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カテゴリ:Movie
<3月27日のエントリーから続く>
1938年末、好評を博していた舞台『恐るべき親たち』を見た教育関係者が、この芝居は「放蕩息子」の「近親相かん」のさまを「白日のもとにさらけ出す」もので、子供には絶対に見せるべきではないと非難した。これに激怒したコクトーがパリで一番発行部数の多い新聞紙上で反論したために、スキャンダルはさらに広がった。上演していた劇場がパリ市庁所属だったことから、教育上よろしくない芝居は上演禁止だと追放される。 だが、すぐに別の劇場が門戸を開く。すると噂の卑猥な芝居を見ようと客がさらに押し寄せた。もちろん卑猥なモノを見たかった観客は完全に裏切られるが、その評判がまた評判を呼び、『恐るべき親たち』はロングランを続けた。 ところが1939年2月末、マレーが体調を崩し、結果5月まで役を離れることになってしまう。4月、コクトーがマレーを療養をかねた旅行に誘う。今度の行き先はかつてコクトーが早熟の天才レイモン・ラディゲと過ごした思い出の地ル・ピゲだった。ラディゲが20歳で夭逝したことで阿片に溺れるようになったコクトーは、ラディゲが死んでからル・ピゲには足を運んでいない。およそ15年ぶりの再訪だった。 コクトーはかつてラディゲと長期滞在したホテルにまた宿を取る。そして、療養中のマレーと過ごしながら、まるで過去を精算するかのような小説『ポトマックの最期』の執筆に着手している(完成させたのはエックスシドューイユ)。 5月にマレーは舞台復帰。有名になったマレーには取り巻きが増え、次第に同年代の遊び仲間と外出するようになる。そんなマレーに対してコクトーは父親のような寛大な態度で接していた。自作の戯曲が当たったとこもあり、コクトー自身も多くの仕事をかかえ、非常に多忙。そのせいもあってマレーは何となく、「コクトーが自分に無関心になった」と感じる。 そんなマレーの取り巻きの1人に19歳の美貌のアメリカ人がいた。「彼には、私にはないものがあり、そこに魅了された」「私にとっては一種のドリアン・グレイを想わせた」(マレー自伝より)。天性の美貌をもちながら、麻薬と娼窟に溺れ、とめどない背徳の世界に堕ちていくドリアン・グレイ――いわずと知れたオスカー・ワイルド代表作の主人公だ。 マレーはドリアン・グレイに関してはちょっとした思い出をもっている。マルセル・レルビエから『ドリアン・グレイの肖像』を撮るからカメラテストをしろと言われ、髪を脱色し、巻き毛にしてテストを受けに行ったことがあるのだ。移動の途中でバスを降りると若い男が一緒に降りてきて、 「突然すいません。私は画家なのですが、君の肖像を描きたいのです」 と、 そうかもしれない。マレーのエネルギーにあふれた屈強な体躯は、ドリアン・グレイのイメージではない。ちなみにヘルムート・バーガーはこの役が当たり役だと言われた。 さて、そのドリアン・グレイを思わせるアメリカ人は、名前をデナム・フードと言った。もともとはデナムが病気だったにもかかわらず、どうしてもマレーに会いたいとパジャマのままマレーの楽屋に押しかけてきたのが2人の出会い(本当につくづく、いちいちエピソードがヤバイ人だ)。マレーとデナムは急速に接近し、しばしばデナムに誘われ、マレーは歓楽街に出入りするようになっていく。 そんなときに、「愛する私のジャノ(コクトーはマレーをこう呼んだ)」で始まる、コクトーから長い手紙が部屋のドアの下におかれる。その要旨はこうだ。 「僕は父親のように君を愛そうとしている。それは君を束縛し、独占しすぎることを恐れたから。それに君が恋に落ちはしないかと気に病むことを恐れ、君が僕にそれを隠そうとすることを恐れたからだ。もし君を自由にすれば、僕に隠し事をしないだろうし、そのほうがむしろ悲しみは少ないと自分に言い聞かせることにしたのだ。僕は君を愛しているし、尊敬している。僕の君への熱愛は神聖なもの。僕の一切を捧げる宗教的なものだ。君は僕のすべてだ。君の素晴らしい青春に水を差す考えは毛頭ない。僕は君に栄光を与えるためにあれを書いた。そして栄光を与えることができた。それが僕の唯一の誇り。僕はこれからも君に栄光を与えたい。それが僕の創作意欲になっている。もし君が同年代の人と出会い、そのことを隠したり、僕を絶望させたくないためにその人への愛を控えたりしたら、僕は死ぬまで後悔するだろう。むろんそれが僕の幸福を奪うことは確かだが、君が僕を信頼し、父や母といるような自由を感じるほど、僕が立派になるということもまた確かなのだから」 この手紙を受け取ったとき、マレーはコクトーが本当は何を言いたいのかわかっていなかった。だが、数日後、また手紙がおかれる。 「僕はとても悲しい。たまたま君を賞賛の絶頂に押し上げることに僕が手を貸し、皆が君を好くからだ。君がいつも同年代の人たちと外出することはいい。ただ、Dは君のためにならない。君は美しい王子の姿を彼に見ているが、僕や他の人々の目には運命に対する怠け者にしか見えない。目をひらいてほしい。僕たちの仕事や計画、僕たちの純粋さ、正しい方向を考えて欲しい」 さらに数日後、手紙はさらに生々しく、狂おしい調子を帯びてくる。 「これは僕の嫉妬だと考えてくれてもいい。僕ほど君を愛せる人間がほかにいるとは思えない。君が誰かに触れ、優しい言葉をかけるなどと、考えただけでも気が狂いそうになる。でも、そこに君への非難が含まれているとは考えないでくれ。君は自由。君の青春、君の飛躍を束縛したくない。 僕の苦悩は哀れな動物的な反応からきているにすぎない。誰かの腕に抱かれる君、誰かを抱く君を想像すると、拷問にかけられるよう。これは単なる僕の妄想にすぎないかもしれない。君の善意がそれを明かしてくれることを望んでいる。 僕は君が愛する人に対して、うらやましいとは思うけれど、嫉妬はしない。君の幸せだけを僕は求めたい」 (コクトー先生、言ってることが完全にぐちゃぐちゃです…) このキョーレツな手紙を受け取ったマレーはすっかり気が動転してしまう。イヴォンヌに打ち明け(すぐ喋ってしまうマレー君)、デナムに手紙を書き、彼との関係一切を解消した。そして、コクトーに自分の気持ちを書く。 それに対するコクトーの手紙は、またすぐにドアの下におかれる。 「僕のジャノ。君の優しい手紙を繰り返し読んだ。どうして僕が君に『無関心』だと思えたんだ? 僕が愚かにも芝居を演じていたのは、そうするほうが君を自由にし、君を幸福にできると考えたから。しかし、僕の幸福が君の幸福にも役立つならば、毎晩泣き濡れ、君を抱きしめられない不幸に悩み、僕の笑いや陽気な振る舞いすべてが真実を隠す作りごとであることを知ってほしい。君がDに手紙を出したとイヴォンヌから聞かされて、僕は感謝の念とその慈愛に溺れて死ぬかと思った。 君は僕に幸福をくれた。僕がどんな苦痛に耐えていたか、君には決してわかるまい。これからは誰よりも強い愛をさらに確かめ合おう」 そして、 「白紙の便箋に『うん』と書いて。その美しい詩の返事を僕の宝にするから」 マレーが言われたとおりにすると、コクトーは『パリから脱出しよう、パリから…』という詩をマレーに贈り、2人はサン・トロペにバカンスに出かける。マレーはこのときのバカンスを人生最高のバカンスだったと回想している。 コクトーとマレーが2人きりでゆったりと過ごしたバカンスは、実はこれが最後になってしまう。サン・トロペで2人は突然の開戦を知る。マレーは動員され、戦場に。そのあとはパリがドイツの占領下におかれ、優雅なバカンスどころではない時代が来る。占領下では対ドイツ協力派からの激しい攻撃にさらされる。そんななかでのマレーの映画デビュー。映画は国際的な成功をおさめ、2人の名声は世界へと広まり、お互い多忙を極めることになる。マレーにはコクトー以外との仕事も増えていく。そして、コクトーには別の出会いも…… <続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.03.29 05:11:47
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