惚れた弱み&小説コメント
≪惚れた弱み≫とはよく云ったもので、同じセリフでもずいぶん、対応が違うものですねえ。友人が「一緒に暮らしたらラクだと思うんだ」と云われたようで、なかなかどうして憤慨していました。「ラクって何よ、ラクって」と。失礼だったらしい。どうやら、これまでも数人に云われた言葉だったとのことで、「私ってラクそうに見えるのか?」と自問自答中。果たして彼女はその相手に惚れているのかそうではないのか。それとも、過去には嬉しかった人もいたということなのか?放っておこう。でも「それこそ箸の上げ下ろしまで厭じゃないない人じゃないと無理よ。それでもプンプンしちゃうけど」という言葉も訊こえてきて、なるほどなあ、そうだよねえ、と実感も経験もない私はただ頷くのでありました。まあつまるところ彼女に「ラク」は禁句なようです。あしからず。*****小説コメント第3弾!(←一人ではりきっている)『東京』。東京という街に対して私が抱いていたものは、年齢とともに変わってきていて、実際に暮らしてみると、また当然のことながら違う。ただ、やはり「見る・見られる」という意識は比較的都会である札幌と比べてみても、異なるように思うのです。学生時代に東京へ遊びにくると決まって、眼が吊り上ってしまっていた私は「東京に巻き込まれまい」という半ば自意識過剰とも云える感覚に襲われていました。それは東京の人の眼を意識し過ぎるあまりのこと。でもこうして一年住んでみると、けっこう「人は人」という東京独特の風が流れていて、札幌にいた頃よりも、自分のペースで歩くことができるようになりました。それでも、自分が憧れている地域やお洒落な場所を歩いたり、冬でもオープンカフェになっている店に入るときは、自然と姿勢もピンとなるし、そこを通る人たちの視線や姿勢も、一挙手一投足がどこか輝いてみえるときがあります。それを探して見つけるのが、東京の楽しいところだな。自分までもがいつもとちょっとだけ違う雰囲気になれたり、でも実際はいつもと寸分も違わない自分もいて、そんな嘲笑さえも楽しめる余裕が、今は持てるようになってきた。「(東京で)リアルをもっと見つけないと」と、上京間もない私に云った人がいます。今でも時々、考えちゃいます。「リアルってナンだろう」と。自分が感じる全てがリアルだと思ってはいるけれど、見えていない部分にもまた、リアルは必ず存在する。人の数だけ、リアルがある。何をリアルとするのか…難しい課題をくれたものだと感謝と苦笑の東京生活。*****あ~あ、頭使ったらお腹すいてきちゃったよ。エイっ!寝てしまえ。