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テーマ:映画レビュー(894)
カテゴリ:Movie
ヴィスコンティの『白夜』では、ジャン・マレー演じる下宿人の部屋の小道具で、明らかに作り手が「遊んでる部分」がある。
一目で下宿人に恋をしたナタリアが彼の留守中、用事にかこつけて部屋に入る。そして、鏡台の前へ行き、1人で彼の使ったものを触ったり、クリームのにおいを嗅いだりする(相当気持ち悪い……)。 これはそのシーン。 しかも、彼の部屋の鏡はこれだけではない。このボードの向かい側の壁に長方形の鏡がもう1つ。さらに手洗い用の洗面器の上にも丸い鏡があるのだ! なんと、部屋に鏡が4つ! 中年の男性の部屋なのにですよ。 ちなみにマストロヤンニ演じるマリオの部屋には鏡は1つもない(笑)。手洗い用の洗面器はあるが、もちろん鏡つきではない。 どうしてこんなに鏡だらけなのか? それはもちろん、ジャン・マレーの部屋だから。ジャン・マレーといえば、コクトー。コクトー作品でのマレーといえば「鏡」なのだ。 これは代表作『オルフェ』の、あまりに有名な、妖しいシーン。映画を見る前は、「この人ってば、鏡の自分に頬寄せて自己陶酔したように目をつぶって、一体何やってるんだろう?」と好奇心をかきたてられた。実際には「自分に頬寄せてる」シーンではないのだが、明らかにそうとしか見えない演出…… それについてはまた後日『オルフェ』のエントリーで書くとして、この作品では、そして同じくマレーの主演した『美女と野獣』でも、鏡が重要な小道具として象徴的に使われている。 つまり、こうしたことをふまえて、ヴィスコンティは『白夜』で鏡をマレーの「アトリビュート」として使ったのだ。アトリビュートとは西洋美術における「持物(じぶつ)」のこと。文字通り「持ち物」だ。たとえばヴィーナスのアトリビュートは薔薇であり、聖母マリアのアトリビュートは百合。このように決めることで、アトリビュートを見れば、そこに描かれた聖人や天使が誰かということがわかるようになっている。 代表的なアトリビュートの例を挙げよう。 これはエルグレコの『受胎告知』。右側の天使の肘あたりに白百合が見える。 レオナルドの『受胎告知』でも、左側の天使が白百合を抱えている。天使の顔の右側あたりに見えるはず。 画家が勝手に自分の趣味で百合をもたせているわけではない。天使が受胎を告げる相手が聖母マリアだということを見るものに伝えるために百合が描かれているというわけ。これは一種の決まりごとなのだ。 ちなみに「鏡」というのは薔薇や百合のようにハッキリ誰のアトリビュートと決まっているわけではないが、おもしろいことに、それを持つキャラクターによって「傲慢」や「虚飾」の象徴としても、「純潔」や「真実」、あるいは「賢明」の象徴としても使われる。コクトーがそこまで考えて愛するマレーとの作品に鏡を多用したのかどうかはわからないが、ヴィスコンティは明らかに、意図的に下宿人の部屋に鏡をたくさん置くことで、そこが「マレーの部屋」であることを西洋絵画の伝統にのっとって暗示したのだ。間接的にコクトー作品へ敬意を示したとも取れる。 さて、物語のほうだが、ナタリアが部屋で物思いにふけっていると下宿人が帰ってくる。この下宿人もナタリアを気に入っているので、勝手に部屋に入られても全然怒らない。それどころか、本を貸してあげたうえ、ここぞとばかりデートに誘う。やさしくナタリアの手に自分の手を重ねて……(かな~り「慣れた」雰囲気ムンムン)。 う~ん、展開速いぞ。ま、この物語、マストロヤンニにもたくさんしゃべらせなくてはいけないし、パリからローマへこの撮影のためにやってきたマレーのスケジュールもあるし、ナタリアと下宿人の恋の展開にあまり駆け引きも入れてられないよね。 <続く> 名画を読み解くアトリビュート お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.03.14 00:00:52
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