茶苦茶だったの。」「いくつかの前世の自分の人格が、同時に現れて勝手に行動したって感じかな。」それでは狂人です。「そんなんで、まともな生活送れたの。」「いや。送れるわけないだろ。」「じゃ、どうしてたの。」素朴な疑問です。「幸い、10歳未満のできごとだから、子供だから、で済んだ面はあったっと思う。ただ、困ったことに、それぞれの人格が子供らしくない一種の天才だったから、少しややこしいことになった。」「どうややこしいことになったの。」「まず、3歳でバイオリン習わせたら、最初から上手に轢けてしまったんだな。」「天才少年じゃないの。」そうとしか言いようがありません。「うん。確かに天才少年だったんだと思うけど、それは、前世人格のお蔭だ。しかし、名バイオリニストだったのではないかと思われる前世人格にとっては、「こんな簡単な曲なんか、弾いてられるか。」と馬鹿にするわけだ。当時憶えているところでは、ユーモレスクという名曲があるのだが、あれ、簡単に弾けてしまったんだ。だからか、母は、教師に好きな曲を弾いてくださいと言われた時、私がユーモレスクを弾くと思ったのだろうが、前世人格は、その曲余り好きじゃないからって、別の曲を弾いたんだ。」贅沢な話ですが、きっと高子ばあさんは、怒ったであろう想像がつきました。「お母様、怒ったのね。」「そう。これ、今の自分の人格じゃないから、記憶がはっきりしないが、その人格にとっては、ユーモレスクよりもただの練習曲の方が面白かったのだろう。で、その晩も殴る蹴るの虐待に遭った。」「可哀想な俊一郎さん、」彼のせいじゃないのに、と美奈子は思いましたが、それが、彼の日常だったのです。「更に困ったことに、天才って、努力しないでも何でもできる分、好き勝手にふるまうんだ。いくらうまくても、やる気ゼロで、全然練習しないから、それが原因で、毎晩母に虐待される日々だった。」俊一郎さんが、高子ばあさんから虐待されていたのは、そんな理由もあったんだ。「あのお母様なら、そうだったでしょうね。」「だから、たった3か月で、鈴木バイオリン教室の創始者の鈴木先生の前で演奏したり、海外の有名なバイオリニストの前で演奏したこともあったのだが、最後は、母が根負けして、1年で辞めさせた。」「もったいない。」それしか、言いようがありません。「他人事のような話だが、僕も凄くもったいなかったと思う。今の記憶にはほとんど反映されていないから、当時の写真見て、へー、こんなことあったんだって感じなのだが、想像するに、バイオリンの魔術師と言われた、ニコロ・パガニーニみたいな、妙な技巧を持った演奏だったらしい。」「って、どんな演奏だったの。」「パガニーニって、リストが編曲したピアノ曲の方がポピュラーになっちゃってるけど、数々の名曲を残している作曲家でもあり、バイオリンでは魔術師と言われた超絶技巧の持ち主だった。それで、彼の弦の把握方法は、ギターみたいだったとの言い伝えがある。そして、当時の僕も、そんな方法で弾いていたらしく、普通のバイオリニストと違って、弦を抑える左手の指を、単音ではなく、コードに合わせてパッパッと握り替えるだけで、指はほとんど震わせなかった。おぼろげな記憶だが、他のバイオリニストは、指を振るわせて把握するのに、僕が全く震わせないから、母があんな弾き方をしていいのか、と教師に食ってかかった。しかし教師は、僕がそれでも轢けてしまうものだから、困って、「とても3歳児とは信じられないほど、大変上手に弾けています。ですから、俊一郎君は、これでいいんだと思います。」と言い返した。それがカチンときたのか、その夜また、母にボコボコにされた。」「可哀想に。」それしか言う言葉が見つかりません。「ただ、パガニーニの演奏って、確かにうまいが、超絶技巧だけで、聴衆を感動させるような演奏ではなかったと言われているし、僕の演奏もそんなもので、幼児とは思えないうまさだが、それだけだったらしい。」夫の昔の話、聞けば聞くほど、才能はもったいないと思いつつも、本人が可哀想になります。「どうして、お母様が根負けして、天才バイオリニストを辞めさせたの。」「ああ、僕というか、天才バイオリニストの前世人格が、全く言うこと聞かなかったからだろう。しかも、僕というよりも正確には僕の中に居た天才バイオリニストの人格、この程度の曲で練習するのはばかばかしいと思っていたようで、母の言うことはでんでん無視だった。自分の言うこと聞かないけど、天才的にうまいんだから、母は虐待したが、それでも平気な顔で好き勝手に弾くから、最後は、彼女の自尊心の方が崩壊したんだと思うな。」それにしても、虐待されても、好き勝手に弾くのも凄いと思います。「虐待されても、高子お母様の言うことを聞かなかったってわけなの。」「そうらしい。天才バイオリニストの前世人格の方が、上手だったということだろう。大体、虐待されるのは僕で、天才バイオリニストの方は、知らんぷりしてれば痛くもかゆくも無かったんだよ。母は、母なりにいろいろな名手の演奏を研究して、僕にあてはめようとしたが、バイオリン名人の人格は、「形なんか関係ねえ、弾けりゃええんや。」と平然と無視した。」自尊心の塊のような高子ばあさんでしたから、自分が負けたと絶対認めたくなくて逃げたのだろうと美奈子は考えました。「なるほどね。高子お母様のことだから、絶対、息子に負けたような状態にはなりたくなかったのね。」異常に見えを張るところもあった母高子でしたから、美奈子の言うとおりだろうと思いました。「そんなもんだろう。」「ところで、元天才少年、今は、バイオリン全く弾けないのよね。」美奈子、夫がバイオリンを弾くのは見たことがありませんでした。「だから、その前世人格だったからできたことで、バイオリン弾かなくなったからか、その人格は消えてしまって、今の人格にはその技術が全く反映されていないから、弾けない。ただ、弦の把握法は、ギターに近かったようで、今でもギターの方なら少し弾ける。」家には、夫が大学の時に買ったというフォークギターがあるし、子供が生まれる前には少し弾いていたのを見た記憶はありました。しかし、彼がギターの練習をしたのは見たことが無く、ピックではなく指先だけでしたが、クラシックギターのように、そこそこ弾けていました。「ギターも、この40年間ほとんど弾いていないのでは。」「そうだな。でも、ギターの方が弾ける気はする。大学の時には、前世人格は皆ほとんど消えていたから、自分なりに練習して弾いたからだろう。」なるほど、そちらは、本人の独力だったから、残ったということだ。それなら、他の前世人格はどうだったのだろう。「他の人格は、どうだったの。」「バイオリン辞めても、絶対音感は生まれつきだからか、そのままで、安易にピアノに転向したんだけど、今度はピアノの天才の人格が出てきて、バイオリンほどではないものの、そこそこ弾いてくれた。そして、この人格の方が温和で、音楽を、と言うよりも、音を楽しんで弾いていた。そのせいか、面白いことに、僕が、いや、そのピアニストの人格というべきなのかな、ピアノを弾いていたら、時々小鳥が寄って来て聞き入っていた。」それも、凄いお話です。「凄い。鳥を魅了したんだ。」「そう。後に父の知人にあげたら、一家が交通事故死して放置されて餓死するという可哀想なことになってしまった文鳥のピイは、演奏に聞き入って、そのまま我が家に居ついた鳥だった。」それでも、高子ばあさんの虐待は止まなかったのです。「それでも、虐待は続いたのね。」「そうだな。バイオリンの時は、自分なりに研究して、特に名手ヤッシャ・ハイフェッツのレコード聞いて、僕の演奏と比較して意見しようとしたほどの情熱を持っていたのだが、それが通らなかったからか、そんな情熱は醒めたようで、練習しない、さぼる、だけで、いくら上手く轢いても、問答無用にボコボコにされるようになったな。」ひどい、としか言いようがありません。「ピアノも、天才的に弾けたのでしょう。」「うん。そちらの人格は、演奏はバイオリンほど上手ではなかったが、それでも音大の教授から、十万人に一人の音感を持った天才とほめられた。」「それなのに、まだボコボコにされてたの。」可哀想過ぎです。「うん。ただ、この頃になると、母は、二重人格みたいになっていたな。」「って言うと。」「問答無用で殴る蹴るの暴行するくせに、その後必ず、別人のように、優しく、僕を抱きしめたんだ。それで僕は、ああ、この人にはジキルとハイドがいるんだ、と納得して諦めた。」それでも、虐待は止まず、結局は、息子の折角の才能を活かそうとしなかったのですから、ひどい母親です。「ひどいとしか言いようがないお母様だけど、それでも虐待を止めなかったの。」「うん。でも、今思うに、当時は、学歴詐称がばれて一流商社をクビになったのに、嘘しかつかない父との関係が無茶苦茶になりつつあったから、僕は、母のストレス発散のサンドバッグみたいなものだったんだと思う。」自分の子供をストレス発散の道具にするなんて、人間じゃない、鬼です。「余計ひどいじゃないの。」「そうだな。偶然なんだろうが、僕に対する虐待は、今の人格が主体になるまで続いたよ。」つまり、前世人格が出ている間は、虐待を続けたことになりますから、呆れるしかありません。「でも、あなた、今でもピアノは弾けるようだけど、全然天才じゃなくなってるわね。」俊一郎、今でもピアノは弾けるようですし、子供たちにはちゃんと教えることもできていましたが、弾けるというだけで、特にうまいと言えるほどのレベルではなくなっていました。「ああ、ピアノの天才の人格は、皮肉なことに、母から虐待されなくなったら消えたみたいだったな。それから、ピアノって、指の鍛錬していないと、弾けなくなるよ。」美奈子は、ピアノを全く弾けませんから、それは知りませんでした。「そうなんだ。確かに、あなたは今では1年に何回かしか弾いていないけど、ほとんど指を動かす練習だけで、名曲はほとんど聞いてないわ。結婚前は結構弾いてくれたのに、結婚してからは、ほとんど弾いてくれなくなった。」その通りで、子供たちに教えていた時にはまだ弾いていましたが、子供たちが巣立って行った今や、3か月に1回レベルで、名曲は全く弾かなくなっていました。「あはは、確かに名曲は弾いていないな。思い起こせば、京丹波で、ジュ・トゥ・ブを弾いた時は良かったな。」美奈子、思い出すと、恥ずかしくて、顔を真っ赤にしました。「弾いて聞かせてくれて、聞いたことがある曲だったから、曲名を聞いたのよね。」「そう。ジュ・トゥ・ブと答えたら、何て意味って聞き返したよね。」「そう。それで…。」お前が欲しいって意味と聞いたもので、美奈子、一瞬で発情して、彼をグランドピアノの下に押し倒して自分からセックスを求めたのでした。「あんな情熱的なセックスは、あの時だけだったかな。」「もう。余計なこと思い出して。」でも、俊一郎の言うとおり、結婚直前の頃で、京丹波の家で二人っきりになりましたから、新婚旅行に行ったような状態だったのです。「まあ、その後いろいろあったけど、今こうして居られるから、僕は、幸せだ。」「私もよ。」美奈子も幸せだと思っていましたが、話題を戻すことにしました。高子ばあさんの虐待に遭いつつも、いろいろな方面で天才だった夫ですから、彼の前世は天才だらけだったのでしょう。「他の前世人格は、どうだったの。」「小学校の低学年の時には、超越的な演算能力があった。」今でも、67歳の年の割には暗算能力は高そうですが、大したものではありません。「それも、今は無さそうね。」「そう。これも、面白い。」「どう。」「当時の僕の演算には、プロセスが存在しなかった。」「っちゅうと。」「テストの問題見ただけで、答えをさらさらと書いて行った。途中の段階が存在しないし、自分で考えたと言う感覚もなかった。」これも、天才です。「天才だけど、それが、何故、だめになったの。」「一つは、日本的教育の弊害だな。」「どういうこと。」「正答を即座に出せる能力よりも、そこに至るプロセスが大事だなんて教育になってしまったからだ。」言われてみると、バイオリンと同じで、弾ければいい、正しい答えを出せればいいのです。「それで、できなくなった理由は。」「小学校3年までの先生は、天才だで済んだし、一瞬で正解を導き出す才能を高く評価してくれたのだが、4年生になる時に先生が変わると、その先生が疑ったんだな。こんなに簡単に答えが出るはずがないとね。確かに、回答を見て書いているぐらいの感覚だった。当時は、3桁の加減乗除は、即答だったからな。」先生の気持ちもわからないではありませんが、それができるのなら、天才と認めてやればいいだけです。「天才認定して、真似できませんって放って置けば良かっただけなのに。」「そう思うよ、途中は無いのかというから、正直に「ない。」と答えたら、「途中の方が大事なんだ。」と叱られた。すると、その人格が、天才でもない教師に自分の能力を疑われたと、へそまげて居なくなったから、できなくなった。とはいっても、普通の優等生に戻っただけだったが。」「もったいない。でも、もっとあったの。」「いろいろあったような気もするが、10歳の時に祖父が亡くなったのが一つの契機になって、現在の自分の人格が主体になったら、前世人格のやりたい放題はなくなった。」どうなったのか、イメージが湧きませんから、聞いてみました。「どこがどう変わったのよ。」「そうだなあ、天才ながら社会不適合の問題児から、品行方正学業優秀の模範生に変わったって感じだったかな。」美奈子は理解しました。なるほど、それで、高子ばあさんが文句をつけられなくなって、虐待がなくなった面もあったであろうことを。「なるほど、それで、お母様の虐待が、ようやくなくなったのね。」「そうだね。」でも、夫は、今でも物理法則を無視するようなことさえ簡単にやってしまいますから、前世人格がなくなっても、何でもできそうです。「あなた、それでも十分桁違いの天才だったんじゃない。」「ああ、ある面スケールは違っていたと思うが、サヴァンのせいか、全然自分のやる気がなかったから、実力を見せることはなかった。」小学校の頃は、スポーツ全くダメだったと聞きましたから、確かめてみました。「67歳の今でもスポーツ万能のあなたは、何時出現したの。」「僕の能力の中で、本当は凄かったのだろうけど、全く生かさなかったのが、運動能力だな。」美奈子が知っているのは、就職してから後のことですが、西都大学卒なら、ひ弱で、眼鏡かけてて、スポーツはできないに違いないという大方の予想を全く裏切って、目もいいし、走らせても速いし、学歴だけでなく、スポーツ万能でも話題になったのです。「そうね。スポーツの方は、まさかあれほどできるとは思われてはいなかったみたいだったけど、一応サッカー部だったから、スポーツもできたのよね、凄い新人が来たって話題にはなっていたわ。そう言えば、あなた、家柄もいいんでしょ。」「ああ、父方は、武家の薩摩の島津本家と土佐の山内家の傍系、母方は、公家の藤原家直系だから、確かに由緒正しい血統だ。」「そうよ。その家柄でも、あなたはいい所のボンボンだから、田舎の高卒のあなたには縁のない人よ、とぼろくそに言われたのよ。」ところが、俊一郎は、美奈子を一目で見抜いたのです。「僕は、入社式の後のあいさつ回りで美奈子を一目見て、ああ、将来の妻めっけと喜んだ。4月1日の日記にも書いてある。」美奈子、結婚した半年後だったか、夫の日記を盗み読みしたら、本当に書いてありましたから、信じるしかありません。「そうだったのね。私は、あなたが入社してくると聞かされた時に、他の女性陣からは、「ど田舎の高卒のあんたには縁のないエリートよ。」と馬鹿にされていたから、私には縁のない人だと思っていたわ。だから、まさかあなたが夫になるなんて、全然予想もできなかった。」美奈子、話題の高学歴ぼんぼんの俊一郎が、自分の夫になるとは、想像することさえできませんでしたが、彼が、自分を注目していることは感じていました。「でも、シンクロニシティーの連続。面白かっただろ。」美奈子、それは妙に印象に残ったのです。「将来の妻めっけだったからね。」「そんなもん、私にゃ全然わからないから、えっ、何故こんなに出会うのかしらって思っただけだったわ。」「でも、面白いように続いたもんね。」言われてみるとその通りで、俊一郎が入社してきて以来、美奈子に注目していることを感じだだけでなく、信じられないぐらいいろいろなシチュエーションで、彼に出会ったのです。「そうなのよね。ほんと、縁は感じたわ。あいさつ回りの時にも、私の顔をじっと見て、にこっと微笑んでくれたでしょう。」まだ付き合っても居ないどころか、ほとんど会話すらしたことがない時に、お互いが、普通ならまず乗ることのない丸ノ内線の車内でばったり出会った時なんか、えっ、何故あなたがここに居るのって思ったもん。」「あはは、確かにそうだ。僕も、普通なら絶対乗らない路線だったもんな。」美奈子は、他社へのお使いの帰りで、俊一郎は、初めて行った得意先訪問の帰りだったのです。「縁というより、運命感じたわよ。」「そうだね。それから、僕がたまたま窓開けて外見たら、ビルの下から美奈子が見上げていて、目が合った時とかね。」「そう。あれも不思議だったけど、一度や二度じゃなかったから、本当に不思議だったわ。」二人は、不思議なぐらい出会い、特に目が合ったのです。俊一郎に至っては、美奈子が彼を見かけたら、絶対といっていいほど、振り向いて微笑んでくれたのです。「そうだったな。不思議なぐらい目が合った。」「それだけじゃないわ。あなた、私が見かけたら、後ろに目があるんじゃないかと思うほど振り向いて私を見たのよ。」「うん。熱視線を感じた。」茶化されて思わず笑ってしまった美奈子でしたが、他の男性たちと違って、下心のない、優しい視線だったのです。「もう。でも、あなたの視線って、全くいやらしさが無いものだった。」「だって、将来妻になる女性だって確信があったから、スケベ心で接する必要性を感じなかった。」「そうじゃないでしょ。あなたは、誰にも下心をもったことがなかったでしょう。」「そうだな。」普通の男性は、とりたてて美女ではありませんでしたが、健康的で明るい美奈子に、もれなく下心のこもった視線を送ったのです。「それだけに、あなたとの巡り合いの縁、確かに信じたわ。一度や二度じゃなかったもん。しかも、この広い東京で、あなたとだけ出会うんだもの。だから、私も参加した渋谷での同期との飲み会の後。東京挟んで反対方向になるのに、4時間近く遠回りして、金町のマンションまで送って来てくれた夜、これこそ絶好の機会、いや、最初で最後の賭けだと、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、ラブレター書いたのよ。」美奈子、10月でしたから、俊一郎の入社後既に6か月たっていましたが、その飲み会の席で、初めて彼と個人的にいろいろ会話して、山形のど田舎の農家の娘で家柄もなにもないことも、高卒であることも、全く差別せず、よく気が付いて仕事も下手な男性社員よりもできると、自分のことを認めてくれたし、もしかしたら脈があるかもと思って、本当に思い切って、ラブレターを書いたのです。「うん。実は、美奈子からラブレターをもらえることを予知していたから、僕は、とても嬉しかったんだ。」それだけの縁がなければ、社内の女性たちに言われたように、俊一郎と私は、住む世界の違う人間であり、結ばれるはずがないと、あっさり諦めたはずでした。「私の逆ナン、受けてくれるのに、何時間考えたの。」当時、聞くに聞けませんでしたが、ラブレターを渡した翌日、ちゃんとOKの返事の手紙をくれたのでした。「5分、いや、3分かな。」彼のことだから、即断即決だったことは想像していましたが、3分とは想定外でした。「もう。カップラーメンみたいに簡単に決断したのね。私は、何時間も迷って、徹夜に近い状態で書いたラブレターだったのに。」「その美奈子の気持ちが伝わったから、快くOKできたと考えてくれ。」そう言ってもらえると、嬉しい美奈子でしたが、脱線したことに気付いたので、話を戻すことにしました。「そうそう、元はと言えば、前世記憶と人格の話だった。」「ああ、話したように、それぞれが天才ではあったが、今の自分にはほとんど反映されていない。だから、漫画みたいに、前世記憶があるからそのまま現世の能力につながるなんて都合のいいもんじゃない。」それでも、前世記憶がないよりは、絶対有利だと美奈子は思っていました。「それでも、得するでしょ。」「得したとまでは思えなかったけど、損はしなかったな。何よりも、周囲が僕を見る眼が違ったから。」それって、得なのでは。「絶対、得でしょうが。」「だから、漫画みたいに、現世の人格に能力が反映されていたら得だが、そうでもないから、それほどではない。しかし、周囲が天才と見るから、自然にそんな待遇をされ、結果的には、能力向上には役立っただろう。その程度だ。」夫はそう言いますが、私は、それこそ人生を送る上で、大変有利になる才能だと思いました。「あなたは、天才。何でもできるから、余り感じないだけよ。注目されるってだけでも、大きく違うものなのよ。」「へー、そんなもんなのか。」「そうなのよ。それが、持てる者の強みね。もっとも、天才のあなたには、能力のない人の悲しみ、ひがみ、妬み、嫉みは、理解できないでしょう。」「うん。今の自分ができないことなら、できるように考え、いや、できる人の考えを真似て、できるように努力すればよいだけだ。悲しみも、ひがみも、妬みも、嫉みも、理解不能だ。」それこそが、俊一郎が天才である秘訣なのです。「あなたは、前世人格がなくても、その考えができる。それだけで、十分天才なのよ。誰でもできると思ったら、大間違いよ。」俊一郎、そのことは理解していました。「そうだな。誰でもできることではないことは、理解していた。しかし、逆に言えば、そういったネガティブな感情こそが、できない人の共通点でもあるな。」「まあ、言われてみれば、そのとおりね。だから、ネガティブな面の少ない私を選んでくれたのでしょう。」俊一郎が、ど田舎の高卒の私を選んでくれたのは、私にはネガティブな感情が少ないからであることを、美奈子は理解していました。すると、彼は舌を出しました。「それも、結果論だな。ネガティブな感情が少ないから、美奈子とうまく行ったと言う方が真実で、美奈子を選んだこと自体は、今の暮らしを幻視したことによるものだ。」これは、以前から何度も聞かされていました。普通の男性なら、いや、普通の人間なら、そんな感情の問題よりも、容姿や能力だけでなく、家柄、財産までも含めて、それを恋愛感情に反映させて、結婚相手とすることを決断するものなのですが、彼の場合は、極端に言えば、未来を幻視したから、結婚相手は私だ、という感じで、そこには、全く迷いがなかっただけでなく、恋愛感情も、損得勘定もなかったのです。「あのねえ、私は、あなたのことを理解できるから、夫婦として44年間上手くやって来れたけど、普通の女性は、自分に恋し、愛してくれると思える相手で、かついろいろな条件も自分に有利だと思えるからこそ、結婚相手に選ぶものなのよ。」この辺は、サヴァンの俊一郎には理解不能なのです。「恋ってなあに。愛ってなあに。」茶化すような言い方をするので、思わず笑ってしまった美奈子でしたが、サヴァンの感情欠陥には、毎度呆れるのです。ただ、俊一郎の場合、単なる損得勘定ではなく、サヴァン症候群の物凄い演算能力の結果として、今の私との関係こそ最善の選択の結果であると結論づけて実現させることができたから、今の平穏な幸せがあるということは、否定できません。「そうね。あなたに、愛や恋を説いても無駄だわ。」「そう。無駄じゃ無駄じゃ。」ムーミンだったかで、「無駄じゃ、無駄じゃ。」を連呼する哲学者が居たことを思い出した美奈子、笑い出しました。「あはは、ムーミンに居たわ。」「そう。アニメではジャコウネズミさんになってたけど、本当はマスクラットさんと言うべきなんだって。」ジャコウネズミさんだとばかり思いこんでいた美奈子には、新たな知識でした。「え、そうだったの。でも、何であなたがそんなこと知ってるの。」「いや、ジャコウネズミって、鼻がとがっていて細いネズミなんだけど、ムーミンのあのキャラ、全然違うから変だなと思っていたんだ。すると、その後ムーミンのキャラクター紹介で、マスクラットが正しいとされていたから、なるほどと思った。」俊一郎、疑問はすぐ調べるところがあり、それが、こんな知識にもつながるのです。そう考えれば、これも天才である秘訣の一つとも言えるでしょう。「あなたは、やっぱり天才よ。」「そうか。ずっと言われ続けると、ありがたみも薄れるが。結局、言いたかったことは、前世記憶って、無いよりは面白いが、決して役に立つものではないということだ。」美奈子、夫の言葉に笑い出しました。「あなたが言っても、説得力無いわ。」「前世記憶って、漫画のように役立つもんじゃない。それが、僕の実感だ。」美奈子自身、時々、ああ、前世でこんなことがあったなと思うことはありましたが、夫の言うように、役立ったためしはありませんでした。「うん。それはよくわかるわ。」「役立つとすれば、現世人格が確立してから、前世記憶の経験を活用できれば、という条件付きだ。」では、大学以降のことなら、それが当てはまるのでしょう。「俊一郎さんの場合、むしろスポーツの才能はそちらになるでしょう。」「そうだな。自分で考えるようになってからだから。」結婚してから、夫が実はサッカーの名選手で、俊足かつフィールド全体を見ることができる視界を持っているらしいことを始めて知った美奈子でした。「私が知っている限りは、サッカーがうまいってことね。」「ああ、あれね、今だから言えるけど、むちゃくちゃ手抜きしてたんだよ。」それでも、会社のサッカー同好会では、初代のMVPでした。「じゃあ、真面目にやっていたら、どうなったのかしら。」「サッカーはチームプレイだから、一人だけ突出しても、ゲームにならない。強いて言えば、僕が一人でボール持って相手チーム全員を抜いて行けばよかったのかもしれないが、そこまでする意味はないと思ったから、しなかった。」「そう言えば、俊一郎さんって、運動自体全然しなかったと高子お母様は言ってたけど、それって、本当なの。」俊一郎、中学生までは、全く運動をしませんでしたから、周囲も、この子は勉強では天才だが、運動は全くできないと思い込んでいたのです。「本当だ。中学校まで、ほとんど運動しなかった。」「それなのに、高校の時には100メートル12秒台で走るなんてことがあり得るの。しかも、高校でも体育でサッカーをしただけで、運動部にも入っていなかったんでしょう。何かきっかけがあったの。」美奈子は、とても信じられませんでした。「ああ、特に運動をしたことはなかったな。元はと言えば、小学校6年の体育で、ポートボールって競技だったと思うんだけど、プレー中に、ふとひらめいたんだな。」「何を。」「コート全体を視野に入れると、今誰にパスすれば点を取れるか、鳥瞰することができたんだ。そして、僕が思った通りに前線にロングパスを通したら、受けた選手が点を取ってくれた。それで、ああ、体育のゲームも面白いものなのだなと気付くことができて、それから、運動にも興味が出て、その気になったら、走っても突然速くなった。」美奈子は、それは彼の超能力だと思っていました。「あなたって、気の持ちようで全く変わるじゃない。それも、一種の超能力よ。」「あはは、そうだ。「葬送のフリーレン」に出てくる性格の悪い女魔術師ユーベルの「大体何でも切れる魔法」を見て、ああ、これは僕だと思ったよ。」つまり、夫は、自分でできると思ったことなら、何でもできるのです。ユーベルの、「大体何でも切れる魔法。」は、自分が切れると思ったら、絶対切れないはずのものでも切れるという魔法で、常識どころか、全ての法則を無視して、切ってしまうことができるのです。逆に、俊一郎は、どれだけ簡単なことでも、やる気が起きなければ、できないのです。そう言えば、私と卓球してぼろ負けしたこともあったなあと、美奈子は思い出しました。「あなたって、ユーベルに限らず、葬送のフリーレンに出てくる魔術師たちと同じね。」「どういうことだ。」「魔術って、イメージすることからスタートするのでしょう。イメージできることはできるけど、イメージできないことはできないってことよ。」俊一郎、理解しました。「そのとおりだな。確かに、イメージできないことはできない代わりに、イメージできるというか、間違ってイメージしてしまったことでも、できてしまう。」俊一郎が、軽くけっただけで自分の左足を折ったり、指でつついただけでベンツのエンブレムを折ったりしたことだと思い付いて、美奈子は笑ってしまいました。「そうよ。間違っても、悪いイメージを描いちゃダメなんだった、あなたは。」「僕には、イメージトレーニングは危険なんだ。」長くなったので、続く。画像は、我が家のシュウメイギクです。9月中旬から1か月半ぐらい咲いています。
Oct 24, 2024
今日は十三夜、那須の田舎では、9月の十五夜と対になって、虫送りをする風習があります。地元では「ぼうじぼ」というのですが、子供たちが、家々を回って、呪文ならぬ掛け声をかけながら、藁で作ったアンク状の棒で、地面を叩いて、豊作を祈願する風習です。掛け声は、「大麦あたれ、小麦あたれ、大豆も小豆もみなあたれ、三角畑のそばあたれ。」で、二回繰り返します。そうして、出迎えた大人たちというか、各家の住人は、お菓子あるいはお小遣いを配るのです。してみると、「トリックオアトリート」のハロウィーンに近い部分もありますが、ここ那須でも、年々子供は減っており、我が家の息子や娘が小学校に通っていたころは、二十人ぐらいの集団で回っていたのですが、今回も前回も、我が家に来た子供は5人だけでした。まあ、その分お菓子の取り分は増えますから、子供たちには悪くないのでしょうが、昔は大声で元気よく叩いていたのが、今や、申し訳程度にぽっこんぽっこん叩くだけになりました。まあこれ、大人側にも責任があり、大声あげながらぼっこんぼっこんやると、近所迷惑だとか、犬や子供が怖がるとの苦情が寄せられたせいでもあります。私が定年後ボランティアで参加している自治会活動にも共通しますが、こんな風習を積極的に保存していこうとする機運が薄れているというこでもあるのでしょう。今年の十三夜、お月様はおぼろでしたが、ずっと続いて行って欲しい風習です。
Oct 15, 2024
ほぼ毎日11キロのサイクリングを続けています。今年は既に2200キロ以上走りましたが、10月に入った昨日と今日、意外なものに遭遇しました。これ、不思議なことに同じ場所だったのですが、工業団地の横を走る幹線道路から折れた森の中なのです。まず、昨日ですが、道路の真ん中を雄のノコギリクワガタが歩いていました。轢かれますから保護して、木につかまらせてきました。夏でも見かけないのですが、10月に入ってから見るのは恐らく初めてです。そして、今日は、もっと不思議なことに、同じ場所をアカハライモリが歩いていたのです。周囲には水路も水田もないのに、一体どこから来たのでしょう。仕方がないので、水が流れている出釜湧水地まで行って放してきました。イモリって、ぬるぬるしているのかと思えばそうではなく、ぬれていなければさらっとした手触りで、しっかりした筋肉質の動物という感じでした。サイクリングをしていると、交通事故死している動物たちもしばしば見かけます。一番多いのはカエルですが、年に3匹ぐらい狸の轢死体にも会います。我が家の近くで見つけた2匹は、我が家に運んで、庭に埋葬しました。それから、意外に多いのが蛇です。年間十数匹見かけますが、不思議なのは、生きている状態では滅多に見ないヤマカガシがその8割を占めるのです。サイクリング途中に生きている蛇にも会いますが、ほぼシマヘビですから、夜の出来事なのかと思えば、そうでもなさそうなのです。何故かと言えば、行く時には無かった死体が帰りにあることが多いからです。つまり、午前10時ごろがヤマカガシがよく轢かれる時間帯と言ってもよいかと思います。でも、その時間帯にサイクリングしているのに、生きている状態では見かけないのが不思議です。ヤマカガシの死体の写真は、撮影しましたが、アップしませんので、ご了解ください。
Oct 2, 2024
お彼岸過ぎて、涼しくなったかと思えば、今日は29度と暑い那須です。それでも、鳴く虫はすっかり秋のものに変わりましたし、お花も秋のお花が咲き始めました。まずは、ヒガンバナです。サイクリングコースのあぜ道に例年いっぱい咲いているのですが、今年は豪雨で土がえぐれて球根がごっそり地面から出てきて転がっていましたので、持って帰って我が家の庭に植えなおしました。半分カラカラになっていましたから、枯れたかと心配だったのですが、見事に復活して花を咲かせました。それから、夏の終わりから咲きはじめるのがシュウメイギクです。何故か、我が家のシュウメイギクは白花なので、種まいて育ててみたら、ピンクが咲きました。山野草としては、ヒヨドリバナです。これ、フジバカマの近縁なのですが、面白がって育てたら、庭中にはびこってしまいました。趣のあるお花なのですが、はびこりすぎるとありがたみが薄れます。今日は、日中はいいお天気だったのですが、夜になって雨が降り始めました。明日明後日は、また豪雨クラスの雨が降りそうです。水害、土砂災害が起きないよう祈ります。
Sep 26, 2024
今年は、6月11日に最高気温が30度を上回って以来、断続的というよりもほぼ連続的に最高気温30度超が9月20日まで続きました。那須に来て40年になりますが、初の高温の夏でした。40年前は、冬の寒さは強烈でしたが、夏は最高気温が30度を上回る日は数えるほどで、夜は冷えましたから、エアコンは必要ありませんでした。それでも、30年前には大分暑くなりましたから、居間に1台導入して、年間1週間ぐらい使うようになりました。それが、10年前には2台に増え、5年前には4台に増えました。それでも、使うのは、日中暑い日は1階の居間、そして寝る前に2階の寝室を2時間ぐらいかけて冷やし、寝る前には切っていたのですが、今年は初めて4台全て稼働する日が出ました。それでも、那須は、熱帯夜がほとんどありませんから、一晩中つけることは、今まで最高に暑かった今年でも、一日もありません。しかし、今年の8月、夏としては初めて、電気代が2万円を超えました。9月に入っても暑いので、どうなっているのかと思っていると、お彼岸に入ってから涼しくなり、21日以降は、最高気温でも20度台前半になりました。もう一つ今年が異常なのは、午前中は晴れていても、午後から雨、それも、時間雨量100ミリ超クラスの大雨が降る日が多かったことです。8月25日には、大雨洪水土砂災害警報が発令されるほどの雨が降りましたが、9月2日と15日も、大雨注意報、1日で200ミリの雨が降りました。お陰で、庭の水撒きがほとんどいらない夏で、ここ10年ばかり、ちょろちょろしか流れていなかった出釜湧水地、今年は例年の数十倍の湧水を記録しています。雨がいっぱい降るし、暑いしで、農家が稲刈りがなかなかできなくて困っていましたが、この1週間ぐらいで、雨の合間も縫って、ほとんどの田んぼで稲刈りが終わりました。今日は、さわやかな秋晴れの中、サイクリングすることができました。ヒガンバナも満開です。さて、今年の冬は、寒いか暖かいか、どちらでしょう。
Sep 24, 2024
我が家に居ついている野良猫チビニャン、元は2年前に、野良猫チャバシラがどこかで産んで連れて来た猫でした。最初は2匹居たのですが、ある日突然2匹とも姿を消し、チャバシラも探し回っていましたから、カラスに食べられてしまったのかなあと思っていました。ところが、1か月半ぐらいたった時に、チャバシラがチビニャン1匹だけ連れて帰って来たのです。このチビニャン、母猫チャバシラの教えだったのか、最初は人間の気配がしたら見事に隠れたため、子猫が2匹居るらしいが、姿が見えない幻の猫だったのです。帰って来てからも、姿は見ることができるようになりましたが、近寄ることも触ることもできない子猫だったのです。それが、今年の5月に、母猫チャバシラの娘らしいチャバシラ2号とともに出産したのです。チャバシラ2号の子猫5匹のうち、2匹は死産で、母猫チャバシラ2号も出血が続いて産後の肥立ちが悪く、どこかで死んでしまったのか行方不明となりました。それで何と、チビニャンが、まずチャバシラ2号の子猫3匹を授乳して育て、その後生まれた自分の子供4匹と一緒に7匹授乳していました。しかし、3日後ぐらいに、チャバシラ2号の子猫1匹が死んで、残った6匹は、我が家の車庫の段ボールの中でチビニャンが子育てしていたのですが、更に2日後、チビニャンが全て50メートルぐらい離れた家の物置の床下に連れて行ってしまいました。その後、そこからも居なくなり、チビニャンも姿を消したため、保護は失敗し、チビニャンの子供たち?も全滅したらしく、子育ても失敗しました。これが5月初めだったのですが、1か月ぐらいで、チビニャンは1匹で帰ってきました。しかも、既にお腹が大きかったのです。どうなるんだろうと観察しつつ、餌だけは欲しがるから与えていましたから、やらずぼったくりと呼んでいましたが、7月12日に雨の中、生け垣の根元で4匹出産したのです。子猫たち、チビニャンがどこかに行くと雨に濡れっぱなしでしたから、私が屋根の有る車庫の中の段ボールに移したのですが、最初は子猫がどこに行ったのかわからず、捜し回っていました。仕方がないから、子猫の鳴き声が聞こえるところまで誘導したところ、面倒見始めたのですが、雨が止んだと思ったら、車庫の屋根の上にくわえていってしまい、それっきり子猫は行方不明になりました。おそらく、死んでしまって、カラスが処理してくれたのだろうと思います。それからだ奇々怪々で、野良猫で我が家に出没していたチャバシラ3号も、お腹が大きいなと思っていたら、8月初旬に居なくなったのです。チビニャンは、今回は居なくならないなと思っていると、お乳が吸われた跡があるのです。あれ、子猫は全滅したのではと思っていると、8月18日に、車庫の奥から子猫の声が聞こえたのです。もしかしたら、チャバシラ3号の子猫を育てているのではと思われましたから、今回は刺激しないようにそっとしておきました。すると、8月下旬に、真っ黒の子猫が二匹居ることが判明しました。8月中旬から現在まで、8月25日の大雨洪水土砂災害警報発令の豪雨だけでなく、断続的に豪雨に見舞われていますから、車庫の奥から移動させたらまた全滅するなと心配していると、今回はチビニャンも学習したのか、大雨が降っても安全で、餌ももらえる我が家から動かず、子猫2匹はできるだけ人間の目に触れないように隠して育てています。9月になってから、チビニャンは、毎日餌をもらえることで心を開いてくれたのか、子猫2匹を見せてくれるようになりました。それでも、彼女の教育が行き届いているのか、黒子猫2匹、人間を見ると、脱兎のごとく車庫の奥に逃げ込んで隠れます。もう少し懐いてくれれば保護できるのですが、近くまでは来ても、触らせないのが野良猫です。授乳疲れで、ぐでっと寝ているチビニャンです。黒子猫1号か2号か?直ぐ逃げます。今回は、順調に育っているようですから、チビニャンがようやく子育てに成功するか、暖かく見守っています。
Sep 14, 2024
昨日今日と爽快な晴れです。昨日は2週間ぶりの一日晴れでしたが、一昨日と8月25日の夜は、大雨警報、25日は土砂災害警報も、発令されるほどの雨で、どちらも一晩で200ミリぐらい降りました。25日はおとなしくしていましたが、3日は買い物に出かけた先で大雨になり、1時間近くお店から出られなくなりました。ようやく少し小ぶりになって店から出たものの、道には濁流ならぬ清流が流れており、ところどころ水深20センチの大水たまりができていました。もう少し深くなったら動けなくなるところでしたが、ゆっくり水をかき分けながら帰宅できました。この時、水も深くなると障害物と認識することを発見。車の周囲が赤く表示されて、ビービー警告音がなって、大変でした。まあ、緊急停止やアクティブブレーキアシストが働かなかったので、止まらずに助かりました。でも、那須野が原は大変水はけが良いため、翌朝にはきれいに水は引いていましたから、久々の晴天サイクリングは、爽快でした。普段は水が流れていない出釜湧水地も、11日連続夕立うち2日は物凄い豪雨だったせいか、大変勢いよく、水が湧き出ていました。それでも昼は30度になりますが、朝は20度を切る涼しさになってきましたから、秋です。
Sep 5, 2024
我が家に居ついて2年になる野良猫チビニャンですが、今まで2回出産しましたが、2回とも自分の子供は全滅させてしまいました。ただ、2回とも奇妙な子育てだったのです。1回目は今年の5月初旬だったようで、出産に気付いたのは3日だったのですが、この時点で、もう1匹の猫チャバシラ2号も出産していたようで、産んだ子猫を我が家の濡れ縁と車庫に放置したのです。それで、計5匹産んだようでしたが、2匹は死産だったようで、車庫で冷たくなっていました。チャバシラ2号は出産時にかなり出血しており、それっきり目撃していませんから、死んでしまったようです。不思議なのはそれからで、残りの3匹を、チビニャンがブロック塀の端の枯草の下にくわえていったのです。ですから、この時点では、生まれた5匹は、チビニャンの子供だと思っていました。場所が悪いとチビニャンも思ったのか、2日後に生き残りの3匹を、車庫の段ボールにくわえていきました。驚いたのは更に3日後で、子猫の声がすると思って覗くと、子猫が8匹になっていました。つまり、チビニャンが、自分の子供を5匹産んだのです。しかし、生き残りの1匹は、直ぐに死んでしまいました。ここで、覗いてみたのが悪かったらしく、チビニャン、残った7匹を1匹ずつどこかにくわえて行ってしまいましたから、5月9日で、子猫は行方不明になり、2週間後ぐらいにチビニャンはまた現れましたが、子猫の姿はありませんでしたから、全て死んでしまったものと思われます。その後、2か月たった7月にふと見ると、チビニャンのお腹が大きいのです。それで7月12日に、何と雨の中生け垣のドウダンツツジの根元で4匹出産しているのを発見しました。雨ざらしの中、子猫を放置していましたから、車庫の段ボールに移動させたのですが、帰ってきたら子猫が居ないので探し回っており、車庫まで追い立てて行ってようやく子猫に気付いた様子でした。ところが、雨に濡れるからと思って移動させたのが裏目に出て、チビニャン、4匹の子猫を車庫の屋根の上、キウイが茂る枝の中に連れて行ってしまいました。これまた、これで子猫は死んでしまったらしく、死骸はカラスが始末したのか、発見できませんでした。丁度その頃、もう1匹のチャバシラ3号も大きなお腹をしていましたから、どこかで出産するかなと思っていると、車庫の方からミーミーと子猫の声が聞こえたのです。車庫にあった猫トイレの覆いの下で2匹の子猫を出産していたらしいのですが、チャバシラ2号同様子育ては放棄したらしく、母猫チャバシラ3号の姿はしばらく見かけませんでした。あーあ、また子猫は全滅かと思っていたら、時々声は聞こえるのです。はて、どうやって生きているのかなあと思っていたら、何とチビニャンがチャバシラ3号の子供2匹に授乳して育てていました。見に行くとまたどこかに連れて行って全滅させると思いましたから、そーっと放置していると、車庫の奥に横向けに置かれて雨の当たらないポリバケツの中で子育てしており、今度は人間に頼ることをおぽえたのか、頻繁に「ごはんちょうだいニャー。」とやってくるようになり、食べては子猫の所にかけつけて授乳し、乳母を務めています。8月下旬になると、チビニャンもようやく安心したのか、子猫2匹を人間にも見せるようになりました。2匹とも元気で、お腹がすくと、「母ちゃんおっぱい。」と鳴き、チビニャンが飛んで行って授乳していますから、こんどこそ育つかなと見守っています。何と言っても、まだ母猫を触ることもできない状態ですから、どうなるかはわかりませんが、なれるようなら保護して育てようと考えています。
Sep 2, 2024
那須野が原、かつては数多くの湧水地があり、近年までちゃんと水が湧いていたそうです。那須塩原市にある出釜湧水地もその一つで、市の自治会の下部組織である「風の郷つくり部」で草刈り等の管理をしており、自治会事務局員の私も、その活動の一部に参加しているとともに、私のサイクリングコースの途中にありますから、時々見に行っています。しかし、私が事務局員になってから2年になるのですが、その間先月までまともに水が流れていたことがありませんでした。(看板では6~12月は流れていたように書いてありますが)今年は、7月8月と、豪雨が散発し、8月25日には、1日200ミリ超の雨が降って、大雨洪水土砂災害警報まで発令された影響なのか、26日に見に行くと、ちょろちょろと流れるようになっていました。その後も毎日のように、短時間ながら時間雨量50ミリ超と思われる猛烈な雨が降る日が続いたため、今日サイクリングの途中に様子を見に寄ったところ、勢いよく水が湧き出ていました。これでこそ湧水地なのですが、那須野が原も、以前は森が点在する原野だったものが、まず、那須疎水で灌漑されるようになって水田が増え、宅地開発で保水の役割を果たしていた森林が減り、工業団地も各地に誘致されたことも影響してか、地下水位がどんどん低下しているそうですから、湧水地から水が出なくなっているのも、それらが原因なのでしょう。栃木県北の那須野が原、元が水はけが良すぎて水が無い不毛の原野でしたから、日雨量100ミリを超えても洪水にならないのは良いことです。私、大阪出身なのですが、茨木市に住んでいた昭和42年7月の豪雨で、我が家の敷地内で大規模の地滑りが起こり、様子を見に行って危うく崩れた崖から転落しかけましたし、当時通っていた小学校が水没する経験をしましたから、家を建てる時に、洪水と土砂災害には遭わない土地を選んだのです。ありえないついでとして、史上最大級の津波が来ても大丈夫な土地であることと、那須岳が噴火しても、とりあえず沢筋が違いますから火砕流の直撃も避けられるということもありました。実際、平成10年の那須水害では、8月26日から30日までの5日間で1200ミリ、27日1日で600ミリという4000年に一度という豪雨を記録したものだったのですが、我が家は全く無事でした。地震については全く想定していなかったのですが、東日本大震災の時に那須塩原市は震度6強の揺れだったにもかかわらず、我が家の地盤が良かったことと、揺れの方向も良かったらしく、全く被害を受けずに済みました。はからずも1000年に一度級災害を2回も受けたことになりますが、我が家は無事でしたから、神様に感謝です。ちなみに私、那須水害の時は、水不足の兵庫県姫路市で、東日本大震災の時には名古屋市で仕事をしていましたから、妻には何かある時には家に居ないとぼやかれました。つまり、私が家に居る時には起こっていないわけで、これからはずっと家に居ますから、大丈夫でしょう。
Sep 1, 2024
栃木県那須塩原市、今年はとんでもなく暑いのですが、それだけでなく、豪雨も多いのです。ちなみに暑さの方はと言うと、6月11日から今日まで、最高気温が30度を下回ったのは10日しかありませんでした。そして、最高気温が35度以上になった猛暑日は、14日間ありました。ここ2週間を見ると、猛暑日は2日だけでしたが、午後から大雨になったのが10日あり、仕上げが昨夜で、午前中は一時晴れで、サイクリングができたのですが、午後3時頃からまた時間雨量100ミリ超の大雨が10分。上がって晴れたかと思ったらまた曇って来て、夕方からは雷雨になりました。夜、大雨で客が少ないのでねらい目と買い物に出かけたのですが、目論見どおり総菜や食品が安く買えたのは良かったのですが、帰りの20時ごろからまた凄い雷雨になり、夜中まで断続的に物凄い雨が降りました。そして、22時ごろでしたか、大雨・洪水・土砂災害警報が発令されました。これ、スマホに通知が来ますから、何事かと思いました。情報を確かめると、我が家の周辺は大丈夫だったのですが、那須塩原市の広範な地域で避難勧告が出ていました。確かに、日付が変わって午前2時頃まで雨は降り続いていましたから、総雨量でも200ミリ近かったのではないかと思います。で、今朝の6時にまたピコピコスマホがなりましたから見たら、警報解除のお知らせでした。元が不毛の原野で、蛇尾川という大きな水無川のある那須野が原ですから、大変水はけが良く、この豪雨でも洪水にはならないのですが、代わりに、道が一時的にですが、川になります。とは言ってもせいぜい水深3センチぐらいですから、車だと、ぶっ飛ばさない限り危険はありません。丁度買い物帰りの頃も第一のピークでしたから、オートワイパーがかなりめまぐるしく作動していましたが、困ったのは車庫から家の玄関までの8メートルぐらいで荷物を持ってびしょぬれになっただけでした。今朝まで雨は降り続いたのですが、警報解除の1時間後の8時には止んで、更に2時間後の10時になると、カンカン照りのいいお天気になりました。これはラッキーと、日課のサイクリングに出かけましたが、サイクリングコースも、ところどころ水が流れていました。これはもしかしたらと、出釜遊水地に立ち寄ると、勢いよくではありませんでしたが、初めて湧水らしく水が湧き出ていました。ここ那須野が原では、地下水が湧き出る口を出釜あるいは湯釜と呼んでいますから、これは、昨夜の大雨ではなく、このところ2週間の夕立のお蔭でしょう。画像ではわかりにくいのですが、ちょろちょろと流れています。つい4時間前まで大雨・洪水・土砂災害警報が発令されていたとは信じられないいいお天気でサイクリングできました。
Aug 26, 2024
今年は、本当に暑い。栃木の那須に来て45年になりますが、これほど暑いのは初めてです。我が家、今エアコンが4台あるのですが、全て稼働させたのは、今年が初めてです。今までは、いくら暑くても2台で済んでいましたから、本当に特別なのです。自然の方でも、今年はセミが異常です。何時もなら一番先に鳴きだすのはハルゼミなのですが、今年は鳴き声を聞いていません。その次はニイニイゼミですが、これも例年は6月中から鳴くものですが、今年は7月初旬になって、パラパラと言う感じでした。最も差があるのはミンミンゼミで、今年は7月23日に1回聞いただけです。ヒグラシも7月中旬から鳴き始めましたが、例年よりも数は少なく、朝夕の大合唱がありません。例年なら一番うるさいのがアブラゼミなのですが、今年はうるさくありませんから、ヒグラシ同様数が少ないようです。ツクツクボウシも、例年ならば8月に入ってから鳴き始めるのですが、今年は7月中旬から鳴いています。自然も関係するのですが、今年は車がやや不調です。これまでは、暑さ寒さよりも、短距離中心だと燃費が悪化し11キロ/リットル、猛暑のエアコン使用で13キロ、普段は15~16キロ、遠出をすると20キロ超えと言うところだったのですが、今年は、暑さも暑さですが、5月に13キロ台と悪く、6月は、遠出して18キロ、7月は、遠出しても15キロ、8月に入ってからは、エアコンよりもアイドリングストップが働かなくなったうえに電動冷却ファンがエンジンオフ後も延々と回り続けて、1ケタ台を記録する日も散見されています。バッテリーにも関係するようなので、こまめに補充電していますが、15キロ台まで回復しては10キロに戻りを繰り返しています。暑さとは無関係だと思いますが、7月にまたアクティブブレーキアシストの誤作動で、物凄い急停止をしました。前回は、誤作動したのが夜間で、お通夜をしている葬儀屋の前でしたから、ホラーでありつつ笑えたのですが、今回は真昼間に本当に何もない場所で急停止したのです。幸い、後続車が信号で出遅れて車間が空いていたため追突されずに済みましたが、何かに激突して止まったのかとおもうぐらい心臓に悪い止まり方をします。事故にならなかったからよかったと割り切って、車もこまごま充電しつつケアしていくことにします。それよりも、今年は暑いので、毎日サイクリングをして運動不足を補いつつも、脱水症状を起こさないように、帰ってきたら涼しい室内にこもって過ごしています。エアコンのせいで、今月は電気代2万突破。過去最高です。例年は、冬の方が電気代が高いので、その点でも今年は異常です。まあ、健康には変えられませんから、贅沢にエアコン3~4台稼働の毎日なのです。何時まで続く暑さなのかわかりませんが、健康第一に暮らす毎日です。
Aug 18, 2024
保護して2年半がたったヤマトですが、ゴロゴロ寝て過ごしています。しかし、孫二人来襲にも嫌がらずに健気に相手をしてくれているいい猫です。
Aug 10, 2024
今年は、7月に入ってから半端ない暑さです。那須塩原に来て40年になるのですが、今まで最高気温の夏です。こちらで家を建ててからは35年なのですが、家を建てた当時は、夏は毎日のように夕立があって、その後は冷えて夜は寒いぐらいになりましたから、エアコンは必要ありませんでした。必要になって来たのは5年ぐらいたってからで、それでも1台で家中冷えましたから間に合っていたのですが、10年ぐらい前から、2台になり、5年前から3台、3年前から4台に増え、1階2階とも2部屋ずつエアコンがある現状です。それでも、4台すべて動かしたのは今年が初です。まあ、代わりと言いますか、40年前は冬は零下15度ぐらいまで冷えましたが、近年は零下10度を下回る日は滅多になくなりました。お陰で、庭に植えた南国系の果樹のフェイジョアが、枯れずにしぶとく生き残っているとも言えますが、温暖化は確かでしょう。ただ、CO2が温暖化を招くとは言えないのが事実です。温暖化するとCO2が増えるのは確かですが、その逆は真とは言えないので、CO2削減が正しいかどうかは神のみぞ知る世界です。脱炭素は、温暖化防止ではなく、資源の有効利用と考えるべきでしょう。石油や石炭の鉱物資源は、エナジーに使ったら無くなるだけですが、資源として使えば物として残ります。その点からも、私は安定的なエナジーとしては、原子力しかないと考えています。太陽光発電は、周囲に大迷惑なのです。森であれば、気温も下がりますし、何よりも保水してくれますが、ソーラーパネルに変えてしまうと、今年みたいな暑い夏は、周囲は40度を超えるのです。サイクリングコースにもあるのですが、その周辺は、暑いだけでなく乾燥してしまっています。それでなくとも、ソーラーパネルの廃棄問題もありますし、発電する以上に周囲の気温を上昇させるようでは、本末転倒ではないでしょうか。風力発電は、不安定な上、ぶつかって死ぬ鳥の数が半端ではなく、特に大型猛禽類の死因ナンバーワンとも言われています。水力発電は、日本では比較的安定していますが、ダム一つ作るのも大変で、世界的に見ると、ダム一つ作ると広大な耕地が失われるので食料問題につながるという意見もあります。むしろ、地熱発電は比較的影響が少ないので、もっと推奨すればよいと考えます。エナジー問題を論じる気はなかったので元に戻りますと、今年は30度を超えた日数を数えますと、6月で12日、7月は現時点で20日です。その日数分、エアコンが活躍しているわけです。暑いと特に老人は家に閉じこもってしまい、身体能力の衰えが危惧されていますから、私は毎日サイクリングして防いでいます。暑くても、毎日、熱中症にならない程度に走り回ってくると、健康維持にも役立つようです。サイクリングコース、11キロのうち5分の1ぐらいは森の中や街路樹の木陰ですから、割と快適です。冬に池に蓋をして防寒対策をするせいか、亜熱帯系の睡蓮も毎年花を咲かせてくれます。この暑さがいつまで続くかわかりませんが、みなさま、熱中症にならないように気を付けて健康におすごしください。
Jul 26, 2024
67歳になって、自分が一番年老いたなあと感じることは、いろいろな言葉が出てこないことです。では、出て来なかったらどうするかですが、考え得る限り言い換えるのです。あるいは、名前だったら、考え得る限りの情報を引き出すのです。最近苦労したのはこの花の名前です。大変いい匂いのするハーブなのですが、名前が出てこなかったのです。そこでどうしたかと言うと、まず、これはハーブである、それから、アールグレイのにおい付けに使われている、そして、本来は柑橘の一種の名前であった…、そこまで情報を引き出しても、直ぐには出てこなかったのです。逆に言えば、これだけの情報があれば、ネットで調べれば簡単に名前はわかるのですが、それでは自分の頭の中の回路につながりませんから、しばらく考えて、ベルガモットという名前にたどりつきました。それを何度か頭の中で反復すれば、まあ、しばらくは忘れません。この情報を引き出すことは、外国語会話で役立ちました。もう29年前になりますが、6か国を巡る海外研修に行かせてもらえたことがありました。私、英語を専門的に学んだわけではなかったのですが、幼少期から、アメリカ生まれで英独会話ができた父と、インターナショナルスクールで外国人と付き合いのあった母に、これは英語では何て言うかと聞いたり、欧米風のマナーを学んだりしたからなのか、英語の感覚というべきものが何となく身に付いていたのです。そのお陰と、サヴァン症候群の分析能力からか言語的な才能に恵まれたことがあいまって、海外は初めてだったにもかかわらず、最初のアメリカで、2日でほとんど普通に会話ができるようになったのです。アメリカって、国際的移民国家ですから、アメリカ英語は寛容、言い換えればいい加減なのです。ですから、同じ意味の言葉でどんどん言い換えれば通じたのです。3日たつと、この人はイタリア系だとか、スペイン系だとかまで判別できるようになりました。思えば、小学生の時に、クリスチャンの父の影響で、日曜学校に行かされて、スペイン人のシスターに少し英語をならったことも。この判別に役立ちました。ですから、ニューヨークのサラトガ競馬場で、イタリア系のなんとドン・カポーネという名前の責任者に、「私の名前は、ドン・カポーネ、アルじゃないよ。」と自己紹介された時に、有名なギャングスタ―のアル・カポーネとかけたと気付いた私だけが笑ったところ、その後ドン・カポーネ氏、私にしか話しかけなくなってしまって、私は通訳にされてしまったこともありました。で、アメリカ、カナダは、一人で買い物に行っても大変快適に過ごせたましたし(もっとも、ロサンゼルスでは、治安は良くないので、現地の人には、頼むから一人で出歩かないでくれとお願いされました。)フランス、ドイツ、イタリアでも、そこそこ通じたのですが、英語の本場?イギリスでは、うまく通じなかったのです。笑い話みたいでしたが、ストラットフォード・オン。エイボン競馬場のプレジデントと会話した時に、日本から研修旅行で来たことを、スタディング・トリップと訳したところ、全然通じなかったのです。そこで、日本から来て、いろいろな競馬場を巡って、学んでいると説明し、それでもうまく通じなかったので、トリップをジャーニーと言い換えたところ、ようやく通じて、「オー、スタディング・トゥーリップ」と理解してもらえたのです。でも、アメリカなら普通に通じたのに、ちょっと発音が違ったのでしょうが、それだけで通じなかったのはショックでした。とはいえ、普通のお店では簡単な言い換えだけで十分通じました。通じなかったのは、貴族階級が集まっている競馬場内だけだったのです。イギリスの競馬、上層部だけでなく、係員クラスまで、貴族階級の者が、ボランティアで運営しているのです。ですから、競馬場ではアメリカ英語は通じなかったのです。我々は、それでも私の言い換えまくりで何とかなりましたが、カナダまで同行した別団体の職員は、ロンドンで「英語が通じないから通訳をつけろ。」と言われたそうです。イギリス英語は、寛容ではありません。でも、イギリスは、旧植民地の関係で、インド人がいっぱいいて、彼らの英語もまた少し違うなとわかりました。ですから、外国語会話は、如何に多くの言い換えができるか、が上達の秘訣でしょう。私の場合、もう一つの才能は、英語だけでなく、フランスではフランス語、イタリアではイタリア語、ドイツではドイツで聞きまくり喋りまくることで、3日もたてば、大抵何を言っているかわかるようになったことです。ただ、イタリアでは、タクシー運転手に、「空港まで料金はいくらだ。」と聞いたら、「20分だ。」というコントみたいなやりとりになったこともありましたが。でも、残念ながら、成田空港に着陸した途端、ほとんど忘れてしまいましたから、海外に行く度にその繰り返しでした。ぼけ防止のために、また外国語会話の勉強をしてみようかなと思う今日この頃です。
Jul 11, 2024
神坂夫人美奈子さん、夫に悪意を向けた人間が不幸になることは何となく理解していました。ただ、義母の高子さんに関わった人はそれ以上にひどいことになっていましたから、それにくらべればましかとそれ以上追及はしませんでした。でも、夫は仕事からリタイヤしましたし、お互いの親戚も半減しましたし、彼に悪意を向けて犠牲者になりそうな人は、皆亡くなってしまいましたから、本当のところはどうなのか、確かめてみることにしました。「ねえ、あなたの悪口を言うと呪われるって、まだ有効なのかしら。」聞いてから思い出したのですが、32歳の時に子宮筋腫破裂で死にかけた時、自分も夫の悪口を言ったことがありましたから、当時は効果があったことになります。すると、意外な答えが返ってきました。「美奈子が言うのが、いわゆるイージスの方だとしたら、僕にはわからないのが真実だ。」イージスとは、ギリシャ神話の女神アテナの持つ盾の名前で、全ての攻撃をはね返すと伝えられていますから、彼は、自分の超能力の一つを「イージス」と呼んでいたのです。「あなたにはわからないの。」「そう。だって、イージスは、本当に神様の領域で、僕自身の意思は全く反映されないし、元々、僕が全く知らないところで僕の悪口を言うと、大変高い確率で不運に見舞われるという現象を発見した、大学の後輩の聖護院真智さんがつけた名前だからな。」夫が付けた名前だとばかり思っていましたから、名前の由来も意外でした。「へえ、そうだったんだ。」「だから、イージスが働くかどうかは、本当に神のみぞ知る領域のお話だし、現在有効か無効かもわからないのが実態だ。まあ、美奈子は試したりはしないと信じているが。」最近イージスの犠牲者が出たとは聞いていませんし、試しても大丈夫そうなら少し試してみたくなっていた美奈子さんでしたから、機先を制されて慌てて否定しました。「そんなことしないわよ。」一郎君、にたっと笑って付け加えました。「イージスは神の領域だが、鏡のスタンドについては、僕個人の領域だ。だから、それについては、恐らく現在も有効だろう。」「鏡のスタンド」とは、某人気漫画に出て来た超能力なのですが、原作とは違って、彼の「鏡のスタンド」は、イージスの対人版で、彼に対して振るわれた暴力を、反射するかのように反撃する能力だったのです。ですから、超能力ではありますが、目の前に居て彼に危害を加える相手に対してしか働かないわけです。「まあ、あなたの実態を知っている人間は、絶対手を出さないでしょうから、安全だとは思うけど。」いや、一郎君自身は、一見穏やかな紳士ですから、自分のの強さを見分けることができるのは、武道の達人ぐらいで、普通の人間には強さは伝わりませんから、むしろ、こちらの方が危ないと思っていました。「あのなあ、僕の強さがわかるのは、武道の達人クラスか、喧嘩慣れしたヤクザさんたちぐらいだから、鏡のスタンドの自動反撃の方がはるかに危ないな。」言われてみるとそのとおりで、一郎君の強さを見分けたのは、柔道空手の黒帯だった佐々木氏、研修で世話になった空手道の師範たちや、某ホテルの大浴場で一緒になって唯一逃げなかった彼に逆にビビった倶利伽羅紋々の入れ墨背負ったヤクザの組長さんたちぐらいでしたから、一般人にはわからないと言われると、その通りかもしれません。ちなみに一郎君、ヤクザさんたちの入れ墨を、きれいだなあと見とれていたのですから、余計に気味悪がられたのです。でも、美奈子は、何となく感じていました。夫が本当に怒ったら、いや、夫に殺意を向けたら、相手の命が危ないと。「言われてみるとそのとおりね。でも、不思議なんだけど、あなたの力って、普通の力じゃないのよね。」夫は、体格の割には怪力ですが、時々物理的にあり得ないような力を発揮するのです。「ああ、あれね、僕自身困ることがある。ある意味、「葬送のフリーレン」に登場する女魔法使いユーベルの「大体何でも切れる魔法」みたいに、その時に、切れそうだ、折れそうだ、と思うと、普通なら絶対に切れないものでも切れてしまうし、折れないものでも折れてしまうんだ。その瞬間そう思ったらそうなってしまうから、なかなか制御できない力なんだ。」美奈子さん、思い出しました。「あっ、ベンツのエンブレム折ったやつね。」今はごく一部の車種だけになってしまいましたが、以前のメルセデスベンツは、ボンネットの先端部分に。スリーポインテッドスターのエンブレムがちょこんと立っていたのです。そのエンブレムに、折れそうだと思って人差し指でちょんと押しただけで、バキッと折れてしまったのです。ヤナセのサービスマンやセールスマンも、「これ、力を加えると倒れるようにできているので、絶対こんな風には折れないはずなのですが。」と戸惑っていました。「そう。実害が出たのはあれぐらいで済んでるけど、物理的に不可能ではと思えることができてしまうのが怖い。あと、ずっとやっていないから今できるかどうかわからないけど、サッカーのゴールキーパーやった時に、手で触れるだけで強烈なシュートでも跳ね返していたな。あれ、京大の工学部の連中とサッカーやった時にやって見せたら、運動力学のベクトルを考えると、物理的にあり得ない。と首傾げていた。触れただけで、ボールに反対方向のベクトルを与えられるはずがないということらしいけど。」それは実害が無さそうですから、美奈子さんも安心していますが、確かに超能力としか言いようがありません。「そう言えば、あなた、大学の同窓会で、超能力者って言われてるんでしょう。」今年も5月に大学の同窓会に参加してきたのですが、彼の話を聞いた同窓生たちは、超能力としか考えられないと面白がっていたとのことでした。美奈子さん、夫は嘘をつきませんから、彼の話は全て事実なのですが、荒唐無稽な話が多いので、嘘だと否定しないところが、京大生は凄いなと感心しました。しかし、最初から単純に信じていた訳ではなく、彼ら、話を聞いているうちに、嘘なら絶対理論的に破たんするところが出てくるはずだがそれがないし、彼が嘘をつく意味もないからと信じてくれたとのことでした。まあ、一郎君の場合は「超能力者」で済んだのですが、キャリア官僚を辞めて、普通なら考えられないような決断を繰り返して転職し続けた同窓生は、「変人」と呼ばれることになったと聞いて、思わず大笑いしていまいました。美奈子さん、一郎君と結婚1年後に千葉のアパートに住んでいた時に訪ねて来た京大の同窓生も、東京の六本木警察署の看板を見て、「蹴ってみたくなった。」と思ったらそのまま実践し、飛び出して来た数人の警官に取り押さえられてその晩留置場に泊まったと言う話を聞いたことを思い出しましたから、あの警察に泊まった人その後どうなったと聞いたら、「高級官僚になった。」との答えでした。夫も含めて、京大生って、十分変人だと思った美奈子さんでしたから、その変人超能力者の夫が、なんとか無事にリタイヤできて良かったし、今平穏に暮らせている自分も幸せだと安心し、この幸せが続くようにと祈る美奈子さんでした。
Jul 4, 2024
不定期更新のサヴァンシリーズ、続きです。リタイヤ後の神坂一郎君ですが、まずまず元気に暮らしていますし、馬に乗れなくなった分、自転車に乗って運動不足を補っています。しかし、自転車で走り回っていて困ることがあるのです。これまたサヴァン症候群とつながりはありそうなのですが、彼は、若いころから、人の顔と名前が全く覚えられないのです。彼のサイクリング、白髪の老人?が、老人とは思えないスピードで自転車でぶっ飛んで行きますから、どうしても目立ちますし、皆注目するのです。ですから、地域のコミュニティーでは、「神坂さん、自転車で元気に走り回っている。若いわあ。」と評判になっているほどなのですが、本人全く誰に見られているのか把握できていないのです。コミュニティーでも、会議の司会進行やら取りまとめなどの能力を買われて、リタイヤ後、年1万円のボランティアで、事務局員を請け負っているのですが、毎回会う三役の名前と顔だけは何とか覚えたものの、他の委員については、何度会っても全然覚えられないのです。名簿はあっても、座席表が無いから余計なのですが、年取って呆けたわけではなく、若い頃からこうなのです。しかも、正確に言えば、顔の見分けがつかないわけではなく、個々の顔の差は見事に見分けることができるのです。それだけでなく、お化粧しようが、髪型変えようが、服装変えようが、人の見わけはつくのですが、その人の名前は全くと言ってよいほど覚えられないのです。顔と名前が結びつかないのです。なまじ、人間の絡まない記憶に関しては、サヴァン症候群の情報処理能力のお蔭か、超人的ですから、何度会っても誰だかわからないというか、名前が覚えられないことが、他人には理解してもらえないのです。それもあって、人付き合いの悪さが天下一品なのですが、妻の美奈子さんは、他人から見ると、一郎君とは対照的で、人当たりが良くて明るいのですが、実は人と話すのは大嫌いで、できるだけ人とは関わりたくないのが彼女の本音なのです。ですから、人付き合いの悪い夫を持って一番喜んでいたのは、実は彼女だったのです。彼女、人と何をしゃべったらいいのかわからないと言います。その点、一見不愛想で、人付き合いが悪そうに見える一郎君は、どんな相手とでも臨機応変に話題を合わせて対応することができるので、皆、彼と話してみると驚くのです。何せ、無駄と思われるほど広範な知識を持っていますから、相談すると親身にいろいろ聞いてもらえますし、的確なアドバイスもしてくれますから、彼と話した人間は、驚きつつ感謝するのですが、その彼が自分の名前と顔を全く覚えてくれないのですから、信じられないのです。現役時代よくそれで仕事をバリバリやっていたなと思いますが、それについては、仕事の種類と場所を結び付けて何とか対応していたのです。どうしたかと言うと、シチュエーション毎に情報を記憶してしまうのです。〇〇の会議となると、まず、出席予定者名簿を記憶するのです。つまり、名前と肩書という文字情報なら、彼は簡単に記憶できるのです。それで、本番では、座席表を記憶することで、文字情報だけで何とかしていたのですが、出席者が変更になっていたり、飛び入りがあったりで、情報の無い者については推測して対応したのです。それで、44年間誰も気付かないぐらいうまくやっていましたから、余計に信じてもらえないのですが、場面の設定があるからできる芸当で、一番困るのは、シチュエーション的に会いそうもない人と偶然会ってしまった場合で、顔だけは、どこかで見たような顔だなとわかるのですが、名前や肩書と言った情報とつながりませんから、相手が誰だかさっぱりわからないのです。それでも、現役時代は気付かれずに仕事をしましたから、これからも問題になることはないでしょう。妻の美奈子さん、夫の一郎君が人の名前と顔がわからないことは、付き合って初めて知ったのですが、そんな彼が、どうして自分のことを、初対面だった入社式後の各部署挨拶の時に、以前から知っていたかのように注目してくれたのがずっと不思議だったのです。その上美奈子さん、一郎君と付き合う前に交際した男に、2回目のデートでホテルに行こうと強引に誘われたので断ったら、それだけで振られたことがありました。失恋ではないものの、それなりにショック、かつむかついたので、気分転換に座敷童スタイルのおかっぱ頭から、髪を短くして、パーマもあてて、モンチッチに大変身したら、同じ職場の人たちは誰一人彼女と気付いてくれなかったのです。それなりに痛快な気分ではありましたが、一郎君だけが一目で見分けてくれましたから、更に不思議に思ったのと同時に、初対面の時と言い、その時と言い、私を見分けてくれたと言うことは、もしかしたら私を気に入っていて、付き合ってもらえるのかしらと淡い期待をしたのも事実でした。それで、結婚してからどうして美奈子だとわかったのか聞いてみたのですが、「外見ではないもので見分けている。」との不可解な回答でした。外見ではないものとはいったい何なのか、それを聞いても、「うーん、その人の持つ雰囲気、一種の波動とでもいうべきものかな。」とさらに訳が分からない答えが返ってきました。それ以上に訳の分からない答えは、「美奈子は、前世で何度も一緒になっているからでもあるかな。」でした。まあ、サヴァンの夫は、人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる変人だと言うことは、43年の結婚生活で十分理解しましたから、そんなものかと思うだけでした。画像は、そろそろ食べられるようになってきた庭のブルーベリー、ブラックベリー、そして今日開花したビオトープの睡蓮です。
Jul 1, 2024
今や67歳も半ばを過ぎた私ですが、まあまあ健康です。一番の秘訣ですが、呼吸だと思います。これ、馬に乗っていた時に、壮絶に落馬しても下敷きになっても怪我しなかった秘訣と共通するのですが、とにかく呼吸を止めないことです。呼吸を止めると、体が硬くなって怪我しやすくなりますから、怪我しない秘訣だったのですが、心肺機能からみても重要だと思います。ちなみに私、若いころから1階の呼吸で8~16歩歩いていました。東京に通勤していた時も、新橋から六本木まで歩いていましたが、常にゆっくり大きく呼吸しながら歩いていたのです。それで、地下鉄サリン事件の時も地上を歩いていたのですが、今日はやけに歩いている人が多いなと思ったら、霞が関~六本木あたりで地下鉄が止まっていたのでした。最寄りの駅だった神谷町で8人の方が亡くなっていますから、無事だったのはウォーキングのおかげです。仕事から完全にリタイヤした今は、ウォーキングがサイクリングに変わりましたが、1呼吸で16回ペダルをこいでいますから、歩きとピッチです。つまり、100メートルを4呼吸ぐらいで走るのですが、ここで典型的マラソン選手のDNAが効くのか、全然ばてませんから、11キロのコース、アップダウンは少しですが、ほぼ同じペースで走っていますし、帰って来ても息が乱れることはほとんどありませんから、DNAのお蔭なのでしょうか。でも、それなりに老化していますし、体も硬くなっていますから、今後はストレッチングなども取り入れていきたいと思います。皆さまも、何時までも若くいることができるように、適度に運動してください。サイクリングの愛車、18段変速マウンテンバイクです。
Jun 30, 2024
我が家で出産したので保護しようとして失敗し、子猫計7匹も行方不明になったチビニャンなのですが、ご飯は欲しいとやってきますし、愛人?シロチャもよく一緒に来ます。シロチャの方は飼い猫だと思うのですが、このところ我が家によく来ています。チビニャン、シロチャとにらめっこしているヤマト保護しようとしたのですが、触ると飛んで逃げるので、チビニャン、我が家ではやらずぼったくりとも呼ばれています。
Jun 29, 2024
梅雨らしい天気が続いています。我が家、一頃子供たちが母の日に毎年アジサイの鉢植えを送って来て、それを庭に植えたところ、どんどん大きくなって、折角育ったものを抜くわけにも行かず、結構邪魔になってきています。通るのに邪魔になるので、花だけ切ってみました。アジサイって、挿し木すると割と簡単に増やせますから、昨年から邪魔になる枝を切っては庭中に刺して回ったところ、順調に増えています。最初は家の敷地の周りがドウダンツツジの生け垣だったのですが、後に買い足した土地の周りに、増えたアジサイを移植して行こうかと考えています。
Jun 28, 2024
まだ㋅ではあるのですが、昨日今日と今年最高気温を記録しそうな那須です。とは言え、ここ那須では、㋅で暑い日が一年で一番暑い日というか、体感的に暑い日になることが多いのです。で、そんな暑い日ではありますが、日課にしているサイクリングに行って来ました。私のサイクリングコース、変形8の字の一周11キロで、8割は舗装路ですが、2割は今時珍しい砂利道及び砂利の上に草が生えた道なのです。舗装路の方も、路面が余り良くないので、サスペンション付きマウンテンバイクに好適なコースです。家を出発して1キロ半ぐらいは、北西に森の中のゆるい上り坂を進みますが、途中から砂利道になります。それで、幹線になっている広域農道に突き当たって、その道路沿いの広い歩道を東に進みます。周囲は水田です。すると、歩道が途切れて砂利道の上を草が茂った道になります。この区間、濡れていると滑りやすく危険ですが、車は通りませんから、その分安心です。そして、森の中の舗装路を南に進みます。この区間、道が狭くて車が来ると危険なのですが、何故かよく蛇が轢かれて死んでいます。ここの百メートルぐらいの区間は、往路復路が重複する部分です。東に進みます。周囲は水田とネギ畑です。農道を2回ちょこちょこと曲がって突き当たって、Uターンに近い状態で、旧4号国道の歩道を今度は西に進みます。4号国道添いのスーパーで休憩した後、4号国道の歩道を更に西に進みます。この区間も緩い上り坂なのですが、見た目ほどではなく、6速のままでも割と楽に登れます。そこから北に曲がると、出釜湧水地があります。ここは、那須塩原市のコミュニティーで手入れしており、先週の日曜日に雨の中でしたが、私も参加して草刈りをしました。湧水地のはずが、ここ数年は、何の影響なのか、枯れて水が流れていません。ここから重複区間を逆行して、また田んぼの中の農道を抜けると、我が家の近くに戻ります。この直線は見通しがよいので、気が向けば全力疾走してみます。以上が11キロのサイクリングコースで、休憩含めて50分ぐらいで走りますから、時速18キロぐらいで走っているのでしょうか。丁度よい運動になっています。
Jun 25, 2024
今年は全国的に梅が不作だそうで、昨日訪れた二本松の義兄のところでも、福島の梅の産地が不作で大変だと言うお話を聞けました。で、我が家なのですが、我が家には実のなる梅の木が6本あり、豊作の年には15キロぐらいの梅の実がとれるのです。ところが今年は何と、一個しかなりませんでした。嘘ではなく、本当に一個だけだったのです。幸い自家製梅干しのストックが5年分ぐらいはありますから、せいぜい手入れしてあげて、来年に期待することにします。
Jun 16, 2024
実は3年前に、妻の神坂高子と離婚後行方不明だった一郎君の父である神坂常和氏、旧姓辻野常和氏の妹に当たる人、つまりは、一郎君には叔母に当たる野口恵子氏が亡くなって、相続問題が生じ、恵子氏の兄で一郎君には叔父にあたる辻野久氏が依頼した弁護士から、わさわさと書類が届いたのです。一郎君は、辻野久氏とは面識がありましたが、野口恵子氏とは会ったことも無く、更に弟つまりはおじさんが二人居たことすら知らされていませんでしたから、寝耳に水だったのです。しかし、このお知らせで、とっくの昔に死んだかと思っていた常和氏が、何と元妻で一郎君の母の高子よりも1年長生きしていたことが判明したのです。つまり、一郎君に嫌がらせ的に呪ってまわったから亡霊だとばかり思っていた常和氏の霊は、質の悪い生霊だったことも判明したわけです。また、相続関係の参考に送付された戸籍関係の図で、一郎君が知っている関係者の続柄とかなり相違があることもわかったのです。まず、一番大きな相違は、常和氏の戸籍で、これは、かなりいじくったと聞いていましたからそれほど驚かなかったのですが、実際は昭和元年にアメリカで生まれたものが、外交官の父とともに帰国した日と思われる昭和3年4月27日生まれになっていたことです。これで、常和氏の数奇な運命が、更に過酷になったのですから、いろいろ事情があって良かれと思ってやったことだったのだとは思いますが、罪なことです。また、常和氏の継母になった辻野真紀子氏は、一郎君は、彼女が息子の久氏の元に身を寄せていた時に会ったことがありました。彼女は某有名大名家の娘で、本人もそのことを認めていたのですが、戸籍ではその家名はおろか結婚していたはずの夫とも姓が違っていて、こども達は皆辻野姓で、常和氏は彼女の長男になっていましたから、それも不可解だったのです。どうも、元?夫と結婚した日も、常和氏が生まれた日も、全て昭和3年4月27日になっていたようで、戸籍上の夫は昭和20年に亡くなっていて、姓が違いましたから、その後再婚して辻野姓になり、その際にこども達も皆辻野姓になっていた可能性は考えられました。しかし、それならばその痕跡が残っているはずで、とにかく不可解な戸籍だったのです。それで思い出したのですが、常和氏、出身は高知県で、これまた一郎君の知る限りでは、彼の家族も昭和30年代までは高知に居たはずなのです。そこで、ホラーな話になります。常和氏、高知に伝わる狗神の呪いに大変詳しかったのです。一郎君、好奇心旺盛でしたから、小学生の時に父の常和氏に詳しく聞いたことがあったのです。一般的な言い伝えでは、かなり強烈というか、飢えた犬を首だけ出して地面に埋め、餓死する寸前に首を切って、その首を呪物とすることになっていますが、常和氏の話では大分違っていたのです。首だけ出して埋めるところまでは共通していましたが、犬が餓死するまで毎日その犬の前に餌を持って行って、「お前には、××さんの命令で、餌をあげられないんだ。恨むなら××さんを恨め。」と繰り返すのだとのことでした。常和氏が見て来たかのように話しましたから、これはこれで怖いなあと思いましたが、もっとホラーなのは、常和氏、呪殺を生業としていた狗神筋の一員で、親戚には呪いを請け負っている人も居たらしいのです。狗神筋ですが、被差別民の一つの形ではないかと見られていますが、実は、常和氏には大変な証拠があったのです。常和氏、何とお尻に尻尾の痕跡があったのです。それで、一郎君が父と一緒にお風呂に入った時、「それなあに。」と聞いたら、「しっぽの跡なんだよ。お父さんの一族には、これを持っている人がたまに出るんだよ。」と話してくれたのです。しかし、幸いなことに、一郎君にも他の家族にも、しっぽの痕跡を持った人間は居ませんでした。そこまで思い出して、常和氏がずっと生霊を飛ばし続けることができたのは遺伝的な能力であり、その能力の一変形で、戦時中もたった一人の生き残りとして生還することができたと考えることもできることに思い当たりました。それでなくとも、一郎君自身が霊力の化け物みたいな人間ですし、その息子の一郎君に、生霊となって何度も喧嘩を売ったのですから、戦時中も、生霊となった時も、しぶとく生き残ることができたのは、その呪力の賜物だったのかと考えれば納得が行きました。おそらくもうそんな一族は残っていないと思いますが、彼が父親から聞いた狗神筋に関するお話は、伝説とは大分違ったものだったのです。それでなくとも、狗神筋については誰も話したがらない話ですから、一郎君が常和氏から聞くことができて、こんな形でも記録されることができたこと自体奇跡のようなものなのでしょう。
Jun 11, 2024
このベンツの電気自動車EQA250のお話、再びと断ったからには第一弾があるわけで、それは3月23日のブログになりますから、興味のある方は、そちらも読んでみてください。で、今回は、2年点検の代車として、前回と全く同じ車を貸してもらえたので再びなのですが、前回借りた時に、「ぶっ飛びすぎる。回生ブレーキも効きすぎる。これでは危険で、初心者や老人にはとても載せられない。」との意見を述べてきたところ、今回何とその解決策を示してくれたのです。何じゃいなそれはと言いたくなりましたが、「シフトをDに入れた時に、パドルシフトのプラスを1回押してください。D+と表示されて、回生ブレーキの効きがマイルドになります。試して感想をお知らせください。」とのものだったのです。そう簡単に行くものかと半信半疑で試すと、確かに回生ブレーキの効きが普通のオートマのエンジンブレーキに毛が生えた程度にマイルドになったとともに、ぶっとび加速の方も、私のC220dのディーゼルに毛が生えたぐらいにマイルドになったのです。前回、こんなものあったかいなと不思議に思えたのですが、恐らくヤナセの方でもEQAは全然売れていない車というだけあって、いろいろと解決策は考えていたのでしょう。そこで思い当たったのですが、最近モデルチェンジしたEQA250は、回生ブレーキの効きを切り替えることができるように改善したとのことでした。EQA250電気自動車ですから、モーターの制御プログラムの改良だけで、この程度のことはできるわけで、本体はそのままプログラムアップデートだけでその機能を付け加えることができたのです。特技の自動車の動きを把握する能力で、これまた50メートルも運転したら、D+で全く特性が変わって、別物になることが理解できたのですが、必ずしもよいことばかりではありませんでした。つまり、全てがマイルドになることイコール、電気自動車としての強烈なトルクとこれまた強烈なエナジー回生もマイルドになるわけで、しばらく試した結果、初心者と老人には、D+を勧める、いや、絶対D+で運転しなさいと勧めますが、私みたいな超ベテランには面白みがなくなるからDでよいとの結論に達したのです。ぶっ飛びトルクの改善は良かったのですが、回生ブレーキのマイルド化は、回生エナジーの低下、走行可能距離の短縮に直結します。まあ、ぶっ飛びトルクで浪費する分と天秤にかけるとどうなのかなあというところで質問したところ、「明らかに航続距離は低下します。」との回答でした。ですから、しばらくD+で運転した後は、前回と同じDでの運転に戻しました。アクセルをそーっと踏んで、そーっと放すだけで、ほとんどブレーキを踏まずに運転できるのですから、普通の内燃機関車に近いD+では、折角電気自動車に乗っている意味がないわけです。それで、片道60キロを往復してきて返す時に、「初心者と老人には絶対D+で運転させるべきです。これなら、少々加速の良い車、程度の印象で済みますから。」と感想を述べたところ、何とその時になって、「そうそう、次回はD-を試してください。」と更なる裏技を教えてくれたのです。何で昨日貸してくれた時に教えてくれないのと抗議したくなりましたが、次回も同じ車を貸してくれるというあちらの意思表示でもありましたから、有難く引き下がることにしました。ちなみに、D-にするとどうなるかと聞いたら、ぶっ飛びトルクと回生ブレーキ双方が強化されるとの回答でした。「普通のD以上のぶっ飛びトルクと強烈回生ブレーキは必要ないと思いますが、次回を楽しみにしておきます。」と答えました。電気自動車、決してエコではありません。単純に完成車を走らせる時に出すCO2が少ないだけで、製造には内燃機関自動車よりも多くのCO2が排出され、日本のように火力発電主流の電気を使っていると、CO2の削減にもつながらず、本末転倒以外の何物でもないのです。この事実は、ようやく広く認知されるようになりましたが、このEQAのように洗練されたシャシーとプログラムを持ち、バッテリーからの発火もない安全な電気自動車は、その分高価なのです。この車、定価は700万を超えるのです。安価な中国製や比較的安価な韓国製の電気自動車は、まだまだ発火と急発進、プアーな足回りの問題が解決されていませんから、自動車としては欠陥品です。それなら、スポーツカーを追いかけ回せるぐらいに速く、黙って千キロ以上走る私の車の方が、絶対よいと思いました。ですから、EVに買い替えようとは思いませんが、今回点検が終わった愛車に乗ってほっとした反面、加速と回生ブレーキの減速にはつい物足りなさを感じてしまったことも事実です。では、次回第三弾があるかどうかわかりませんが、あればまた投稿します。画像は、前回と同じく、モーターと補器用バッテリーだけのエンジンルーム?と後ろから見たスタイルです。
Jun 10, 2024
淡路島往復2千キロ車の旅編で予告した別編です。私、京都府の京丹波町に、母の我儘で手に入れた末放棄された廃屋を1軒所有しています。母が買った時点で家として登記されてから82年経っていたので、登記が明治28年になりますが、それ以前からあったもののようですから、明治を通り越して江戸時代からあったものなのかもしれません。かやぶきの古民家で、母が買った時にトタン屋根をかぶせたのですが、昔の養蚕の器具や、農機具が屋根裏に放置されています。シロアリも食いまくっているのですが、阪神淡路大震災も北摂地震も平気で、家としては現在もちゃんと立っています。もう一軒も、もとはと言えば母の我儘で、私が中学生の時に、別荘が欲しいと言い出し、滋賀県と長野県に1軒ずつ別荘を買ったのです。滋賀県の別荘は、私が大学生になった時に売ったのですが、何年か前に見に行ったら、既に取り壊されて新しい大きな別荘が建っていました。今回見に行った長野県某村、某山麓の別荘も、結局5年ぐらいしか所有していなかったのですが、元は県が開発した別荘地で、当時は50軒ぐらい売り出されていたと記憶しています。県が開発しただけあって、上水道と排水路は確保されていましたから、とりあえず生活には困りませんでした。確かに夏は涼しくて快適でしたから、毎年避暑に行って、大学受験の勉強を、涼しい所ですることができたというメリットはあったのですが、大学入学以降は、毎年避暑というよりも家の手入れに行っていたようなもので、いろいろなところが傷みますから、ペンキ塗りやら壁の補修やらで、余り休んだ気にならなかった記憶があります。結局夏2か月ぐらいしか使い物にならない物凄い金食い虫でしたから、私が大学を卒業した時に嫌になった母が売り払ったのですが、確か1千万近い値で買って、400万で売った記憶があります。この別荘、私一人だけでですが、母の命により真冬に見に行ったことがありました。この時は、何度も命の危険を感じました。まず、真冬で積雪していましたから、別荘地の入り口から300メートルぐらいで通行止めとなり、別荘まで約3キロぐらい歩くことになったのです。着いたのが夕刻で、日没後でしたから、暗い中を歩いて行ったのです。今なら便利なヘッドランプがありますが、当時はそんなものはなく、小さな懐中電灯を持っていただけでした。しかし、私夜目が利きますから、懐中電灯は別荘に着くまで全く使いませんでした。そして、これは命の危険ではありませんが、歩いていたら、目の前にヤマドリが飛び出して来たのです。まあ、向うの方が驚いたのでしょうが、感情欠陥の私でも、珍しく驚きました。雪が舞う中別荘にたどり着くと、幸い電気も水道も使えましたから、一息ついて、2階のベランダに出てみました。何気なく空を見上げると、先ほどまで雪が舞っていたのが嘘のように、何と満天の星だったのです。これは、単純に感動しました。世の中にこんなきれいな星空があるのだと。67歳になる今まで、この時よりもきれいな星空は見たことがありません。これで安心してぐっすり眠ったのですが、翌朝がこれまた驚愕でした。起きてみたら、何と吹雪だったのです。家に居てもすることはありませんから、仕方がない帰るかと、滞在12時間で別荘を後にしたのですが、この時の私は、奇跡的な運に恵まれました。まず、別荘をスタートして100メートルぐらい進んだ時、吹雪ですから前がほとんど見えなかったのですが、何気なく立ち止まって足元を見ると、道路が崩れていたのです。あと一歩踏み出していたら、まあ、死にはしなかったでしょうが、数十メートル雪が積もった崖を滑落することにはなったでしょう。二つ目は、車まで戻ると、車の形がうっすらわかるぐらいに雪が積もっていたので、半分掘り出すような感じで除雪したのですが、幸いエンジンも一発でかかりました。それからが三つ目の幸運なのですが、何とその車、ケンメリスカイラインだったのですが、タイヤが全くのノーマルつまり夏タイヤ、しかもそのタイヤも5部山ぐらいしかなかったのです。当然スリップしますが、その辺は、地形を記憶する特技を生かして、上り坂になる地点は、ここら辺までこのスピードでいけば、惰力で何とか登れるだろうとか、このスピードで行けば、次の急カーブも曲がり切れるだろうとか、冷静に考えつつ慎重に運転し、無事下山できたのです。山の麓にあったガソリンスタンドで給油した時、屋根にまだ雪が積もっていましたから、店員に聞かれました。「兄ちゃん、雪積もってるけど、どこから来たんだい。」「うん、あの××山の上の方から。」その店員、私の車のナンバープレートとタイヤを確かめた後呆れていました。「大阪から来たんだろうけど、今○○○町でノーマルタイヤで走ってるドライバー一人もいないぞ。」でも、何とか無事帰れました。それで今回、長野の鹿教湯温泉に宿泊するついでに、その別荘がどうなったのか見に行ってみました。確かこの辺だったなあとまずはグーグルアースで見たのですが、木が茂ったためか発見できませんでした。それで当時の記憶を頼りに行ってみて、発見はできたのですが、これこそ廃墟になっていました。斜面に建てられた2階建てでしたが、壁には穴が開き、2階のバルコニーは崩落し、家全体が傾き、倒壊寸前の悲惨な状況でした。恐らく売った後、全く手入れされていなかったものと思われます。1階に玄関があって、浴室とトイレも1階にあったはずです。この建物、確か昭和48年に建てられていますから、51年しかたっていないのです。京丹波が登記から129年たっていますから、古くてもしっかり建てられたものは今でもちゃんと立っているわけです。また、もう一つショックだったのは、私は別荘の周りに、アカボシシャクナゲ、キリシマツツジ、銀露梅、金露梅、などいろいろな植物を植えたのです。買い取った人がみんな移植したわけではないと思うのですが、売った時点でかなり育っていたのに1本も残っていませんでした。正直に言います。別荘なんて買うものではありません。そんなお金があったら、ホテルに泊まった方がよほどリーゾナブルです。そのことが再確認できた今回の訪問でした。
Jun 7, 2024
舌を噛みそうな高級リゾート、グランドメルキュールアワジアイランドリゾート&スパですが、昨夜は和風懐石コースでしたが、朝はビュッフェスタイルでした。60歳過ぎると量食べられなくなりましたから、少しずつ取って来ては食べたのですが、素晴らしい食事でした。一緒に行ったメンバーの一人は、「スクランブルエッグが食べられなかった。」と悔しがっていましたが、私は、パンケーキが食べられなかったのが少し残念でした。昨日の芦有道路のなぞ解きになりますが、朝食会場で、どこかで見たことのあるきれいな女性がいるなと思っていたのですが、私、人の顔と名前は全く覚えられませんから、気のせいかなと思っていました。早めにチェックアウトして、今朝最初の目的地、福良の淡路人形座に向かおうとして駐車場を横目で見ると、昨日芦有道路で見た車だけでなく、スーパーカーがいっぱい展示されていたのです。このために移動してきたついでに一部の車が昨日芦有道路を走っていたのでしょう。今朝見たのは、展望台で見かけた女性だったわけです。展示会?が見られなかったのは残念でしたが、淡路人形座、楽屋も見せてもらえましたし、人形の操作の説明もしてもらえて、楽しめました。舞台と黒子さん台本人形の数々。一番右が当日の出し物の主人公エビス様馬です。ちゃんと人が入って操作しています。実演で説明してもらえましたが、人形は、3人で操作するのです。淡路人形座を終えて、うず潮クルーズの前に少し早い昼食をとりました。そこで、クルーズに出発したのですが、残念ながら、船酔いするという一人と、メニエール病でめまいがして常に地面がふわふわするという一人は、残念ながら乗船しませんでした。私、うず潮クルーズは二度目なのですが、前回は55年前ぐらいで、当時は小さな船でしたし、ホラーな話で、うず潮の真ん中でくるくる回っているタンクのようなものが見えたので船員に聞いたら、「ああ、あれ、先週沈没した漁船の積み荷だ。」との衝撃的な答えが返って来たことが印象に残っていました。それに比べれば、今回のクルーズ、何と「咸臨丸」なる帆船風外観の大きくて立派な舟でしたから、心配ないなと思いました。出航の挨拶大鳴門橋下のうず潮?下から見た大鳴門橋こちら、もう一隻のうず潮観光船日本丸これこそうず潮うず潮観光を終えて、最後は丘の上にあるうずの丘大鳴門橋記念館で今回の同窓会の日程を終えました。とは言っても、これから皆さん帰るわけで、私は大阪組二人を乗せて帰ったのですが、途中神戸で渋滞5キロがあり、二人を降ろして豊中の定宿に帰着したのは18時頃でした。そして、一昨日のお話に戻って、翌日は京丹波に再度立ち寄ったのですが、大阪は雨でしたが、京丹波からは晴れて暑くなりました。庭の穴を検証した結果、黒い毛が残っていましたから、黒猫ハチちゃんの遺体を完全に掘りだしたかどうかは微妙でしたが、その上に土饅頭を築いて、石を乗っけて御墓らしくしてきました。同夜は敦賀泊でしたから、気比大神宮にお参りしてきたのですが、庭園の噴水に丁度日が当たって、虹が出ていました。今回おまけで、帰りに敦賀と鹿教湯温泉に宿泊したのですが、敦賀はビジネスホテルで、夕食カレーサービス、朝食もサービスで、5,220円と大変リーゾナブルでした。翌朝から雨になって、鹿教湯温泉に移動する際、工事で一宮付近で名神が大渋滞していました。とは言っても、1時間ぐらいで通過できましたが、その日は一日中雨、夜は注意報が出るほどの大雨でした。この雨の中半日と、前日京丹波での2時間については、別編で触れたいと思いますので、ご期待ください。鹿教湯温泉ですが、タイムサービス超特価で、12畳1室1泊2食付き8,950円でした。一泊2食3万円の高級リゾートと比べてはいけませんし、大体客層からして、鹿教湯温泉は年配の湯治客(考えてみると、私もそうなのかな)中心でしたが、温泉はさらっとして、硫黄泉ではないから匂いも無くいいお湯でしたから満足です。でも、温泉も不況らしく、この旅館、藤館と桜館の二棟あるのですが、桜館は休業中でした。また、周囲をよく見たら、幽霊ホテルになっている建物もありました。翌朝になると晴れて、いいお天気になりました。東部湯ノ丸から上信越道、北関東道、東北道経由で宇都宮に寄り道してようやく帰宅できましたが、今回宇都宮で給油するまでの総走行距離は1949.4キロ、消費した軽油は79.89リットルですから、軽油1リットルで24.4キロ走った勘定になります。帰宅したまでは良かったのですが、翌日地域のグラウンドゴルフ大会がありまして、炎天下の中参加させられたところ、その後脱水症状を起こして3日寝込みました。元気だからと言って、無理は禁物ですね。
Jun 6, 2024
5月23日から29日まで、25日に淡路島で大学の同窓会があったのに合わせ、那須から車で出かけました。1か月前の4月末にも大阪で小学校の同窓会がありましたから、2か月連続の遠出になりました。23日の夜9時出発で、東北道、圏央道、新東名、伊勢湾岸道、新名神、京滋バイパス、京都縦貫道と、こちらは何時ものコースで夜通し走りました。このところ高速を走る度に、制限速度プラス5キロぐらいで走る私のメルセデスを、オービスが光りそうな速度でぶち抜いて行く車が、ポルシェでもBMWでもなく、プリウスなのです。今回は、アクアも少数加わりましたから、トヨタのハイブリッドに乗る人は、スピード出したがりが多いのでしょうか。そして、今回も、走行車線に車が居ないのに追い越し車線を延々と制限速度で走る、煽られ家が居ました。今回の煽られ家、赤いアクアだったのですが、私の前の車がびったりくっついても頑として譲らないので、頭にきて走行車線から抜いて行きました。それで、私が追い付いたのですが、その時はたまたま走行車線に大型トラックが居て並走になったのですが、やはり譲りません。トラックをパスしてから走行車線に移って抜くのも嫌なので、べったり後ろに付けたら、何とブレーキを踏んだのです。チキンレースをやらせたら、私のメルセデスには絶対かないませんから、そのまま距離を詰めたら、最後は諦めて譲りました。延々と20キロ以上追い越し車線を走って、ブレーキ踏む意地悪まで最後は譲るぐらいなら、最初から意地悪しなければよいのにと呆れました。夜中に高速を走ると、今回のアクアのような車は大変稀なのですが、その代わりに困るのが、パーキングの小型車用駐車場に、駐車位置どころか、道路まで占拠して駐車する大型トラックの洪水です。ネクスコも考えたのか、各パーキングエリア毎の大型車、小型車の混みぐあいまで表示するようになりましたが、要は、パーキングの容量が、大型車の駐車ニーズを満たしていないわけです。こちらとしては、しかたがないので、大型トラックの間の狭い隙間を縫って駐車し、本線に戻る、を繰り返します。近年の車、「運転が長時間になりました。休憩しませんか。」とうるさく言って来ますので、3時間に1回ずつぐらいは休憩し、翌朝7時頃に京丹波に到着しました。私が所有している江戸末期の古民家、とは言っても、床は抜け、電気水道も廃止した廃屋?、周辺の草刈りと手入れをしました。我が家の4サイクル草刈り機を、同町内の「農家民宿荒牧家」さんにあずかってもらっていますから、草刈りにはそれが活躍します。那須を出発した時は晴れていましたが、京都から京丹波にかけては霧でした。草刈りを始めるとその霧も晴れて来たのですが、そこで庭を見て不審に思ったのです。何かあったものが無くなっていて、穴を掘ったような跡があったのです。しばらくして、ああ、ここには昔茨木の元祖父母宅にあったつくばいが埋まっていたはずだと気付き、隣の家の人から、大阪に住んでいる妹が先週あたり来ていたと言う話も聞けましたから、その夜問い合わせてみました。すると、愛猫が死んだので埋葬しに来たとのこと。しかし、浅いとはいえ穴があいていましたから、妹いわく、「一生懸命掘って埋めたのよ。」はよいのですが、野生動物が掘り返して死体を食べてしまったのではないかとのホラーな展開になりました。これ、わかったのはその夜大阪のホテルに移動してからでしたから、同窓会が終わった次の日、もう一度京丹波に立ち寄って確認することにしました。翌朝もよいお天気でしたから、定宿としている豊中市蛍池のホテルを10時に出たのですが、待ち合わせの新神戸駅には1時間少々で着いてしまいます。さて、どうしようかと思いつつ171号線を西に進んでいると、昔立ち寄ったことがあるさつまいもの青木昆陽ゆかりの昆陽池がありましたから、周囲を一周してみました。昔は無料の駐車場があったのですが、今や何と有料立体駐車場に変わっていましたから、一周しただけで171号線に戻りました。途中で2号線に移って西に進むと、芦屋に入りましたが、気のせいではなく、高級車が多く走っていました。そこでふと、芦有道路を思い出しました。私が前回芦有道路を走ったのは、有料化される前の大学生の頃でしたから、まあ時間つぶしによいかと山登りコースに進路変更しました。茨木の昔通学していた道路でも思ったのですが、この道、こんなに狭かったかと思うことが増えました。芦有道路も同じで、狭い坂道でした。これで、路線バスとすれ違うのですから、少々危険です。途中、大変見晴らしの良い展望台がありましたから、トイレ休憩に立ち寄りました。すると、駐車場にクラシックカーからスーパーカーまで、総額1億を超えそうな車が並んでいました。(ちなみに、真ん中の白のステーションワゴンが我が愛車)そこに居た人の話を立ち聞きしていると、「まだ、ウラカンが来ない。」と言っていました。ウラカンというとランボルギーニでしょうから、そのような車の集まりがあるようでした。(これ、翌朝謎が解けました。)如何にもクラシックカーで、凄いエンジン音をたてていた左端の一人乗りの車が先に出たのですが、私は他の車を尻目に、その車を追って先を急ぐことにしました。芦有道路、950円かかりましたが、有馬温泉に向かって下って行くと、こちらにも展望台がありました。ただ、この方向では有馬温泉と三田市しか見えないからか、こちらは誰も居ませんでした。この先にあったもう一つの展望台はお粗末で、周囲の木が育って、ほとんど景色が見えなくなっていました。有馬温泉まで下って温泉街を通り抜けると、いつの間にできたのか、阪神高速7号線がありました。新神戸駅にカーナビを設定いましたから、7号線に乗れとカーナビに命じられ、乗って、途中で新神戸トンネル方向に曲がり、長い長いトンネルを進むと、なぜか優秀なカーナビは直進を表示したのですが、道路標識では新神戸駅は左折でしたから、標識の方を信用していくと、トンネルを抜けたと思ったら新神戸駅の真横に出ました。まだ12時で、思いのほか早く着いたのですが、丁度1台駐車場が空きましたから、そこに駐車して駅のレストランで昼食をとることにしました。のんびり昼食をとったつもりでしたが、30分しかたっていない12時半でしたから、まずトイレに行くと、なんと特大のムカデを発見、危険だから殺すかと踏んづけたのですがなかなか死なず、大の個室の中まで追いかけてようやくとどめを刺し、トイレットペーパーに包んで流しました。そこでふと振り返ると、個室にリュックサックの忘れ物を発見、丁度外に居たガードマンに知らせたところ、ゴロゴロを引きずった若者が慌てて帰ってきましたから声をかけると、そのリュックの持ち主でした。その後1時間早く来た同級生と話していたのですが、他のメンバーが現れたのは13時10分頃で、待ち合わせの車の残り3台は、駐車場が満車で並んで待っていることになりました。集合時刻に遅れたメンバーが一人出たため、1台残ってもらって、残りの3台は13時30分に先に出発して、淡路島のおのころ島神社で待ち合わせることになりました。先ほどは何故かつまづきましたが、大変優秀なカーナビの指示により、円滑に阪神高速から明石海峡大橋を通って淡路島に渡りました。私、淡路島島内を運転するのも、明石海峡大橋を渡るのも初めて(それもあって、那須から800キロ近く走って来たのです。)でしたから、見晴らしの良い一番左の車線を走ったのですが、海面からの余りの高さに、高所恐怖症ではない私でも怖いと思いました。高所恐怖症の人は、一番内側になる右の追い越し車線を走りましょう。おのころ島神社、ばかでっかい鳥居がいい目印になりました。おのころ島神社には私が一番乗りして20分ぐらい待って、ようやくこの時点での予定参加人員13名全員が揃いました。おのころ島神社、実は、私は全く知らなかったのですが、イザナギイザナミの国生みの時にできた島の一つであるおのころ島が淡路島という話ですから、大変由緒正しき神社だそうです。ここで、無人販売所があったので、私はお土産に淡路島名物の玉ねぎを買い込みました。一袋200円だったのですが、この後観光地の売店で見ると、半分の量で600円以上していましたから、お買い得でした。みんなで参拝して、まだ15時前でしたから、ホテルに向かう予定を変更し、徳島と結ぶ大鳴門橋のたもとの道の駅うずしおに行くことにしました。道の駅うずしお、大鳴門橋を下から見上げることができるというので行ったのですが、工事中で、上から見ることができる売店の有る地点までしか行けませんでした。大鳴門橋、上から見たらこんな感じでした。おのころ島神社から道の駅うずしおまで、中途半端な距離で、カーナビでは高速1区間だけ乗れと出ました。180円なので乗って行きましたが、一般道で来た他の3台と10分ぐらい差がつき、先に着いた私は楽に駐車できたのですが、後続組はほぼ満車でひっかかっていました。ここからホテルまでは近かったので、のんびり走って行きました。今夜のお宿、グランドメルキュールアワジアイランドリゾート&スパです。確かに高級リゾートで、施設、温泉、食事、どれをとっても最高でしたから、お勧めします。週末だったこともあり、満員御礼の盛況でした。後編に続く。
今年は梅雨入りはまだですが、雨がよく降る昨今です。しかも、梅雨のような雨ではなく、結構多量に降っています。さて、お庭ですが、食べられる実が実ってきました。ジューンベリーです。おいしいのですが、ほぼヒヨドリの餌になっています。毎年子育て時のおやつになっている気がします。こちらはフサスグリです。少し酸っぱめで、高級なケーキの付け合わせに使われていることの多い果実ですが、なかなかおいしいものです。こちらはユスラウメです。やさしい甘さで美味しい実ですが、取るのが面倒なのが玉にきず。ホタルブクロが咲き始めました。蛍はまだ見かけていませんが。サツキです。息子が宇都宮の高校に通っていた時に、鹿沼フェアで宇都宮駅前で配っていたものを私が植えて、毎年咲かせています。これはダッチアイリスですが、もう花が終わりました。今年は、梅、あんず、スモモは不作の用です。
Jun 4, 2024
一旦終わりましたが、再開というか、書き残したことを思いついたので不定期に続けます。神坂夫人の美奈子さん、自分は果たして夫の一郎に愛されているのだろうかと、ずっと考えていました。何せ、彼はサヴァン症候群の一種で、人間的な感情がないのです。いや、感情表現が無いと言った方が当たっているのかもしれません。 しかし彼は、普通の男と違って、女性と遊びたいとか、他の女性とセックスしたいとかいう欲望がないのです。何故私と結婚したかについても、単純明快と言うか、結婚する運命の相手だとわかったから、の一言で片づけたのです。彼が誠実だから信用できるものの、普通の男から同じ言葉を聞けたら、そんな遊び人は即バイバイというところです。しかし彼、本当に言葉通り、初対面から私を結婚相手と認識していましたし、付き合い始めたのは半年後にはなりましたが、その1年後には本当に結婚していましたから、確かに誠実なのです。そして彼は、女性と遊ぶだけでなく、一体何が楽しゅうて生きているのだろうと思うほど、一般的な快楽には興味がないのです。酒もタバコも賭け事もしません。ただ、私自身、男性と遊びたいとは全く思わなかった人間でしたし、彼が女性と遊びたいと全く思わないことも、私の理想の男性の条件の一つでしたから、決して悪いことではありませんでした。実際彼は、他の女性と遊ぶことには全くお金を使わず、私にダイヤの指輪や高価な服飾品をプレゼントしてくれたのです。私が結婚相手に要求していた条件であった、自分より頭がいい、酒癖が悪くない、堅実、を全て満たしたうえで、私を尊重してくれるのですから、普通の意味の不満はないのです。では、何が不満かと言うと、不満というよりも不安なのです。彼の心がわからないことが。彼は、自分が感情が理解できないのは、サヴァン症候群の特徴であり、その分以上に理解力、情報分析力に頭脳を使っていると釈明します。そのとおりなのです。そして、彼の言うとおり、彼の理解と情報分析、それによる決断は、超人的としか言いようがありません。本人の弁によると、それらの能力によって、未来の映像を幻視できるというのです。つまり、未来を見て来るから、間違ったことはしないのです。それも、そのとおりなのです。私と結婚したことだって、未来の映像、しかも結婚10年後ぐらいの映像を幻視できたから、私しかいないと自信を持って決断したと言います。世間一般の常識では、京大卒のエリートの彼が、田舎の高卒の私を躊躇なく妻に選ぶことはありえないのです。その理由まで問い詰めると、何と彼、脳内で無限に近いシミュレーションを行った結果、300坪の土地に40坪の家を建て、メルセデスベンツに乗っている現状が最も幸せだったからと答えました。確かに現状に不満はありません。しかし、ここに至るまでは、数々の危機がありましたし、特に義母の非常識な言動は、私にとっては、真剣に離婚の危機だったのです。その時も彼は、「今は嫌な思いをするが、その状態を最短に乗り切るには、このまま母を受け入れる方がよい。」と答えました。この点でも感覚が違うのです。私は、嫌な思いをするのは避けたいと思います。しかし彼は、その先まで見通して、最善の策を選択するのです。結果論としては、常に彼の選択は正しかったとしか言いようがありません。でも、そこには私や家族が嫌な思いをすることは全く考慮しないのです。彼自身の嫌な思いについては、彼は全く無視しました。彼は、正しいのです。正しすぎるのです。時々付いて行けないと思うほど。彼の言うとおりにした結果、義母の介護は3年で済みましたし、加速度的に悪化した認知症で、直ぐに特別養護老人ホームにも入所できましたから、金銭的な負担も軽く済んだのです。彼を含む家族の介護負担は、最小、最短で済んだと言われれば、そのとおりなのです。私としては、家族に協力を呼びかけず、冷徹な決断をしたことがひっかかるだけなのです。同様に、私を愛しているかの問題もあります。彼は、大変正直にこう答えました。「愛とは何だ。恋とは何だ。愛していると言っても、恋していると言っても、その相手をよくすることができなかったら、その相手との生活を円滑に行うことができなかったら、何の意味もないだろう。」何だか見て来たように答えたなあと思って確かめると、両親を見て学んだと答えました。つまり、彼の両親は、それなりに恋をして結婚し、お互いを愛しているとも言ったが、実際は、お互いに傷つけ合い、義父は嘘をつきまくり、義母はまともな家事ができず、息子である夫に対する虐待を続け、一度は彼を転生一歩手前の中間世にまで送ったのです。ですから、彼にとっては、愛や恋なんてものは、むしろ薄っぺらい誤解に過ぎないのです。そんな議論よりも、彼は私に対してやるべきことをやり、子供3人も大学卒業まで育て上げ、家族に裕福な生活を提供しました。それが、彼の示す愛なのです。問題があったとすると、家族に対する、思いやり、優しさの表現、特にスキンシップが不足していただけなのです。それでも、他人が羨むぐらいの生活を提供したのですから、不満に思う方が贅沢なのです。心情的にひっかかるだけなのです。よくよく考えると、彼が一番貧乏くじを引いているのですが、彼はそれすら理解しません。幸福と思える現実を提供できること、それが彼の愛なのです。不満に思えてしまうのは、私も、子供たちも、彼ほど頭が良くないからなのでしょう。私は、家族は、彼に愛されている、それは、客観的には事実なのです。人間的な心情とは、サヴァンの彼には不可解なものなのでしょう。現在の私の望みは、彼が私よりも長生きすること。そうすれば、面倒な相続等の問題は彼に押し付けられるし、私は死ぬまで今の生活を保つことができるでしょうから。神様、お願いします。
Jun 1, 2024
私の家というか、母が住んでいた廃屋が京丹波町にあるのです。家自体は全く使い物になりませんし、負の遺産でしかないのですが、その家の近くに道の駅「和」(なごみ)があるのです。この「和」の建物、以前からツバメが巣作りをしており、いい所だなと思っていたのですが、今回家の周りの手入れに立ち寄った際、トイレに立ち寄ったのです。すると、トイレの中にも以前から巣作りをしており、丁度巣立ち直前のヒナたちが飛ぶ練習をしていました。巣にはまだヒナがたくさん残っていました。ところが、この2時間後、家の周囲の手入れを済ませて戻ってみると、この巣だけでなく、建物の周りに会った巣も全て水をかけたのか破壊され、ひなたちもどこかに行ってしまったのです。確かに糞は落としますし、汚れますが、巣立ち前のひなを見殺しにするような行為はひどすぎます。皆さん、抗議のメールなりツイッターなりを寄せてください。京都府京丹波町の道の駅「和」です。
May 30, 2024
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May 24, 2024
朝は13度前後とそこそこ寒く、昼は25度を超えますからそこそこ暑い、春でも初夏でもないようなお天気の那須です。少し早いかなと思うのは、キウイとスイカズラの開花です。あと、宅地開発が進むお山から保護してきた変なお花が咲きました。葉っぱは一枚だけで、ランのような百合のような花で、初めて見ましたから調べてみたら、サイハイランと言う名のランでした。ところがこのラン、絶滅危惧種で、葉っぱが一枚付くのですが、その栄養だけでは足らないらしく、2~3年で枯死してしまい、菌類と共生しているのではないかと考えられていますが、人工栽培に成功した例がないという代物なので、何とか枯らさないようにいろいろ試してみます。こちらはサイハイランとは対照的に、どんどん繁殖しているシランです。よく見ないとわかりませんが、これ、マメガキのお花なのです。その名の通り、小さくて丸いお花です。実も小さいのですが、甘くて食べられます。こちらは、ブラックベリーです。この木も大変強健で、どんどん増えます。実もよくなるのですが、酸っぱすぎて不評です。ただし、ジャムにすれば美味です。我が家のシャクヤク、毎年1つずつぐらいお花が咲くのですが、見たらわかりますが、馬鹿でっかいお花をとても支えきれない茎ですから、支えてあげても大抵途中で折れて倒れてまともに咲き切ったことがありません。おまけはカタツムリです。我が家、カタツムリもいっぱいいて、注意しているのですが、毎年数匹踏みつぶしてしまいます。頼むから道に出てこないでくれ。
May 22, 2024
健康維持のための日課にしているサイクリング、今年変形8の字型の11キロコースにほぼ固定してから順調に距離が伸び、5月12日に総走行距離1006キロを達成しました。去年は本格的にスタートしたのが5月初めで、最初5キロぐらいでしたし、風向きによって回る方向を変えたりいろいろ試行錯誤していましたから、千キロを達成したのは12月初旬でした。それが影響したのか、愛用していた息子のお古のマウンテンバイク(20年以上たっていたかも)が2月12日に壊れたため、急遽ネットで注文した新車を導入したのが2月16日、当時はまだ7キロ程度のサイクリングでしたが、18段変速の新車は、風の影響が小さいことを発見し、3月17日からは、ほぼ現在の11キロコースに固定して距離がコンスタントに伸びるようになったのです。前の自転車は、6段変速ながらほぼ6速固定で走っていたのにたいし、新車になってから、ペダル側の3段変速のギアを日替わりで使用することにして、後輪側の6段変速もできるだけ使うようにしたのです。それに、元々アップダウンはほとんどないコースだったのですが、馴れたのか、体力がついたのか、アップダウンがほとんど気にならなくなったことも、コンスタントに11キロ走ることができるようになった理由です。サイクリングの楽しみの一つは、四季で変わる景色ですが、2月には雪原だった水田が、今や田植えも終わって水田に姿を変えています。お山の雪も、綺麗に消えてしまいました。こちらは新しい自転車です。田植えが終わって冬の雪の日冬の晴れた日今は亡き前の自転車です。これからも、健康維持のため、サイクリングを続けて行きたいと思っていますが、今年は暑い夏が予想されていますから、昨年は余りつかわなった空調作業服も積極的に活用したいと思います。
May 17, 2024
栃木県にいると良いことの一つが、イチゴが安く食べられることです。今回は、イチゴ第二弾です。左から、スカイベリー、ミルキーベリー、ロイヤルクイーンです。私の感想としては、普通に甘くておいしいのがロイヤルクイーン、酸味があるのはスカイベリー、柔らかくて味は薄めですが変わっているのがミルキーベリーです。
May 16, 2024
昨年3月で仕事からリタイヤしてから、毎日自転車で走り回っています。私、車の方の総走行距離は100万キロを超えており、BMWのドライバートレーニングも受講して、インストラクターに褒められましたし、何と言っても57年の乗馬経験からも、乗り物の挙動には大変敏感なのです。また、リタイヤした今では、自分の愛車だけで長距離移動していますが、それ以前は、鉄道、飛行機移動で現地でレンタカーを利用することが多かったため、いろいろな会社のいろいろなモデルに乗った経験があります。流石に内燃機関車は大同小異で、差は足回りとボディーの造りの良しあしが主だったのですが、ハイブリッドが登場して様子が変わりました。ます思ったことは、電気モーターが絡むと、加速が不自然というか、旧来の自動車とは一線を画すものとなったことです。それから、ハイブリッド、プリウスが9割でしたが、初代は運転したことはありませんが、二代目のNHW20型は、THS-Ⅱに変わったこともあってか、大変スムーズにエンジンから電気に移行する優れたシステムになっていました。燃費も、私この車で金沢から京都まで走った時のリッター35.4キロが最高でしたから、効率も素晴らしかったのです。ただし、この車、私の特技である乗り物の挙動の感知には向かない車でした。つまり、コンピューターゲームをしているような、手ごたえのないドライブ感覚だったのです。また、最大の欠陥だと思ったのは、加速が不自然だったことです。これ、私みたいな超ベテランならいいが、初心者と老人に運転させたら、暴走しかねないと危惧したのです。その心配が現実のものとなって、プリウスミサイルなる造語ができるほど、特にお年寄りの暴走事故が増える結果となりましたが、感覚の鈍い者に運転させたらこうなることぐらい、一流のテストドライバーにはわかったはずです。ただ、トヨタもいろいろ迷ったようで、同じモデルでも初期と後期とでは感覚が大分変りました。初期はコンピューターゲームでしたが、後期のものはちゃんと自動車になっていました。それでも、パワーモードにしたら不自然な加速でしたから、危険が全て解消されたわけではありませんでした。ちなみに、2009年から3代目のZVW30型になると、感覚的には更に内燃機関車に近づきましたが、燃費の方は、リッター30キロ近く走りましたから良いには良かったのですが、2台目のような加減速を利用したエコノミーランには余り向かない自動車に変わりました。逆に言えば、何もしなくてもいい燃費が出るように改良されたわけです。また、加速の不自然だったところも、更にマイルドになったのですが、暴走事故減るどころか増えた気がしますから、そもそも年寄りと初心者に乗せるべき車ではなかったと思いました。プリウスばかりに触れましたが、他社と言っても当時はホンダだけでしたが、インサイトとフィットの感想を一言で言えば、クソでした。何より、システムよりもボディーがついていっていなかったのです。ですから、まず、この車は飛ばしたら危ないと思いました。それなのに、高速で、フィットハイブリッドで私のメルセデスをぶち抜いて行く車を見ると、お前さん命知らずだねえ、と思いました。また、燃費たるや、むしろガソリン車の方がいい時があるぐらいで、ハイブリッドの意味があるのかと思いました。近年になって日産のものも運転しましたが、感想はホンダと同じで、ハイブリッドの意味はない、でした。何せ、職場の公用車の代車で来たから同じコースを同じように走ったのに、トヨタのカローラ・ツーリング・ハイブリッドはリッター23.5キロ走ったのに対し、日産セレナ・ハイブリッドたるや、リッター13キロしか走らなかったのです。しかも、ボディー剛性や足回りも、カローラの方がはるかに優れていましたから、日産もクソでした。国産車では、ホンダと日産より、マツダの内燃機関車の方が、ボディーもしっかりしていて、燃費も良かったのです。ここまでがハイブリッドの比較なのですが、この3年ぐらいで、第3勢力というのか、電気自動車が一般化してきたのです。悪い予感がしたので、乗らなかったものの、知らないのにどうこう言えませんから機会をうかがっていると、渡りに船で、愛車のメルセデスベンツC220dステーションワゴンの点検(リコールではないと言い張っていましたが、実質的にはエンジン制御システムのリコールのようなものでした。)の代車に電気自動車のEQ250Aを貸してくれたのです。操作系はC220dとほとんど同じだったのですが、車の挙動は、今までの内燃機関の自動車とは別物でした。私は、馬と同じで、車も50メートルも走れば大体の特質を把握できるのですが、本当に、今までの自動車とは別物だと感じました。ただし、いい意味ではありません。これ、超ベテランの私だから50メートル走っただけで挙動を把握して何とかなりましたが、初心者と年寄りに運転させたら、危険以外のなにものでもない代物だったからです。メルセデスですから、ボディーと足回りがしっかり作られていて破たんしないからよかったものの、普通の内燃機関車の感覚でアクセル踏んだら、ぶっ飛びますし、下手すると曲がりません。最近デビューした中国のファーウェイのEVの事故映像を見ると、急加速に車体がついていきませんから、曲がらん止まらんで、突っ込んで事故って終わりでした。しかも、エアバッグも、絶対効果ないだろうレベルの小ささでしたから、こんな車を売るのは、ユーザー軽視というか、危険でしかありません。それを褒めた自称自動車評論家の皆さま、評論するなら自分で運転してからにしましょう。元に戻ると、EVの急加速は、プリウスの急発進など可愛いレベルのもので、プリウスがミサイルだとすると、EQAは、超音速ミサイルのレベルだったのです。ひえーと思いつつアクセルを放すと、今度は強烈な回生ブレーキがかかりました。まあ、エナジーの有効利用としては評価しますが、普通のドライバーに運転させたら、ノッキングのような現象が起こるのです。つまり、急発進急ブレーキの繰り返しのギクシャク運転になってしまうわけです。私、50メート走らせて挙動を把握しましたから、その後はアクセルべダルにはそーっと足を乗せるだけ、ペダルから足を放す時も、そーっと放すだけで、ようやくスムーズな運転ができました。逆に言えば、そんな運転をしなくてはぎくしゃくするのです。これまだドライバーはいいのですが、同乗者は、このギクシャク運転たまったものではありません。大抵の人が、電気自動車は乗せてもらうと酔うと証言していますが、当然なのです。この加速がいい、なんていうドライバーは、同乗者と周囲の迷惑を全く考えていないアホです。EVは、無音でぶっ飛んできますから、周囲も迷惑なのです。サイクリングしていて一番怖いのがサクラだと以前書きましたが、他のEVには滅多に出会わないからいいものの、自転車と歩行者には、EVは恐怖の大王です。また、日本とメルセデスのEVでは燃えた例はないようですが、中国のBYDと韓国のヒュンダイは世界各国で燃えまくっていますし、走る棺桶と呼ばれています。ポルシェのEVも、火災を起こして輸送船1隻沈めましたし、根本的な問題ですから、燃えるEVは、それだけで市場から除外すべきです。それなのに、安いからと持ち上げる自動車評論家は、即刻廃業すべきでしょう。実際に運転してみて、正直な感想として、EVは、初心者と老人には運転させてはいけない車だと思います。私、私が運転する車としては素晴らしいのですが、危険ですとの自分の感想を、ヤナセに伝えましたら、驚くべきことに、1週間後にEQAの改良が発表され、改良点に、ぶっとぶ危険のあるトルクの出方と、ぎくしゃくする回生ブレーキの改善が挙げられていました。流石に自動車というものを世界一知悉しているメーカーだけのことはあります。EVには、他にも数々の問題点があります。まず、補助金を受けても高価です。メルセデスのEVで最も安いEQAですら、770万円です。補助金が110万円少々もらえるようですが、それでも660万円です。高級なガソリン車かハイブリッド車が楽に買えます。それから、保険料も割高です。車両価格(EQAなら770万円)で換算されますし、車両保険はドライバーによっては受けてもらえない可能性もあります。中古車価格も不安定です。1年乗ったら1千万円寝落ちしたという車種もあります。使う上で一番の問題点は、充電スポットです。50Aの高速充電機でも、満充電には50分かかるとの説明ですが、これ、50Aで一定に充電できての数値であり、実際は不安定ですから、うまくいって80分、スポットによっては30分で打ち止めになるそうですから、3回繰り返して充電しなくては満充電にならないのです。まあ、我が家の近所のファミマの充電スポットは、万年空車で、今までテスラが充電していたのを2回(関西から来た同じ車)見ただけで、この2年ぐらいは、全く使用されているのを見たことがありません。電気屋さんに聞きますと、50Aの充電スポットは、1か所作るだけでも工場1軒建てるぐらいの容量の電気回線が必要で、家庭用の電線では無理で、送電線から調整しないと作れないそうですから、不足しているからと言っても、そう簡単には増設できないとのことでした。それから、コンビニの充電スポットでよくあることなのだそうですが、作ったはいいが、全く利用されず、老朽化して廃棄になるパターンもあるそうです。近所のファミマのスポットも、老朽化したので、廃棄はされずに改装したのですが、誰も使わない状態が続いているパターンです。いろいろありますから正直に言いますと、EVは、現在の技術では、普及させるのはまだまだ時期尚早です。どうしても乗ってみたいと思われる方は、まず一度試乗してみてください。酔わないかどうかの確認のためにも同乗者を連れて。画像は、ヤナセに貸してもらったEQA250Aです。車自体は、足回りがしっかりしていて、強烈なトルクによるぶっ飛びにもブレークしたりはしませんでしたから、安全ないい車でした。余談ですが、妙に自動車評論家が推すPHEVは止めましょう。どっちつかずで、燃費も悪く、普通のHVの方が絶対いい車ですから。
May 15, 2024
お腹が大きくなっているのではと心配していた我が家に居ついている野良猫の母チャバシラ2号と娘チビニャンでしたが、まず母猫の出産からイレギュラーでした。5月3日の朝、妻が子猫の声がすると言い出しました。声の出所を探ると、風呂場の勝手口の外で、隣とのブロック塀の角に、昨年野良の1匹であるチビクリが落ち葉の上に寝床を作っていたのです。そこで、菊の茎を立てかけて、雨を防ぐ工夫をしてやったのですが、直ぐにチビクリはその場所を放棄し、私が用意した段ボールハウスに移りました。そのチビクリが放棄した場所に、チビニャンが陣取って、子猫に授乳していたのです。白黒に見える子猫だったのですが、翌日確認したら、その子猫は三毛猫のようでした。当然、チビニャンの子供だと思っていたところ、1時間後、玄関の入り口にあるドウダンツツジの生け垣の根元から子猫の声がするのです。見に行くと、茶色のへその緒と胎盤がついた子猫が鳴いていました。へその緒を切って、チビニャンは子猫を抱えて動いていませんから、濡れ縁の上に作った段ボールハウスに居た、母猫と思われるチャバシラ2号のところに連れて行きました。逃げずに授乳しましたから、先ずは一安心と思ったら、その後どこかに出かけて3時間ぐらい帰ってきませんでした。茶色子猫、冷たくなってきましたから、緊急避難でチビニャンに押し付けたところ、三毛子猫と一緒に授乳してくれました。ここからがまた変なのですが、しばらくすると、チャバシラ2号が、白黒の子猫をくわえて帰ってきたのです。当然というか、チビニャンのところには三毛と白黒と茶色の3匹の子猫が居て、茶色子猫の代わりに奪ってきたのかとまず考えました。ですから、取り換えっ子したのかなと。ところが、チビニャンの巣?の近くに、へその緒と胎盤がついた白黒子猫の死体があったのです。茶色子猫を預けた時にはありませんでしたから、その後チャバシラ2号が死産したのだろうと考えました。回収して埋葬して車庫に戻ると、今度は車の下に同じような白黒子猫のへその緒と胎盤がついた死体が転がっていたのです。どうなっているのかといぶかりながら、2匹目を埋葬したのですが、チビニャンのところの子猫2匹とチャバシラのところの白黒子猫はそのままでした。ここで、チャバシラ2号のお腹は凹んでいたのに対し、チビニャンはそのまま大きなおなかをしていることに気付きました。ということは、死産らしい2匹と白黒、三毛、茶色の3匹計5匹はチャバシラ2号の子供で、チビニャンは、子育てを請け負っているだけであることになります。チャバシラ2号は、死産のためか出血が止まらないようで、血が点々としたたっていましたから、心配だったのですが、二日目の夜は、白黒子猫1匹を授乳していました。そして3日目の5月5日の朝、何とチビニャンは、子猫2匹を、ブロック塀の角から、30メートルぐらい離れた使っていない方の車庫の藁の上に設置していた段ボールハウスに移動させていました。チャバシラ2号は朝の時点で行方不明でしたから、白黒子猫は、チビニャンに預けました。面白いもので、車庫の段ボールハウス、二つ並べていたのですが、最初チビニャンは、白黒子猫を隣の箱に移動させたのです。これでは死んでしまうと思って、3匹を一緒にすると、今度は何と、自分の子猫を4匹出産したのです。つまり、7匹の子猫をチビニャンが抱えることになりました。チャバシラ2号はその後行方不明ですから、どこかで人知れず死んでしまったのかもしれません。車の下に餌のお皿をおいてあげると、安心して食べるようです。警戒しつつも、人の顔見て餌を要求するチビニャンでした。5月9日の朝確認すると、黒白子猫が死んでいました。チャバシラ2号の子供で白黒の子猫は、3匹全て死んでしまったことになります。計9匹生まれて、死産が2匹、その後死んだのが1匹で、6匹残ったのですが、9日の夜、母猫チビニャンは、2回目の子猫の大移動を行いました。何と、水路を渡った100メートルぐらい離れた知人の家の小屋の床下に運んだのです。かまわないし、見に来ていいよとは言ってくれていますが、声は聞こえるものの、床下の奥に連れて行ったらしくこの時点で子猫を観察できなくなりました。母のチビニャンは、我が家に居た時も、餌を食べて、授乳して、死んだように眠っていたのですが、今も2時間おきぐらいに我が家に餌を食べに来ます。母のチャバシラ2号は、昨年と一昨年、どこかで出産した後、今頃だったか、昨年は2匹、一昨年は3匹子猫を我が家に連れて来たのですが、結局そのうち無事育ったのはチビニャン1匹だけでした。娘のチビニャンは、餌は我が家に依存していますが、母のように子猫を連れてきてくれるのかどうか、わかりません。連れてきてくれれば、母子とも保護しようとは考えていますが、今回野良猫保護の難しさを認識しました。実は、捕まえて保護しようとケージは注文したのです。届く前に逃げられてしまいましたから、今後に期待です。
May 11, 2024
続々と春のお花が咲いています。イカリソウです。庭中にはびこっているのはオーニソガラムです。これ、球根で増えるのですが、気温が高すぎたり球根が地面に近いと花が咲かない特徴があります。チゴユリです。このあたりの雑木林の林床植物だったのですが、林が減ったため、我が家の庭以外では余り見られなくなりました。でも、逆に我が家の庭ではどんどん増えています。ブルーベリーです。美味しいのですが、これまた庭中に何本も増えましたから、半分以上鳥に食べられています。でも、大きくなり過ぎてほとんど鳥が食べてしまうジューンベリーよりは人の口に入ります。ウツギです。この花によくウスバシロチョウが蜜を吸いに来るのですが、幼虫の食草であるムラサキケマンを増殖しているのですが、ここ何年か見かけていませんから心配です。西洋つつじのアザレアです。寒さに余り強くないので、全然大きくなりませんが、何とか枯れずに生き残っています。元はと言えば、東京に通勤していた時に、保険屋さんがプレゼントで置いて行ったものを、誰も引きとらなかったので、私が家に持って帰って庭に植えたものですから、もう十数年はたっているのですが。西洋オダマキです。種から育てたので、一頃いろいろな色の花が咲いていたのですが、宿根草ながら暑さには弱いようで、生き残ったのは数本だけになってしまいました。春のお花は終わりです。
May 8, 2024
我が家に居ついている野良猫軍団、特にチャバシラ2号と呼んでいる猫と、その猫が昨年どこかで産んで連れて来たチビニャンの2匹が、お腹が大きくなったようで、心配していたのです。手前がチビニャン、奥が母のチャバシラ2号です。すると、一昨日5月3日朝、ミーミーという子猫の鳴き声が聞こえました。その後が不可解で、風呂場の外のブロック塀の角に、チビニャンが隠れていました。妻が言うには、白黒の子猫が2匹居たらしいのですが、はっきり現認できませんでした。(実は、白黒と三毛の子猫でした。)しかし、授乳しているようでしたから、チビニャンの子供なのだろうと思ったのです。朝食後、サイクリングから帰って来た後に、今度は玄関わきのドウダンツツジの生け垣の根元からミーミーと鳴き声がしました。見に行くと、まだへその緒と胎盤がついた薄い茶色の子猫でした。チャバシラ2号も出血していたようで、縁側の段ボール箱の中に入っていましたから、彼女の子供かなと思って、へその緒を切って、箱の中に入れてあげました。最初はちゃんと授乳していましたから、やっぱり彼女の子供だったんだと思っていたのですが、1時間ぐらいたったら、母猫はどこかに行ってしまいました。こりゃ、猫の育児放棄かいなと1時間後に様子を見ると、生きてはいましたが、冷たくなっていましたから、チビニャンのところに連れて行って、彼女に任せました。その後が奇々怪々で、縁側の段ボールに1時間後ぐらいに戻って来たチャバシラ2号、子猫が居なくなったとしばらく考えていたようでしたが、チビニャンのところに行って、何と彼女が授乳していた白黒子猫を縁側の段ボール箱までくわえてきて授乳を始めました。どちらが産んだのか、はっきりはしないのですが、取り換えっ子になったと思われます。チャバシラ2号、もう1匹の白黒子猫もくわえてこようとしたらしいのですが、その子猫は、へその緒と胎盤がついたまま移動の途中で放置されて死んでいました。もしかしたら、この子は死産だったのかもしれません。更に1時間後、今度は車庫の車の下で、また白黒の子猫が、先刻の死体と同じくへその緒と胎盤がついた状態で死んでいました。チビニャンは、ブロック塀の角から動いていませんでしたから、チャバシラ2号が死産したものと思われます。チャバシラ2号は、縁側の段ボール箱に戻ると、中で死んだように動かず、白黒子猫の授乳はしますが、餌を全く食べませんでした。対するチビニャンは、近くまで餌入りのお皿を持って行くと、その場所まで這い出してきて食べましたから、チャバシラ2号の前に置いて食べなかった餌は、チビニャンに回すと、食欲旺盛で皆食べていました。夜になると、またチャバシラ2号は育児放棄してどこかにでかけ、一晩帰ってきませんでした。子猫は、私のお古のムートンベストを切って、それにくるんでおきました。チャバシラ2号、一晩たっても帰ってきませんでした。朝起きてみると、チビニャンと子猫2匹、ブロック塀の隅から30メートルぐらい離れた車庫の中の段ボールハウスに移動していました。白黒と薄茶、三毛の三匹の子猫。そこで、育児放棄された白黒子猫を、チビニャンに戻してみると、最初は三毛と茶色をとなりの箱に移動させていましたが、しばらくたつと元に戻して3匹ともに授乳してくれました。毎朝の日課の掃除が終わった頃、チャバシラ2号がようやく帰って来たのですが、車庫に置いたお皿の餌を少し食べただけで、縁側の段ボール箱に入って、もう夕方になりますが寝たままです。死産2匹だったようで、具合が悪そうですから心配です。チビニャンは、1時間に1回ぐらい餌を食べに出てきます。食欲旺盛で、トイレなのかついでに出かけますが、直ぐに戻って子猫の面倒を見ています。彼女にとっては初の子育てなのですが、優秀です。で、不可解なことですが、チャバシラ2号はお腹が凹んだのですが、チビニャンは大きなままなのです。ですから、死産2匹を含めた5匹の子猫は、もしかしたチャバシラ2号が産んでもので、チビニャンは、子育てを手伝っているだけで、これから出産するのかもしれません。我が家に来て産んだのですから、少なくとも子猫3匹は、保護して育ててやらねばと思っています。
May 5, 2024
変な題名ですが、私、19歳で免許を取る前の18歳から母の承認を得て(と言うよりは命令で)無免許運転しまくっていましたから、運転経験は49年、総走行距離は100万キロを超えています。それよりも年数としては長いのが乗馬の経験で、10歳からでしたから、57年になります。残念ながら、乗馬の方は、昨年の3月で仕事からの完全リタイヤとともに終了になりましたが、それだけの経験があったのです。そのなかで、たまたまBMWのドライバートレーニングに招待してもらえて、レーシングドライバーの方と歓談する機会を得たことがありました。競走馬もレーシングマシンも、上に行くほど馬とマシンの比重が高まり、F1もクラシックレースに出るような競走馬も、9割がた車と馬で決まると言う点で合意したことがありました。また、大学生の時に、乗っていたフェアレディーZで、凍結路面で止まらなくなって1メートル下の田んぼにはまる事故を起こし、修理に出したのですが、帰って来たら、微妙に直進性に問題があり、クレームをつけたのです。すると、偶然修理工場に来ていた日産のテストドライバーの方が、しばらく試乗してから、首を傾げながら、「この異常がわかる素人が居るとは信じられない。直ぐにでもテストドライバーになれる。」と褒めてくれたそうです。要は、それだけ感覚が大切で、車は、ハンドルで前輪の感覚を、シート(とういか、日産の桜田氏いわくお尻)で、後輪の感覚を感じます。同様に馬は、手綱を通じて前肢の感覚を、騎座(鞍に座った状態ならお尻で、競走や障害馬術のように鞍からお尻が離れている状態なら、鐙も介して足で)後肢の感覚を感じますから、共通点は大きいのです。ただこれ、才能も大変大きく、私のように、何も教わらなくても動きを感じることができる者は、天才としか言いようがないのです。私が知っている限りでは、馬の動きに関しては、元笠松競馬で後にJRAに移籍した名騎手安藤勝己君が天才で、当時笠松に居た800頭を超える競走馬を、またがって数歩歩いただけで見分けたと言います。これ、嘘みたいな話ですが、兄貴の安藤光彰騎手に確認したら、「本当だよ。あれだけは弟にかなわん。」と答えてくれました。まあ、上には上が居て、その安藤勝己騎手をして、「俺よりうまい奴はいないと思っていたが、金沢の渡辺壮は俺より上だ。」と言いました。二人とも私、指導した経験があり、特に渡辺騎手とは騎手になる前から結構仲が良かったので、いろいろ話しました。その結果、彼のうまさの秘訣と思われたのは、次の点でした。まず、普通の人間なら、馬に乗ると、それなりに緊張するんです。これ、超ベテランだった私でさえ、脈拍にすれば、5ぐらいは上がりましたから、少しは緊張するわけです。ところが、渡辺君は、馬にまたがった方が、安心するというか、リラックスできるというのです。笑えたのは、彼、地上では結構体が硬かったのですが、馬の上では自由自在に動けたのです。そして、その結果なのか、「馬が何考えているかわかります。だから、馬が考えているとおりに乗ってやれば勝ってくれます。」と教えてくれました。事実、馬の気分ですとの説明でしたが、逃げ馬でも、「今日は後ろから行きたいと言ってます。」とか、追い込み馬でも、「今日は逃げたいと言ってます。」とかで、その通りに乗って勝っていました。どちらも、本当の天才というか、他人に真似のできる話ではありません。ですから、才能は大変大きいと言ったわけです。車の方も、天性の素質はあるそうで、F1ドライバーになれる者は、超天才だそうです。ですから、馬も車も感覚が大事なのです。さて、そこで、馬は多くの人にとっては非現実でしょうから、現実的な車の話をします。私は、49年の運転経験中、35年メルセデスベンツに乗っているのですが、その理由は、前後の車輪の間隔を的確に伝えながらも優しいからなのです。別の表現をすると、長距離運転しても疲れない車なのです。では、他の車はどうかと言うと、同じドイツでも、BMWは、感覚的に鋭すぎて疲れます。むしろ、フォルクスワーゲンの方が優しくて疲れません。レクサスは、本当にいい車だと思います。恐らくメルセデスよりも。でも、感覚的には、適度にダルなメルセデスの方が、私には合っている、それだけなのです。悪口になりますが、三菱コルト、本田フィット、日産マーチ、セレナ、感覚的にも燃費もくそでした。トヨタのヴィッツ、プリウス、古いですが、マツダのデミオの方が良い車だと思いました。ただプリウス、何台か乗りましたが、最初のというか二代目のモデルは、ヴァーチャル的で、何だかコンピューターゲームみたいなところがありました。でも、実感がない分不思議と疲れない、変な車で、コツをつかめばリッター30キロ以上走ってくれました。それが、三代目になると、車らしい車になり、燃費もそれほどコツをつかまなくとも30キロ近く走ってくれるようになりました。国内の車では、トヨタが一番よいと思います。私は、コストパフォーマンスを考慮すると、カローラを推薦します。さて、そこで昨今流行り?の電気自動車の話をします。日本ではそれほど売れていません、いや、売れていないと言った方が正しいのですが、まあ、補助金があっても価格が高いし、任意保険も高いし、距離走る人には向かないし、充電スポットが少ないし、ガソリン車よりも200キロは重いし、それが電気モーターのトルク特性と回生ブレーキで、ガソリン車よりも強烈に加減速するのですから、その分タイヤも減るし、道路も傷むし、どこが環境に優しいのか疑問です。たまたまなのですが、メルセデスの電気自動車EQA250を愛車C220dの代車で2日間120キロ運転する機会がありましたので、感想を述べます。私、馬の安藤勝己君ほどの感覚はありませんが、車の方も、100メートルも走れば大体の感覚はつかめるんです。EQA250、今まで運転したどの車とも違う感覚でした。まず、低速からの強烈なトルクで、下手にアクセル踏むと、ぶっ飛びます。それで慌ててペダルから足を放すと、強烈な回生ブレーキがかかって、まあ、ギクシャクとなります。ドライバーはその動きに無意識に備えますから酔いませんが、同乗者はたまったものではありません。これ、感覚の鋭い私だからこそほんの50メートルでわかるのですが、鈍い人だと、「鋭い加速だ。回生ブレーキの効きもすばらしい。電気自動車は素晴らしい。」となるだけで、同乗者が不快で、車酔いすることなど考えも及ばないのです。これ、電気自動車に同乗した者は大抵指摘しているのですが、ドライバーは理解していないことです。しかも、トルク変動が大きいイコールタイヤと路面との摩擦も大きく、重量も重いから、タイヤも路面も、重量差の少なくとも5乗倍減るのです。重量差が1.2倍としても摩擦は2.5倍になりますから、トルク変動まで考えると、タイヤも路面も3倍以上傷むんです。事実、タイヤは3倍減るそうですし、路面とタイヤの粉塵公害が、電気自動車が普及したところでは問題になっています。それから、一番大きいのは危険なことです。EQAで言えば、ベース(ではないのですが、クラスとして)のAクラスよりも200キロ重いのです。それが、モーターの強烈なトルク特性385n/mで、私の愛車C220dの、ディーゼルエンジンの440n/m+ハイブリッドモーターの208n/mと合計648n/m(エンジンとモーターの組み合わせですから、実際は500n/mぐらいなのですが)よりも強烈に加速します。これだけでも危険なのですが、それがほとんど無音なのです。頭の血の巡りの悪い人には、「素晴らしい加速で、しかも静か。」となるのでしょうが、周囲には大変危険なことを理解しなければいけません。実際、ほぼ無音ですから、歩行者だけでなく、動物も避けてくれません。我が家の車庫に出没する野良猫たちを出入りの度に追い払わなくてはいけなかったぐらいです。もう一つ、血の巡りの悪い人が褒めるのは、「重心が低くて安定している。乗り心地もよくすいすい曲がる。」ですが、それは、オーバースピードでカーブに突っ込みやすく、それでも曲がってくれることでもありますから、これまた、自他ともに危険なのです。私は、EQAではそんなことはしませんでしたが、サイクリングしていて、日産サクラに目の前を右折された時に、この間隔で、しかもこのスピードで曲がるか、と驚きましたから、今回EQAを運転してみて、なるほどできるな、と思いました。ですから、私は最初の100メートルを除いて、踏むといえないぐらいにそーっとアクセルに足を乗せ、同様にそーっと足を放すことで、スムーズに、かつ同乗者に迷惑をかけない運転を可能にしました。しかし、翌日ヤナセに車を返却する時に、以下の点を指摘しました。1.トルクが急激に出過ぎるから、制御しないと危険。2.回生ブレーキが効きすぎるから、調整しないとギクシャクして不快。3.重心が低い分、くいっと急に曲がりやすいので、危険。4.充電してからの走行距離は、カタログ上では555キロになっているが、見る見るうちに元気残量ゲージが減っていくから、実際は400キロぐらいだろう。もう少し走れるようにならないと、長距離は危険。(私のC220d、長距離だと満タンで1500キロ楽に走ります。)すると、タイムリーと言うべきなのか、昨日メルセデスベンツは、新型のEQA発売を発表したのです。そして、流石にメルセデスだと思ったのは、私の指摘した3点全てを改良したことです。つまり1.3.トルク制御を改善し、エンジン車から乗り換えても違和感のないレベルに改善。2.回生ブレーキを3段階に制御できるように改良。4.航続距離を591キロに改善。元々の足回りは素晴らしい車でしたから、これだけで十分魅力的な車になったことと思われます。私はもう仕事をリタイヤしましたし、乗れなくなるまで、今の愛車C220dに乗り続けるつもりではありますが、もし買い替えることがあれば、検討の余地は生まれたかなというところです。EQA250、幅はC220dよりわずかに(1.5センチ)大きいのですが、長さは29センチ短い。エンジンではないモーターです。
Apr 16, 2024
ようやく桜が満開になった那須ですが、他のお花もどっと咲き始めました。近年3月中に咲いていましたから、今の次期満開になったのは、7年ぶりです。スノーフレークです。京丹波の家に群生していたのですが、イノシシが掘ってほとんど食べつくしてしまい、生き残りを我が家に移植して毎年咲いています。ニリンソウです。以前我が家の前を流れている蟇沼用水がコンクリート堤防でなかった時は、用水沿いに咲き乱れていたのですが、今や我が家に移植して保護した以外はほぼ絶滅してしまいました。ヴィオラとキランソウです。どちらもこぼれ種から毎年しぶとく生えています。ムラサキケマンです。今や珍しくなってきたウスバシロチョウの食草ですから、我が家の庭に生えるままに生やしています。ジューンベリーです。なかなか美味しい赤い実がなりますが、ブルーベリーより少し小さいぐらいで、収穫が面倒なので、ほとんど鳥が食べています。大きくならないと言われて植えたのですが、今や立派な大木です。フサスグリです。赤い実がなって、よく高級料理のソースやケーキの飾りに使われていますが、酸っぱくて美味しいものではありません。アケビとミツバアケビです。実は、食べられますが、毎年2~3個しかなりませんから、ほとんど鳥が食べています。生け垣にしているドウダンツツジです。今年は遅いかなと思っていたら、あっという間に咲きました。春のお花は大体最後にヤマブキが咲くのですが、今年はもう咲き始めています。
Apr 14, 2024
昨年リタイヤして以来、曜日の感覚が鈍くなり、当然ですが、仕事がないので、日中の活動も鈍くなりました。それでも我が家の場合、猫が1匹いますから、彼の食事の都合で、大変規則的な生活を送ることはできています。朝5時に起きて、まず愛猫ヤマトの朝食です。これ、日中の仕事が無くなったため、時々寝坊しますが、猫に文句を言われるだけですから、気楽な毎日です。それから、庭に出て、バードサンクチュアリーの水替えと餌補充です。同時に、我が家に依存している野良猫たちにもキャットフードを補充します。もう何年もたっているのですから、馴れて保護させてくれても良さそうなものなのですが、それは譲れないようです。4年前の火事で、飼っていた21匹の猫たちが全滅する前は、野良猫を無理やりつかまえて保護していたのですが、今のヤマトのように、食卓に乗せても人間の食事に手を出さない猫はまずいませんから、無理はしないようにしました。結果、「飯くれ」野良猫は現在7匹、そのうち3匹は我が家の車庫に居ついているようなのですが、触らせもしない、やらずぼったくりw関係が続いています。それから、お風呂の残り湯を運んで畑や庭の水撒きをします。終わったら家に戻って、お掃除です。雨が降っていると、乾燥機付き浴室に洗濯ものが干されていますから、掃除が先になります。最初に掃除機をかけます。以前はダイソンの掃除機を二つ使っていたのですが、火事の後、リフォーム中の掃除にマキタのコードレス掃除機を買い、一昨年には日立のコードレス掃除機をジャパネットの下取りセールで2台買って、今はマキタと日立2台を日替わりで使って、コードをひきずるダイソン(1台は、下取りに出したので、1台だけになりました。)は、時々使うだけになりました。1階が、20畳のLDK、浴室脱衣室、和室、トイレで、2階に上がって、トイレと寝室、空き部屋2つとウォークインクローゼットで終わると、今度はモップ掛けをします。これは、和室はできませんが、使い捨てシートを使って、ドライとウェット、両方かけます。私がここまでやっている間に、妻は、炊事と洗濯もの片づけをしています。それで終わるのが7時半ごろになりますから、家事労働も結構大変なのです。でも、働いていた時も、私は家に居れば同じようにやっていましたから、今はその後の仕事が無くなった分気楽なのです。ただ、仕事が無くなったら、曜日感覚が薄れました。燃えるゴミの日が月曜と木曜ですから、それが目印になっているぐらいで、それも夫婦二人だけだと2週間に1回で済みますから、ゴミ出しが無ければ、毎日日曜日です。曜日だけでなく、月の感覚も薄れました。仕事があれば、月単位の仕事のスケジュールがありますから、それが一種の季節感にもなっていたのですが、無くなりましたから、代りに庭と畑のお花や野菜で季節を感じています。タチツボスミレです。根茎で増える多年草ですから、庭中にどんどん増えています。イチリンソウ(キクザキイチゲ)です。イチリンソウ(アズマイチゲ)です。こちらは薄い青ですが、今年はイチリンソウの開花がサクラ同様遅れて今咲いています。ニリンソウです。ニリンソウ、例年ならイチリンソウが終わってからなのですが、今年は一緒に咲いています。元は京丹波の家に咲いていたスノーフレークなのですが、イノシシが掘り返してほとんど食べてしまいましたので、生き残りを我が家に保護して育てています。今年はこの花も開花が遅れています。ムラサキハナナ(ハナダイコン)です。こぼれだねで毎年咲きますが、今年は例年よりもいっぱい咲いています。ハナニラです。葉っぱにニラのようなにおいがありますが、食べられません。毒があって、食べたら下痢するそうです。以下は我が家に居ついている野良猫たちです。通称偽チビクリ、下の写真のチビクリに似ていますが、この子は去勢されていますし、飼い猫なのだろうと思います。通称クロもしくはヤマト兄。ヤマトの兄貴だと思われます。チビニャン。去年生まれで、今やでかくなっています。なんと、金魚を掬って食べてしまいました。チビクロ、去年生まれで、チビニャンともクロとも兄弟ではないのですが、仲良くしています。チビクリ、結構古株で、4~5年前から居ます。偽チビクリとしっぽがそっくりですが、顔も色も違います。
Apr 9, 2024
3月も終わりですが、めちゃくちゃ寒かったり、雪が積もったり、昨日みたいに大雨が降ったりしたかと思えば、急に暖かくなり、お花がいっぱい咲き始めました。ハナニライチリンソウ(キクザキイチゲ)ムラサキハナナコーネリアンチェリーサンシュユの仲間らしいのですが、20年ぐらいになりますが、まだ実を1個しか食べたことが無い。まあ、鉢植えの時から40年たってもまだ実を1個も見たことが無いフェイジョアよりはましか。我が家のヤブツバキの種から育てた普通のヤブツバキのはずなのですが、この木にはいっぱい花がつきます。つぼみをむしりまくってもまだ咲いています。引っ越して来たときにもってきたスイセンなのですが、増えたので、庭の各所にばらまいています。こちらは同じイチリンソウでもアズマイチゲです。花弁が小さ目で薄いブルーできれいです。おなじみのカタクリなのですが、なかなか増えません。これからまだいっぱい咲きます。
Mar 30, 2024
愛車のメルセデスベンツC220dステーションワゴン、またリコールが来ましたので、宇都宮まで持って行きました。今回、2件のリコールなのですが、リコールではなくサービスキャンペーンとなっており、どこが違うのか判然としませんが、一種の無償修理だそうです。どちらも大したことは無さそうなのですが、取扱説明書とドライブトレインコントロールユニットの制御プログラムの書き換えで、二つ合わせると4時間ぐらいかかるので、代車を用意しますとのことで、今日宇都宮まで持って行って、代車で帰って来て、明日その代車で取りに行く予定です。それで、那須塩原を10時に出て、途中結構混んでいたりしたため、宇都宮のサービス工場に着いたのは11時半頃でした。ところが、宇都宮市内に入ったところで、ジーっと音がしてふと見ると、カーナビ画面が砂嵐になっていました。今の若い人たちには砂嵐なんて言っても通用しないかもしれませんが、昔のテレビの放送時間が終わった後とか故障した時とか、画面が乱れてザーッと音がしているだけの状態の通称です。今回の砂嵐、ラジオや音楽は聴けるものの、カーナビとしては使用不能の状態でした。まあ、タイムリーというか、ついでというか、ラッキーというか、サービスキャンペーンと一緒に修理対応してもらうことになりました。で、今回むしろ私にとって一番嬉しかったのは、代車なのです。近年メルセデスはトラブルが多く、いろいろな代車を貸してくれていますが、走行百万キロを超え、メルセデス歴も36年のべ12台になる私だからか、予てから話のタネに一度運転してみたいなあと思っていた、電気自動車のEQA250を代車として貸してくれたのです。幅は1835ミリでC220daよりも15ミリとわずかに大きいのですが、長さは4465ミリで、4775ミリのC220dより310ミリ短い車です。ボンネットの中はモーターで、中央のワイパー手前のバッテリーは、12ボルトで補器用です。動力用のリチウムイオンバッテリーは、座席の下に収容されていますから、残念ながら見ることはできませんでした。トランクの中には、200ボルト電源から充電することができるケーブルが入っていました。しかし、200ボルト電源では、充電に一晩かかるようです。運転してみた感想ですが、一言で言えば、危険です。初心者は運転すべきではありません。私のような走行百万キロを超えるベテランですら、最初は何じゃこれと思いました。何故なら、普通にアクセル踏んだらあっという間に100キロに達するぐらい強烈にぶっ飛んでいくし、アクセルを放すと、強力な回生ブレーキが働いて、ブレーキ踏んだのと同じぐらい強烈に減速するのです。ですから、極端に言えば昔のエンジンのノッキング状態のように、ギクシャクしたのです。ユーチューブで、韓国のアイオニック5を借りて乗った人が、急発進急減速を繰り返して酔うと表現していたのがよくわかりました。私は直ぐに慣れてというよりは適応して、スムーズな運転ができるようになりましたが、エンジン車にはない強烈なトルクが最初から出ますから、アクセルは本当にそーっと踏む程度で足りるのです。いや、ペダルに軽く足を乗せるだけで十分で、深く踏んではいけないのです。試しに普通に踏んでみたら、あっという間に80キロまで加速しましたし、そこでパッとペダルを放すと、急ブレーキに近いぐらいに回生ブレーキが働いたのです。それでギクシャクしたのですが、決して悪い車ではありません。流石にメルセデスで、シャシーの性能は一級ですから、曲がる、止まるには全く不安がないのです。ただ、普通のメルセデスは、動力性能よりもシャシー性能が上回っていて大変安全なのですが、この電気自動車EQA250に限っては、かなり危険なレベルだというだけです。お値段は、メルセデスの電気自動車の中で一番安いこのEQA250ですら、782万円、補助金等を使っても640万円と可愛くない額です。それから、問題の1回の充電での走行可能距離ですが、422キロですから、普通の使用条件なら恐らく困ることはない距離で、家庭では無理ですが、街中に設置されている高速充電器だと、90キロワットのものだと45分で、50キロワットのものだと72分で8割まで充電できるそうです。でも、ふと我に返って思いました。高出力の充電器が空いていたとしても、その前で45分も待っていられるだろうかと。宇都宮の販売店から自宅まで約50キロあるのですが、運転していると、エンジン車でいう燃料ゲージが、見る見るうちに減っていくのはわかりました。私のC220dだと、50キロ走った程度ではほとんどわからないぐらいの減りですから、電気自動車は、まだまだ長距離を平気で走れる車ではありません。EQA250ではそんなことはなかったのですが、自動車評論家のテストでは、高出力ながら600キロ以上走れるというEQE350+の場合、満充電状態で借りて一晩置いておいたら2割近く電池容量が減っていたそうですから、EVは、走らなくても電気は食うようです。パワーですが、トルクの数値で言えば、私のC220dは、エンジンは440n/mを1800~2800回転で発生させる上にハイブリッドモジュールで、208n/mを補助的に100回転で発生させます。それに対してEQA250は、370n/mの出力を常に発生させることができますから、単なる数値だけでは圧倒的に上回るC220dですが、回転に応じてマイルドに数値が上がっていく特性がありますから、いきなり最高出力がガツンと来る電気自動車とは比較ができないのです。また、加減速が急激で、タイヤの負担も大きな電気自動車は、タイヤがエンジン車の3倍減るそうです。車両重量が1990キロもあり、C220dよりも200キロも重いから余計ですが、今日運転してみて、確かにタイヤへの負担の大きさを感じました。加速はともかく、減速は、エンジン車はディスクブレーキで間接的に減速するのに対し、電気自動車は、エンジン車と同じブレーキもありますが、回生ブレーキはもろにタイヤに負担がかかりますから余計です。また、回生ブレーキは、ブレーキランプが点灯しませんから、急減速して追突されるおそれもあると思いました。ですから、メルセデスらしさもある大変いい車でしたが、値段と充電の問題を考えると、自分では到底買う気になれませんでしたし、他人にお勧めもできません。カーナビ画面の修理の結果とか、何かわかりましたら、また書きます。
Mar 23, 2024
題名を見ると、アニメの「葬送のフリーレン」ファンならあっと思うかもしれませんが、これ、私の超?能力でもあるのです。「葬送のフリーレン」のアニメ、丁度今日とりあえずの最終回が放映されますが、「一級魔法使い試験」の参加者に、ユーベルというかなり性格に問題のありそうな女性魔法使いが居るのです。彼女の魔法が、「大体なんでも切れる魔法」で、彼女が切れるとイメージできるものは、絶対切れないと思われるものだろうが、何でも切ってしまうのです。逆に、切れないと思ったものは全く切れないというおまけがつきますが、掟破りの魔法なのです。私の超能力との共通点はと言いますと、自分ができると思うことは理屈で考えてできないものでもできてしまい、逆に、どんなに簡単なことでも、できないと思ったことはできないことなのです。例を挙げますと、折れそうだと思ったら、指先で軽く触れただけでベンツのエンブレムが折れたり、穴が開きそうだと思ったら、分厚い木の板を足の形に踏み抜いたりしたのです。また、大丈夫だと思ったら、足を車に轢かれても馬に踏まれても無傷、怪我はしない、平気だと思ったら、壮絶に落馬しても、馬の下敷きになっても、転倒した馬と鉄柱に挟まれても、ほぼ無傷だったのです。逆に、大丈夫と意識していなかったら、自分で自分の足を蹴っただけで複雑骨折に近い骨折をしたり、怪我しそうだと思ったら、屋根から落ちて肋骨5本折ったりしたのです。自分の足の時は、医師は、支えている左足を右足で蹴ってこんな風に骨折するのは、物理的にあり得ないと不思議がられたものの、肋骨5本の時は、4メートルの高さから真横で墜落していますから、脊椎骨折で即死していても不思議はなく、むしろこの状態で、シャワーを浴びて、車を運転して病院まで来たのが信じられないと言われました。とりあえず、命が助かってラッキーでしたが。それから、私は、本当に魔法に近いこともできてしまうのです。何かというと、自己流の悪霊祓いで、平安時代の腕利き陰陽師の前世記憶の応用なのですが、呪文や真言を唱えて、「悪霊さん、きれいに消えてね。」とイメージすることで、お祓いができるのです。陰陽道の呪文自体、××急(本当は急の左に口がついた字なのですが)急如律令って、「××になるように、さっさと律令のとおりにしなさい。」という意味ですから、神道の言魂みたいなもので、「××になって」と言葉で呼びかけるものなのです。更に不思議なのは、私がお祓いや供養の時に何となく唱えている真言で、悪霊祓いの時は、力で押し切る不動明王の真言ノウマク・サンマンダ・バサラ・ダンセンダ・マカロシャタ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマンを使うことが多いのですが、通常の?不成仏霊供養の際は、観音さまや菩薩さまの中ではマイナーなのですが、准提観音の真言ノウボ・サッタナン・サンミャクサンボダイ・クチナン・タニヤタ・オン・シャレイ・シュレイ・ソンディ(ジュンテイ)・ソワカを使っているのです。何じゃこれはと思いながら唱えていたら、准提観音の真言だったのです。まあ、この真言ちょっと複雑で、全部唱えるのは面倒ですから、大抵の場合は、略してオン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカだけで済ましています。ただ、何故マイナーとも言うべき准提観音の真言なのか、前世で使っていたらしいというだけで、唱えている自分でもわかりません。お断りしておきますが、霊には素人はかかわらないことです。私の場合、幽霊をよく見ることができる息子が言うには、背後霊ならぬ光り輝いて姿がわからない背後神がついてくれているらしく、大抵何とかなっているというだけなのです。この点も、「大体なんでも切れる魔法」ならぬ「大体なんでも供養できる魔法」なのです。それでも、これはやばいと感じる悪霊はあり、そんな時は、かかわらず、敬して遠ざけています。実は、肋骨5本の時、過去に現場に生えていた細い木で首を吊った人が居たらしく、あそこは危ないなと私だけでなく、妹や娘まで何となく感じていた場所でしたから、お祓いするつもりはなかったのです。屋根のペンキ塗りをした際に、ついうっかりと屋根にかかっていたその木に足が触れたと思ったら、引きずり落されてしまったというお粗末だったのです。この場合も、死ななくて大変ラッキーでした。脱線しましたが、やくざと同じで、素人さんは触れてはならない世界だと思ってください。では、また。今夜、「葬送のフリーレン」をお楽しみください。私の推しは、ユーベル。おまけこれ、陰陽道というか護符の範疇になるのですが、陰陽師ならぬ符呪師としての私推薦の護符です。効能は、右から、全てを吉にかえる(万事大吉)、呪いをはね返す(呪詛返し)、厄除け(七難即滅)、流行り病除け(疫病除)、愛され敬われる(愛敬守り)、です。私自身の経験で効果があったのは、何と呪詛返しの護符で、家の窓に貼っておいたら、母の生霊が入って来られなくなりました。(それも恐ろしい話でしたが、二階の窓から息子が現認したとのこと。)
Mar 22, 2024
まず最初に断っておきますが、特定の車を揶揄する内容ではありますが、車自体の欠陥とは言えませんし、どちらかと言えばドライバーの責任となる内容です。しかし、ただでさえ栃木県北ではEV自体ほとんど走っていませんし、数少ない経験なのに、同様の怖い思いをしましたので、その内容だと了解ください。車種ですが、そのものずばり日産サクラです。怖い思いその第一ですが、走行音がしないことです。私、リタイア後、運動不足解消のために毎日7~8キロのサイクリングをしているのですが、とにかく音に注意しています。前方180度は視界だけで何とかなりますが、後方については、音に頼らざるを得ないからです。ですから、音のしない車は恐怖です。EVでも、テスラやアイオニック5ぐらいのでかさになりますと、静かながらそれなりの走行音がありますから察知できるのですが、サクラで40キロ以下で走られると、ほとんど音がしないのです。ですから、要注意なのです。第二ですが、これ、サクラに限らず小さい車にある程度共通するのですが、小さいから大丈夫と思うのか、自転車すれすれに接近する車があることです。サクラの場合、その上に音がしないのですから、突然横に来られるので恐怖です。第三ですが、サクラに限らず、EVは、重たいバッテリーを積んでいる分重心が低いからか、余り速度を落とさず右左折してくることがあることです。自転車が直進しているのに、目の前を横切られるのですから、これまた恐怖です。ここまでは、自転車から見た恐怖ですが、車を運転していての経験もあるのです。私の愛車は、メルセデスベンツC220dステーションワゴンなのですが、ディーゼルターボの特性で、ガソリンエンジン車よりもトルクがあります。1.5リットルのガソリンハイブリッドが300n/mのところが440n/mあるのですから、1.5倍近いトルクがあることになります。このトルク1800回転から発生しますが、サクラはモーターですから、195n/mのトルクがエンジンよりもアクセルを踏むと急にかかりやすいのです。車両重量が、ベンツは1790キロに対しサクラは1070キロですから、トルクが倍あっても馬鹿にできない力があることになります。それが第四につながるのですが、EVのサクラに限らず、ハイブリッドのプリウスにもよく似た特性がありますが、下手に踏むと急発進するのです。老人がペダル踏み間違えて暴走するのも当然で、老人の場合、まず踏み間違えていないと思い込んでいますから、余計に踏んでしまいます。しかも、今は亡き母がやったことがあるのでわかるのですが、シートベルトできちんと体を固定していないと、体を支えようと足を突っ張って余計にペダルを踏むのです。恐らく、EVはある程度の急発進防止対策はされていると思いますが、昔のメルセデスのオートマが、急発進しないように2速発進であったような対策が、EVには更に必要だと思います。私が最近怖い思いをしたのは、私はゆっくり発進するのですが、真後ろについたサクラが、出遅れたと思ったのか急加速してきて追突されかかったことです。逆恨みされたのか、煽り運転に近かったのですが、その後しばらく車間距離をほとんどとらずにつきまとわれました。急発進まで行かなくとも、EVのトルクのかかりが急であることは、思わぬ弊害をもたらします。タイヤと道路の損耗が、普通の内燃機関車の3倍になることです。メルセデスが一頃EVのEQシリーズを売り込んていましたから、弊害はないかと聞いたところ、タイヤが減ることですと答えていました。EVを急速に導入したアメリカの西海岸や中国では、タイヤの粉塵が公害になっているそうです。メルセデスのEQシリーズ、メルセデスが自信をもって出したのですから悪い車ではなかったと思いますが、一番安いEQAで640万円、Cクラス相当のEQCで960万円ですから、とにかく売れず、ハイブリッドに方針を転換しましたから、トヨタではありませんが、EVは時期尚早なのでしょう。大体、再生可能エナジーと言いつつ、それを作るために消費する資源を考えると、環境に優しいとは言えませんから。私ももう67歳で、買い替える余裕がありませんから、現在のディーゼルマイルドハイブリッドのC220dを、壊れるまで乗っていようと思います。画像は、2台の愛車です。
Mar 8, 2024
栃木県那須塩原市に暮らしていますと、毎年のあるあるなのですが、3月になっても雪が降りますし、朝は氷点下になります。昨夜も雪で、今朝はうっすら雪化粧でした。それほど寒くありませんから重い雪で、2月22日に降った時同様、我が家の笹薮がぺったんこになって、向う側の電柱と家が見えるようになりました。一旦雪が止んだので朝食後サイクリングに出かけたのですが、気温1度北風風速5メートルですから、先日の風速10メートルほどではありませんが、今日も十分寒いサイクリングでした。サイクリングコースの途中に、出釜遊水地という湧水があるのですが、このところあ雨が少ないせいか、涸れています。折角咲き始めていたフクジュソウも、つぼんでいました。気を取り直して再出発したところ、雪が降りだしたので、8キロのコースを6キロに変更して帰宅しました。その後雨になったのですが、それでも気温3度ですから、寒い一日です。
Mar 6, 2024
今年は、最低気温零下10度の日がありませんでしたから、暖冬と言われれば暖冬なのですが、11月が寒く、1月も寒かったせいか、早春の花の咲き具合はやや遅めです。遅めのクリスマスローズですが、ここにきてわっと咲き始めました。この花うつむいて咲きますから、花だけ切って水に浮かべてみました。梅も、ようやく咲き始めました。福島からやってきた我が家のフクジュソウも咲いています。他のお花はまだです。
Feb 29, 2024
先日、「できること、できないこと、できたら困ること?」ってふざけた題名で投稿しましたが、考えてみると、私、できたら困ったことは、他にもあるのです。先日の投稿にも少し触れましたが、私、超人的に丈夫な肉体を持っています。これ、信じてもらえないでしょうが、臨死体験の時に、神様としか言いようがない存在から、「お前はこのまま帰したら直ぐに舞い戻ってくることになるから、普通の人間よりも丈夫な肉体をあげよう。」と言われたのです。当時2歳ですから、何を言われたのか、その時は理解してはいなかったのですが、確かに毎晩のように母から殴る蹴るの暴行にあっていましたから、確かにこのまま戻ったらまた三途の川飛び越えて帰って来ることになりそうだなとは理解できました。それで、結果的には、神様の言ったとおり、母の殴る蹴るの暴行にあっても、怪我一つしないだけでなく、ほとんど痛みもない幸せな肉体になりました。ただ、その時一つ注意されたのです。「自分で自分を傷つけたら、ちゃんと怪我するからな。」はて、そんな馬鹿なことするもんか、ありえねーと信じなかったのですが、13年後にその意味がわかりました。中学2年の時だったか、体育でサッカーをしていて、一人でややっこしいドリブルの練習をしていたら、ミスして左足で思い切り踏みつけるような形で、ボールの上に乗ってしまったのです。当然こけます。いや、こければよかったのです。ところが私、こけまいと踏ん張ってしまったのです。この時に起きた現象について、単純に言えば、左足がボールの上に乗ったので、このままだとこけますから、こけないようにと右足で踏ん張ったのです。ただ右足で踏ん張っただけだったら、何も起こらなかったというか、こけずに済んでめでたしめでたしだったのだと思いますが、右足を踏ん張った位置が、こけかけている左足と交差する位置だったのです。つまり、右足で左足に足払いをかけるような格好になってししまったのです。普通の肉体だったら、左足をひっかけてこけただけで済んだのだと思います。しかし、神様の言うとおり、普通の人間よりも丈夫な肉体であったところが災いしました。現象的にも、自分の右足で自分の左足を蹴っ飛ばしたわけで、「自分で自分を傷つける」行為になってしまったのです。その結果、自分で蹴っ飛ばした左足は、下腿骨である脛骨腓骨の二本とも見事に折れてしまったのです。しかも、細い方の腓骨は単純骨折だったのですが、太い方の脛骨は、右足で蹴った位置でぐしゃっとつぶれており、複雑骨折までは行きませんでしたが、手術が必要な状況になっていました。担当した医師は、「普通に転んだ程度で2本とも折れるのは稀だし、特に太い方の脛骨がバラバラになるのは信じられない。」と話してくれました。ただ、幸いだったというか、単純に私が鈍感だったのか、痛みは大して感じませんでした。顔色も悪くなかったとのことで、保健体育の教科書の記述「骨折したばあい、顔面蒼白になる。」は嘘だと病院に運んでくれた体育教師が笑っていました。ところが、病院に運ばれて、足を引っ張って整復しようとしたら、骨折部位周囲の組織を傷つけたのか、途端に痛くなり、翌日午後に手術を終えるまで、痛いままでした。結局、手術でステンレスパネルで脛骨を固定し、半年たってそのパネルを取り除く再手術をして、普通に運動ができるまで復活しましたが、全身麻酔で2時間半かかった手術が完全にはうまくいかなかったらしく、左足、わずかに右に向いた状態で固定されました。自分自身を傷つけたこの例の他にも、踏ん張ったら木の床に足の形の穴が開いたこともありました。これ、やろうと思ってもできることではないのですが、明治生まれで「聖中心道肥田式身体強健術天真療法」という身体鍛錬法を考案した肥田春充氏は、簡単にできたそうですから、何か通じるものがあるのかもしれません。私はその鍛錬法を試したことはないのですが、興味のある方は、調べてみてください。※映像は、今日の那須塩原です。晴天ながら雪も舞う強風で、サイクリングは大変でしたが、ニューの自転車、18段変速が効果を発揮し、上り坂向い風でもそれほど苦労せずに走れました。最初は無用の長物とばかにしていた18段変速ですが、優れものです。
Feb 27, 2024
2月22日猫の日、我が家の黒猫ヤマト、保護して2年になりました。ヤマト自身は、3年10か月前の我が家の火事で、当時居た21匹の猫たちが全滅する前から我が家の庭に兄弟と思われる黒猫2匹とともに顔を見せていましたから、5歳ぐらいだろうと思います。この時、ヤマトの兄貴かなあと思っていた黒猫の1匹は、今でも我が家で餌を食べて行きます。猫たちが居なくなると、ヤマトだけは妙にフレンドリーになり、家の中に入って来るようになりました。一度は、2階のベランダまで上がって来たこともありましたが、見つかると脱兎のごとく逃げました。それでも、私の通勤時には、毎日のように車庫でお見送り、お出迎えをしてくれる猫でしたし、「おいで。」と呼ぶと、家の中まで入って来るようになりましたから、猫はもう飼わないと言っていたのですが、思い切って保護することにしました。ちなみに、名付け親は娘で、陳腐ですが、クロネコヤマトから来ています。大変幸運だったのは、ヤマトが人間の食事には手を出さなかったことで、私たちが食事をしていても、テーブルの上で大人しくしているのです。キャットフードとチュールしか食べませんから、人間の食事時に安心して配膳できることは、大変助かります。我が家の猫たち、東日本大震災の後、福島からの猫も引き受けた時が最多で、計27匹居たのですが、当時は、食べ物をテーブルの上に放置することなど絶対にできませんでした。猫缶を開ける音をさせただけで、27匹が地響きを立てて突進してきたのです。そのことを思えば、今は大変平和です。ヤマト、時々座布団の上に大小便をするという悪さをしますが、それしかしませんから、大変いい子なのです。何時まで生きてくれるかわかりませんが、彼が元気なうちは、私と妻も健康でいなくてはと思う毎日です。
Feb 22, 2024
変な題名ですが、67歳の今になって、できるできないよりも、人生で何がしたかったのか、全然考えたことがなかったことに気付いたのです。これ、サヴァン症候群の超絶分析能力とも関係があるのかもしれませんが、いろいろな決断で、普通ならしないだろうというようなことを即決しつつ何となく過ごして来た私は、自分の人生がどうあるべきか、いや、どうしたいのか、今の今まで考えたことがなかったのです。別の言い方をすれば、今の自分は、人生のいろいろな分岐の中でも、一番幸せそうな未来と思った現在につながる分岐を選んで来たとも言えます。普通の、常識的な人生としては、最初にあらまほしき未来の目標を定めるのでしょうが、私の場合、未来でこうなっているという認識が先に来ていたのです。これって、ふざけた話ですが、私、目標を設定して、それに向かって努力するという行為とは無縁で、人生において、ほとんど努力をしたことがないのです。じゃあ、何でもできたのかと言われると、それも少し違っていて、確かにさほどというか、ほとんど努力しなくても大抵のことはできたのですが、これはできないと、予想、予知、幻視してしまったことに関しては、どんなに簡単そうなことも、できなかったのです。まあ、明らかに原因というか遠因があるものもあって、いまだに苦手なことの一つは、蝶結びなのですが、これ、2歳ぐらいの時に、当時はまだ紐靴が主流でしたから、母が結び方を教えようとしたのです。ところが、私自身は、反抗的というか、その時はよほどやりたくなかったらしく、まじめにやろうとしなかったもので、母は怒り狂って殴る蹴るの虐待に走ったのです。以前臨死体験の記事で触れましたが、私、一度三途の川を飛び越えて転生直前まで行って帰って来てから、普通なら死なないまでも重傷を負っていないとおかしいぐらいの暴行を受けても、ほとんど無傷でいられたので、当時は毎晩のように虐待されていましたが、ほぼ無傷ですから、誰も母の虐待に気付きませんでした。そんなもので、私の場合、できないのではなく、嫌なものは嫌で、蝶結びは今でも苦手なのです。同様に、昔小学校にあった雲梯で、猿みたいに手だけでぶらさがってひょいひょい進むのも苦手です。これまた変なもので、私、バランスは超人的にいいので、ぶら下がるのは苦手ですが、逆に雲梯の細い木の上をひょいひょい歩くことはできたのです。力がないわけではなく、今の私よりは小兵でしたが、五人張りの強弓を難なく引いて、京都の三十三間堂の通し矢では誰よりも遠くまで飛ばし、鎮西八郎為朝の再来と言われた弓道師範の祖父ほどではありませんが、決して大きくはない体の割には怪力の持ち主ですから、やろうと思えばぶら下がってひょいひょい進むことぐらいはできたはずなのです。でも、真理といえば真理ですが、やりたくないものはできないわけです。時々困るのは、物理的にはあり得ないようなことも、できそうな気がするとできてしまうことです。私、35年間メルセデスベンツを愛用しているのですが、最初の3台は、スリーポインテッドスターのエンブレムがボンネットの先端に突っ立っていました。車両感覚をつかむうえも有効な優れものだったのですが、あのエンブレム、ぶつかっても折れないように、後ろに倒れてばねで元に戻るようにできているのです。それがある日、魔が差したというのか、触ったら折れそうな気がしてしまったのです。そんな時は、触らなければよいだけなのですが、ついつい人差し指の先でちょんと触れてしまったのです。次の瞬間、エンブレムが根元でぱきっと折れたのです。私が思わず悲鳴を上げたので、妻は何事かと思ったそうですが、きれいに折れていました。部品にすでも入っていたのではないかと疑いましたが、それでも折れるよりは倒れる、悪くとも曲がるはずで、ヤナセのサービスマンも、断面もきれいだからすが入っていたわけではなさそうだし、曲がることはあってもこんな風にきれいに折れるはずはないのだがと首を傾げていました。部品代は、6千数百円でしたが、折れた先だけ記念にとっておいたはずなのですが、行方不明です。実現したら困ることは考えない、それがエンブレムが折れた事件の教訓です。さて、この先どうやって生きて行こうか、今のところまだ予知していませんから、それも問題です。とりあえず、自転車も買い替えたし、元気で長生きを目指すことにしましょう。画像は、食っちゃ寝のヤマトです。外は寒いし、私も猫になりたい。
Feb 21, 2024