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テーマ:映画から何かがはじまる(571)
カテゴリ:Movie
ハリウッドのエンターテインメントニュース(ゴシップネタが主だが)を流す25日付けのTMZ.com で、NYのFrank E. Campbell葬儀教会からヒースの遺体が運び出される映像が流れた。TMZ.comによると、周囲は報道関係者や野次馬やファンで騒然となり、ジョン・レノンやマリリン・モンローのときのことを思い起こさせる情景だったという。ちなみにヒースの父はNYにいるはずだが、この日の葬儀には姿を見せなかったという。週末にロスで身内だけの葬儀があるらしい。ヒースはオーストラリアのパースに埋葬されるとのこと。
<ここからきのうの「ブロークバック」ネタの続き> さて、脚本家2人の語ったところによれば、もともとが短編小説であるため、原作のあらゆる場面をほぼもれなく入れたにもかかわらず、最初に完成した脚本は、予定の半分の量にもならなかったという。そこで、原作にはほんの少ししか出てこないイニスの娘(2人いるが主に長女)と第二の女性(映画ではキャッシーと名前があるが、原作では名前さえ出てこない)との交流を大幅に膨らめて挿入したのだという。脚本家は男性と女性だったのだが、女性たちのエピソードはもっぱら男性脚本家が担当し、イニスとジャックの心情を表わすパートは逆に女性脚本家が手がけたという。女性脚本家自身、「私のほうがイニスとジャックの感情をすぐに理解できた」と言っているのは面白い。 プロデューサーは、「この作品では女性が重要な役割をもっている」と語っている。イニスの性格に起因する物語の悲劇的な側面を際立たせるのが、イニスを取り巻く女性たちだということだ。これは単に「長さ」だけの問題ではなく、「ブロークバックマウンテン」をマイナーなアート作品に留めずに、商業ベースにのせて幅広い観客に見てもらいたいという制作者側の意図があると思う。「原作の要素はもれなく入れた」と言いながら、実はイニスのジャックに対する性的な欲望は大幅に削られている(逆は、ほぼ忠実に反映されている)。原作では最後にイニスがジャックの夢を見ているが、それは若いころの2人で、しかもその夢は豆の缶から突き出したスプーンの「柄」だとか、それが「丸太」の上でバランスを取っているとか、明らかにフロイト的な性的メタファー(暗喩・隠喩)に彩られ、「スプーンの柄は(同性愛者に対するリンチ殺人に使われた)タイヤレバーにも使えそうにみえる」と、性的なイメージが死のイメージにつながっていく。 映画のイニスはジャックの夢など見ておらず、娘と会って結婚式に出る出ないの相談をしている。原作では離婚したイニスと娘の会話は一切なく、養育費を払っているらしいことが間接的にわかるだけ。だが、逆に映画では長女との心の交流を通じて、イニスがジャックとの愛の生活を犠牲にすることで築いてきた何かがあることを見るものに印象づけ、いくばくかの救いと、そしてなにより、「同性愛にまったく感情移入できない人々」からの共感も得ることに成功したと思う。 それは、あらゆる男性の内に「ジャック」はいなくても、「ブロークバック山」はあるからだ。男性は特に年を重ねるにつれ、「あのころ」の「あの場所」へのノスタルジーが強くなる。結婚をし、子供をもうけても、年に一度か二度、そうしたシガラミから逃れ、どこか遠いところに行って狩りや釣りを楽しむというシチュエーションは、ほとんどの男性の琴線に触れる。そこが、実際には自分にありもしなかった、ようようたる前途があると信じていた若い頃の思い出につながっている場所ならなおさらだ。オトコとヤるために山に行く、なんてのは一切受けつけられないとしても、映画の中でイニスとジャックが馬で歩き、テントを張る山の自然の繊細さと壮大さを兼ね備えた美しさは、憧れを掻き立てるにあまりある。実際、この映画の最大の魅力は、もしかしたら風景の美しさ(正確にいえば、「美しく撮られた風景」)ではないか、と思わないでもない。 そうした観客の心情を見越したように、作品ではイニスとジャックの性愛の描写は、最初と再会のシーンがもっとも激しいだけで、物語の重要な要素として何度も繰り返されることはない。30代後半になった2人の最後の逢瀬でもまったく描かれていない。映画では2人が静かに並んで座り、雪の残る山を見ながら語り合うお互いの「嘘と真実のないまぜになった」近況も、原作では肉体的なカラミに発展するなかでの会話になっている。つまり、原作ではイニスとジャックが会うのは、あくまで情事のためなのだ。だが、山に行くたびに2人のオトコがヤっているのを映像で見せられたのでは、多くの普通の観客はドン引きになってしまう。 キャッシーとのエピソードならば「引く」客はほとんどいない。もしかしたら、もう一度やり直せるかもしれないチャンスが来て、それが彼女には言えない「秘密」のために結局はうまく行かないという展開は、一般的な観客にとっても簡単に感情移入できる。こうしたジャック以外の女性との関わり合いが醸し出すやるせない人間味も、この映画が広くヒットした一因になったことは確かだが、逆にイニスのセクシャリティを曖昧にし、観客が抱くイニス像に混乱をもたらした面もあると思う。 <文字制限をオーバーしたので続きは明日> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.02.02 19:58:49
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