母乳育児の思い出あれこれ
ゆらが産まれて2時間後から私の母乳育児が始まった2630gという小さい体にも関わらず最初から上手に乳首をくわえて小刻みに飲んでいたそれが始まり思えば私の母乳育児もいろんなことがあった生後0ヶ月の後半は疲れのためか母乳の出が悪くなった機嫌の悪いままのゆら泣き続ける父に「もうミルクを飲ませろ」そう言われる母にもそう言われたミルクを少しあげてみた飲まない・・私はミルクを足すのがすごく嫌だったなんとしても自分のおっぱいで育てたいんだ妊娠中からずっとそう思ってたんだもの・・妊娠中からずっとおっぱいマッサージをしてきたんだもの・・私は1から調べなおした母乳育児を迷信ではない、ちゃんとした情報を調べたそこで出た自分なりの結論は【焦らないで与えつづければ母乳が出るようになる】ということ下手にそこでミルクを足すようになるとそこで終わりだということ出が悪くなったから・・と言ってミルクを足して母乳育児を放棄する人が非常に多い現実を知る私はそうはなりたくないミルクを足すのを完全にやめたそして焦るのもやめた食生活には気を配り、疲れないようにしようとした生後1ヶ月からは少し安定したそれでもやはり疲労がたまると母乳の出が悪くなってゆらの機嫌が悪くなったでもそこそこ母乳の量も増えてきてゆらがむせたりすることも多くなってきた生後5ヶ月くらいだろうか知り合いの桶谷助産院を訪れた母乳育児について学べたし桶谷の手技も体験できたとても気持ちの良いものだった知り合いのO先生は定期的においでと言ってくれたおっぱいをあげ続けて・・感想月齢で本当に反応だったり状態が違うものだなぁ、と最初の頃は母子間の母乳のバランスがとれてないから子どもが吐いたりむせたり、私のおっぱいが出なかったり子どもが寝る時間が長いためにおっぱいがすっごいはってしまったり子どもがうまく全部飲めなくて母乳が飛び散ったりいろいろあったなぁ・・どんどん動けるようになってくると手足がバタバタ動いておっぱいをもらえて嬉しいと表現できるようになる手足もそうだし顔の表情もそう10ヶ月を過ぎてからだと思うが待ってましたとばかりに飲むときは眉毛が上にあがっていた私たちが美味しいビールをプハーっと飲むのにどこかにている感じだそれに声も美味しそうにうなっていた「うーーー」甘えとしての母乳も月齢が進むにつれ反応がよくなっていく母乳をあげながら笑わせたり話しかけたり・・そういうコミュニケーションを私とゆらはたくさんした例えばあるとき授乳中に話し掛けると私が言ったことを真似していたけどおっぱいをくわえているのではっきり聞こえない・・がイントネーションと口の動かし方でわかったゆらは授乳だけでなく私と会話を楽しんでいたそんなこともたくさんあってたまらなく可愛かっただから1日の授乳回数はすごい多かった母乳育児は楽しかったりきれいな思い出だけではない何度も何度も言った言葉「いい加減寝てよーー」ずっと母乳をあげていても寝ないときが何度も何度もあった寝かしつけてもすぐ起きるときもあった常に寝不足だった月齢が進み夜起きる回数が減ってからまた元に戻って夜何度も起きることもあった母乳で育てるというのはそれだけ私の時間をも体力をもねこそぎあげていたということだまた私はほとんど人にあずけたりしなかったあずけても数時間だったそういったこともあって、とてもイライラしたもんだ母乳育児をしていた間、私は薬を飲まなくちゃいけない状況でも飲めなかった手がひどいくらい荒れても塗り薬まで栄養ドリンクも軽いやつまでほんとにいろんな苦労があったなぁほんとにいろんなかわいいゆらを見れたなぁおっぱいあげてるときがやっぱり一番かわいかったんだこうしみじみ思い、感慨にふけれるのもたくさんの苦労とゆらの笑顔があったからだろうおっぱいをあげている最中は(あ~~はやくやめたいやめたい)って何度も思ったけどやめる間際は迷いもあったしほんっとーーーーに悲しかった!!!ゆらはいなくならないのに、なぜかむちゃくちゃ悲しいのだ離れるのだゆらが 私の乳から離れ、別れ。別れっていうのはどうしてこうも切ないんだろうか別れる間際になってその人を想うそれまでの時間を想うでもね、普通の別れとは違うのだこれはゆらの成長の1過程になるということだからおめでたいことなのだだから私も喜ばなくちゃいけない悲しむと同時にとても喜ぼうそう断乳の前日の夜に考えたそうして私はふっきれた次の日の朝無事にゆらは断乳できました・・最後に・・嬉しいことに私の母乳は桶谷の先生にとても誉められたなかなかこんな良質なおっぱいをあげている人はいない、となんだか嬉しかったっけなぁ~~^^ ===========================育児ブログランキングに登録しています2つのランキングクリックお願いします 1 2 楽天育児ブログランキング>べビー============================