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テーマ:DVD映画鑑賞(14219)
カテゴリ:Movie
”文豪”ドストエフスキーの悲恋小説を”ネオ・レアリズモの巨匠”ヴィスコンティがかってない幻想性とロマンティズムで描いた名作!■白夜■ 『白夜』の魅力は、小さな日常を描いたようでいながら、すべてが実は非常に「幻想的」だということだ。最初に映し出される街の風景は、どこかのイタリアの街でロケをしたようにも見える。ESSOのガソリンスタンド、TABACCHI(タバコ屋)の看板。すべてがありふれた街の光景なのだが、通りの様子をよく見ると、ある意味とても不自然だ。道が狭く、看板がちょうどこちら側から全部重なり「合わない」ように並んでかかっているのがわかる。香港じゃあるまいし、イタリアの街中の通りで、こんなふうに電飾の看板がかかっているところはない。そう、ここは『バットマン』のゴッサムシティと同じく、イタリアの架空の街なのだ。 この街で非常に印象的なのは運河だ。まるでヴェネチアのようだが、そのほかの街の様子がヴェネチアとは全然違う。ヴェネチアよりずっと起伏がある。運河にかかる橋をわたり、建物に沿って上へ歩いていくと、街中なのに崩れかけた遺跡が現れる。ここはまるでローマだ。自転車やバイクで車道やときには歩道を通りすぎる者、BAR(バール。日本のバーとは違ってコーヒーを飲んだり軽食を食べさせる喫茶店のような場所)に出入りする者。その喧騒に満ちた雰囲気はまさしく、嬉しくなっちゃうほど「イタリアの夜」そのものだ。『白夜』の魅力はそもそも、どこからどう見てもまごうことなきイタリアなのに、現実にはイタリアのどこにもない、ありえない街を舞台にしていることにある。 マリオはこの街に転勤してきたばかり。今日は上司に誘われて遊びに行って遅くなった。「また誘うからね」と言われて、上司と路上で別れると、ちょっとほっとしたように、街をぶらぶらと歩き出す。 この行動もいかにもイタ男(イタリア人男性)らしい。そう、イタリアに行けばわかることだが、イタリア人って、ほんっと、あちこちでぶらぶらしている。電車に乗れば、電車の通路をぶらぶら(電車ではたいていキチンと座ってるドイツ人の青年とは対照的)。街では広場でぶらぶら。海岸沿いのプロムナードでぶらぶら。彼らはそれを「パッセジャータ」と呼ぶ。散歩という意味だが、たいていのイタリア人にとって、たとえば夕暮れ時のパッセジャータは儀式のようなものだ。そして、自分の人生になにかちょっとした「すてきなこと」が起こるのを期待している。 マリオは夜の街をさまよい、運河のそばを歩き、カワイイ犬を見つけて、近寄り、追いかけたりしている。しばらくして、マリオは橋の上で泣いている女性を見る。ちらっと見えた顔が好みだったらしく、マリオは吸い寄せられるように彼女に近づく。この行動もイタリア人にはけっこうありがちなので、笑える。何か気になるモノを見つけると「なんだなんだ」と妙に素直に近寄っていく。そんなイタリア人はめずらしくはない。マリオは別の場面でも、街中で気になることをしている若者を見ると、いきなりぐいぐい近寄っていき、相手が不信げに振り向くと慌てて離れたりしている。 主人公2人の出会い方はドストエフスキーの原作どおりだし、会話も小説にある会話がそのまま多く使われているのだが、主人公2人の性格付けは違う。原作では青年は完全にモテナイ系のブンガク青年、ヒロインは美女だが、ヴィスコンティ版『白夜』では、マリオはちょい、いい加減クンのニュアンスがある典型的なイタリア人。ヒロインのナタリアはやや野暮ったい、世間知らずの純情可憐ちゃんだが、生粋のイタリア女性ではない、どこか「遠くから来た」雰囲気がある(マリオは最初彼女に「外国人?」と聞いている)。 そんなナタリアに話しかけると、彼女は警戒して逃げてしまう。ところが、そこに暴漢が現れ(なんてベタな展開…)、マリオはなんとなく彼女を家まで送っていくことになる。そして道々なんとか、次の約束をとりつけようと必死になる。女性の1つ1つの言葉に1人で盛り上がったり、盛り下がったりしている。 これはナタリアの家の扉の前のシーン。 明日も会えることになり、マリオは天にも昇る心地に。ナタリアはうつむきがちで、いかにもすれていない様子。ドアに手をやっているマリオのポーズにご注目。求愛にはやる男性の心理をドアが押しとどめているようでもあり、彼は彼女のかわりにドアをさわっているようにも見え、非常に印象的なのだが、よく考えるとマリオの手の動き、そしてこの2人の立っている位置関係も、かなり不自然だ。こういう場合、男性はふつう女性の正面に立つものだ。だが、マストロヤンニが体を斜めにして、横から彼女を見つめることで、観客は一生懸命彼女に近づこうとしているマリオの表情をよりはっきり見ることができる。同時にマリオの立ち位置は、観客からナタリアの姿をまったくさえぎらないようになっているから、ナタリアの顔の表情も全部見える。硬直したナタリアのポーズ、流動的なマリオのポーズ――2人の対照的な立ち方が、どこかポエティックなムードをこの場面に与えている。ヴィスコンティのさりげなく凝った演出が光っている。 さて翌日、約束したにもかかわらず、ナタリアはマリオを見ると急に逃げ出す。マリオが追いかけると、ナタリアはパニクって鶏小屋に逃げ込み、鶏の飼い主に追い出される。そこでナタリアが飼い主の農婦に向かって、「変な人に追いかけられて……」と言っているのをマリオは聞いてしまう。 ドヨヨ~ンとなったマリオが、落胆して去ろうとすると、今度はナタリアが追いかけてくる。実は彼女には、「待っている恋人」がいたのだ。その彼が戻ってきて、彼女が別の男性と一緒にいるところを見られたら誤解されてしまう。ナタリアの奇妙な行動は、そうした乙女心からだった(信じられないくらい身勝手な乙女心…… それなら最初っからそう言えば?)。 <明日に続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.03.12 00:06:59
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